D52の往くところ① ~駒ヶ岳を見て~
北海道に渡った蒸機の撮影者が、まず訪れるのは、やはり大沼付近でしょう。函館から一時間足らずで到着でき、すべての列車がボトルネックのようになって、函館に向かいますから、何でもありの夢のような区間でした。しかも優れた風景が続き、なかでも大沼から国道沿いを歩いてすぐ、函館本線を見下ろす小高い丘の上から、正面に駒ヶ岳、左手には小沼と、絵葉書のような光景が広がっていて、私もクローバー会会員と一緒に訪れたものでした。D52の走るところ、まずは大沼付近から。
▲春浅き小沼畔を行くD52の牽く下り貨物。これには後日譚があって、学鉄連の打ち合わせで交通科学館へ行って、図書室の西尾克三郎さんに、この写真を見せていたところへ、東京からマツケンさんが来られ、ちょうど編集中の豪華本「D52・D62・E10」にぜひ使いたいとなり、写真を差し上げた。後日、50年前の価格で4500円也の豪華本と写真料が送られて来た。一枚の写真で、おいしい目ができた、古き良き時代だった(昭和46年3月)。
▲この場所が冒頭に紹介のお立ち台、駒ヶ岳の独特の山容がキレイに入った。いまはこの場所から撮られた写真を見たことがないのは、樹木の繁茂などで物理的に不可能になっているのだろうか(昭和46年3月)。
▲初めて訪れた昭和43年にも一人で行って、C62「ていね」とともにD52をとらえた。D52201の牽く貨物(昭和43年9月)▲函館本線と並行する国道からも、小沼バックのD52をとらえることができた。2354レ(昭和47年3月)。▲小沼に沿って上り貨物列車が行く。まもなく上下線が分かれて、下り線は勾配緩和の藤城線に入る。2454レ (昭和47年3月)▲大沼に到着した下り貨物。貨物の始発となる五稜郭(操)を出て一時間あまり、ここでD52もひと息入れる(昭和46年3月)
▲大沼を発車した下り貨物は、左へ大カーブして、つぎの大沼公園へ向かう(昭和46年3月)。▲夕方の大沼駅、2263レは17時46分に到着、下り急行を待避、18時09分に発車する。当時の手帳を見返すと、駅で聞いた着発時刻と、絞り、シャッター速度もちゃんと書かれていた(昭和47年3月)。
総本家青信号特派員様
駒ヶ岳の勇姿が見事ですね! 望遠だからでしょうか?迫力を感じました。
撮影のご苦労は大変なものでしょうね。天気次第でお山は隠れたり、姿を消したりですから・・だから、見事な背景が撮影できたときの爽快感が堪らないのでしょうか!?
素人がすんません!!
マルーンさま
コメント、ありがとうございます。駒ヶ岳はなかなか姿を見せないのですが、この日は曇っていましたが、よく見えました。山容が独特ですね。調べますと、今からわずか400年余りほど前の大噴火で山体崩壊して、いまのような形になったそうです。地球の歴史からすると、昨日に起こったような出来事ですから、来たるべき大地震も、決して空想ごとではない気がします。
総本家青信号特派員さま
一連のD52を楽しませてもらっています。2葉目の写真の場所へは「狂化合宿」時にご一緒したと記憶します。当時はこのように駒ヶ岳をバックに綺麗に撮れましたが、その何十年か後にキハ82系や北斗星を撮りに行った時には、既に仰る通り樹木が繁茂して切通しの上部へは立ち入ることが出来ませんでした。仕方なく周辺をうろつき、少し大沼駅寄りの線路側中腹から、枝葉越しに辛うじてDD51が牽く14系ニセコや北斗星、残り少なくなったキハ22を撮ったことがあります。
大沼周辺は絵になる処ですが、今や真横から撮れる場所も殆どない状況で、また小沼の南側の直線区間は国道から撮ることになって危険です。
最後の急行に抜かれる写真は情感が溢れていますね。急行は時間帯から「すずらん」でしょうか。