やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑫

室蘭本線 室蘭~岩見沢のC57

前回も記しましたが、室蘭区のC57は、昭和44年10月改正で、全機が岩見沢区へ転属し、活動の場を、室蘭本線の北部、室蘭~苫小牧~岩見沢へ移します。苫小牧までは、札幌へ向かう優等列車に伍しての活躍が見られましたが、優等列車は千歳線に入るため、苫小牧~岩見沢は、当時からもローカル線の雰囲気がありました。ただ当時は、夕張方面からの石炭列車が数多く運転されて、石炭列車の合間を縫ってのC57の活躍が見られました。そんな、室蘭本線北部の活躍を見ていただきます。

爆煙を上げて追分を発車した、岩見沢発室蘭行き232レ C57 57の牽引 まだ室蘭区の時代(昭和43年9月)

こちらは急行を牽くC57 「北海道観光号」「まりも2号」で、観光号とは国鉄が団体募集した観光モデル列車で、主要観光地をすべて列車で回った。いまのクルーズトレインの元祖のような列車、余席があると、区間を区切って、急行列車として座席、寝台を販売した。白老付近 C57 149 (昭和44年9月)

室蘭発岩見沢行き225レ C57 44が牽く これも室蘭区の時代で、皿の火の粉止めを付けている。このカマは現在、四国鉄道文化館で保存展示中。白老~社台 (昭和43年9月)

同じく白老~社台の丘の上から、228レ C57 149 背後に「SHADAI FARM」の文字が見える。このカーブを終えると、沼ノ端まで日本一の直線が続く(昭和46年3月)。いまはウポポイと言う名の民族共生空間施設になっている、かつてのアイヌ民族の文化村があって、その近くから撮影した。C57 29 (昭和46年3月)

苫小牧にC57 140の牽く225レが到着、短い停車時間でも点検が続く(昭和46年3月)。

沼ノ端を出ると、千歳線と室蘭本線がしばらく並行して、千歳線はやがて室蘭本線をオーバークロスする。つぎの駅、千歳線植苗からは歩いて行ける。クロス地点からは、勇払原野が一望に見える。C57 29  228レ(昭和44年8月)。

 

 

 

 

 

 

 

オーバークロスから北を望むと、室蘭本線が複線となって、地平線の彼方に消えている。C57 197の牽く230レ(昭和44年9月)

勇払原野の真っ只中を行くC57(機号不明)の牽く室蘭本線の229レ、背後の水面はウトナイ湖(昭和44年9月)。

夕暮れの勇払原野、C57 104の牽く230レが行く(昭和44年9月)。

栗山~栗岡で C57 149の牽く221レ 夜行の連続で、半分寝ながら歩いて行ったことをなぜか覚えている(昭和47年2月)。

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑫」への4件のフィードバック

  1. C57なら、と得意のチャチャ入れを目論んだが特派員さんの美しい作品に出てくるカマはありませんでしたが、今回一台だけヒットしましたのでさっそくチャチャ入れします。
    C57149で築港の所属です。

    • 米手さま
      チャチャ入れ、いつもありがとうございます。C57149の美しい姿、拝見しました。給水温め器の金モールが印象的ですね。調べますと、昭和36年にお召列車を牽いていることが分かりました。その名残でしょうか。私の撮った同機と比べると、デフの点検扉がなくなり、窓になっています。

  2. 以前にも投稿させていただきましたが、44号機は学生時代最後の旅行で撮っていました。昭和49年12月13日追分駅でした。このカマが四国で保存されていたのは知りませんでした。岩見沢区で廃車となったと思っていましたが、どんな経緯で四国まで行ったのでしょうか?ぜひ訪問したいと思っています。

    • 大津の86さま
      寒そうなC57のカラー、見せていただき、ありがとうございます。このカマが四国に保存された経緯ですが、もともと西条市で蒸機を保存することになり、その時に、岩見沢に4両残っていた、最後のC57のうち、44号機が選ばれたようです。西条市は、もと国鉄総裁の十河信二氏の出身地で、最後の旅客用蒸機が適任となったようです。しばらく公園に置かれていましたが、市内に四国鉄道文化館ができる際に、再整備のうえ、館内に保存されました。

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