北の“ナメクジ”②
D51のなかで初期に製造された95両の“ナメクジ”は、その構造ゆえ集煙装置が取り付けられないため、配置が限定されていました。たとえば、集煙装置が必須の大畑越えの人吉区や、旧北陸本線の敦賀区などには“ナメクジ”はゼロでした。いっぽう北海道には集煙装置を付けた蒸機は皆無のため、“ナメクジ”の割合が多くなったのかもしれません。ひとつのエピソードとして、山口線で蒸機復活が決まったとき、D51 1も候補に挙がったそうですが、集煙装置の取付けができないため、除外された経緯があります。今回は北海道にいた“ナメクジ”34両の中から、特徴のある機も集めてみました。
▲長野工場製の切取りデフを装備したD51 95〔滝〕 松本、長野区時代が長く、その時にデフが換装された。重油併燃装置も付けたまま、北海道へ転属した。旭川(昭和43年9月)
▲なんと“ナメクジ”から、標準スタイルに改造されたD51 54〔旭〕 一体化したドームの中にあるはずの給水加熱器が煙突の前に出ている。煙室前端のRもなく、標準型の角型になっている。“ナメクジ”の中では唯一の改造例 永山~北永山(昭和43年9月)
▲D51 54はそのあと小樽築港へ転属、ヤマ線で貨物を牽くが、なんと“アジビラ”つきで現れてガッカリ、この頃、北海道での労使関係は悪化の一途だった。倶知安~小沢(昭和47年3月)▲昭和43年に初めて訪れた時には、副灯、皿付きながらも、デフの切り詰めが未施工の“ナメクジ”が、まだ見られた。D51 26〔岩〕 苗穂(昭和43年9月)
▲深い緑のなか、黒煙を上げて、1194レを牽き20‰勾配を上がって行くD51 27〔築〕 上目名~目名(昭和44年9月)
▲かつて寿都鉄道が分岐していた黒松内に入線する、長万部発札幌行き137レ D51 27〔築〕(昭和43年9月)
▲特徴ある“ナメクジ”のドームを夕陽が輝かせる。D51 27〔築〕 上目名(昭和43年9月)
▲扇形庫からゆっくり後進してターンテーブルに乗るD51 58〔鷲〕 室蘭(昭和43年9月)▲122レを牽いて勾配を上がる。D51 64〔万〕 Y2フィルタを使って、標高1308m、冠雪したニセコアンヌプリを収めることができた。目名~上目名(昭和46年3月)
▲沼ノ端を行くD51 68〔滝〕 こちらもデフ切り詰め前の美しい“ナメクジ”だった。当機は滝川区の所属だが、岩見沢を通り越して、苫小牧、室蘭方面までの長距離運用があったようだ。(昭和44年9月)
沼ノ端で撮っていました。D5111のようですが判然としません。丁度目の前でD511119とのすれ違いという絶妙のタイミングでした。昭和46年3月10日です。この夜特派員殿と北湯沢で合流したのでは?