室蘭本線のC57
北海道のシリーズの最初に室蘭本線のC55を紹介しましたが、C55の活躍は昭和43年で終わり、私も一度切りの出会いとなりました。代わって活躍を始めたのが、室蘭区のC57でした。昭和44年には12両のC57が室蘭区に配置されて、おもに長万部~東室蘭~室蘭の室蘭本線の西部が働き場所でした。ところが、昭和45年になると、室蘭区は配置はゼロになり、機関区は存続したものの、乗務員のみの区となります。C57は、全機が岩見沢機関区へ転属となりました。運転区間も、長万部への入線はなくなり、室蘭~苫小牧~岩見沢の室蘭本線の北部に限定使用となります。次第にC57は数を減らしますが、この状態が、例の旅客蒸機最後となる、C57135の“さよなら運転”まで続くことになります。
▲朝の静狩、大カーブを行く243レ C57 197(昭和44年8月)
▲長万部駅で発車を待つ226レ 形式と同じ製造番号のC57 57 長万部で室蘭区のC57が見られたのは、わずかの期間だった(昭和43年8月)
▲静狩の大カーブを驀進して行くC57 197 同機の履歴を調べると、昭和43年9月に小樽築港から苗穂へ転属していて、室蘭にいた記録がない。転属の際に一時的に貸し出されたのだろうか(昭和44年8月)。▲逆向で室蘭駅の構内を行くC57 29の牽く東室蘭発室蘭行き526レ 長万部方面から室蘭に入る場合、東室蘭でスイッチバックとなるため、東室蘭~室蘭では、逆向運転がよく見られた(昭和43年8月)。▲室蘭発小樽行き721レを牽くC57 168 札幌を経由して小樽へ向かう列車で、現在の札幌集中の列車体系では、考えられないような列車である。▲▲室蘭駅で発車を待つ岩見沢行き231レ C57 29の牽引(昭和43年9月)。
▲室蘭駅を発車したC57(番号不明)の牽く列車、当時は機関区のほか、石炭積出しのための広大なヤードがあった。近くに頂上が公園になっていた丘があって、そこへKさんと一緒に行って写したことを覚えている。右手奥にあるのが室蘭駅で、その後に駅は移転して、この写真を撮ったあたりに縮小移転した。いま地図で調べても、地形までも変わってしまったのか、全く分からなかった(昭和44年9月)。▲鷲別付近の築堤を行く、室蘭発登別行き523レ、C57 168の牽引(昭和43年9月)。▲室蘭行きの247レを牽いて、長万部を発車するC57 140 当時は「ていね」C62の時代で、「ていね」の10分ほど前を出る247レは、露払いのような列車だった(昭和43年9月)。
私はこの時代には間に合わず、室蘭へは行ったことがありません。東室蘭も通っただけで、一切の記憶がありません。恥ずかしながら鷲別機関区の位置も知らないままでした。
静狩の大カーブは、見事ですねえ。朝日に輝く客車をひくC57の白煙と蒸気、他の動力車にはない魅力を感じます。
長万部に停車するC57 57では、機関車はもちろんのこと、テルハや木造の建物、ホームの様子など、蒸機がいた時代を感じることができます。
室蘭の全景写真は広いヤードに停まる無数の石炭車や、狭い平地にひしめき合って立つ住宅に目が行きます。扇形庫は画面左手でしょうか。現在のホームはC57の引く客車の辺りでしょうか。
室蘭は製鉄の町と学校で習いましたが、今回初めて航空写真も見て、なるほど!と納得した次第です。線路は室蘭駅のホームから奥に伸びていて、港にまで達していました。途中には広大なヤードもあり、貨物輸送がメインの路線だったことが実感できました。
紫の1863さま
北海道の思い出、ありがとうございます。静狩の大カーブは、鉄道雑誌の撮影ガイドに載ったことは無かったと思います。その当時、こんな大カーブは、特別に珍しいことはなかったと思われますが、光線や背景の具合が好きでした。室蘭は、私も50年以上全く行ったことがなく、今回、改めて地図、写真を見て、その変わりように驚いています。室蘭駅周辺は、再開発でずいぶんキレイになりましたが、活気がないですね。商業施設も、東室蘭駅の周辺に移ったようです。