北の“ナメクジ”③ 一桁番号の“ナメクジ”
1115両製造されたD51のなかで、製造番号一桁の機は1~9の9両しかありません。“ナメクジ”だけでも少数ですが、一桁となるとさらに貴重です。北海道には、そのうち4、6、7がいました。なかでも6、7は北見区にあって、石北本線の客貨を牽いていました。ただ、6は昭和44年、7は昭和46年に廃車されていて、蒸機最末期の人気撮影地となった常紋ではもう見ることができず、一桁番号の写真はあまり見たことがありません。今回は一桁番号の“ナメクジ”を見て行きます。
▲常紋(信)~金華 73レを牽くD51 6〔北〕、後部に9600の後補機を付けている。(昭和43年9月)
▲早朝6時30分、石北本線生田原駅、D51 6〔北〕の牽く遠軽発網走行き523レ、安全弁を吹き上げて発車を待つ。この年の北海道、DRFCでは“現地闘争”と称して、各地で撮影会を行っていた。前夜、札幌に集合したメンバー10人余りが「大雪2号」(改称前は「石北」)に乗り込み、4時09分に遠軽に到着、始発の523レに乗り込み、常紋峠のふもとにある生田原に到着した。貨物列車のように見えるが、後部に客車4両を連結している。(昭和44年9月)
▲生田原を発車して、25‰を行く混合523レ、生田原の発車時に9600を前補機に付けているが、速度は目に見えて遅くなって来る。
▲常紋にはスイッチバックの引上線上に木造の1両分程度の乗降ホームがあって、ここから、Sカーブになった勾配を行く列車がちょをうど撮れるから好都合。D51 6〔北〕が上り貨物582レを牽いて、常紋(信)を通過して行く。なおD51 6は昭和44年に廃車になり、いまは神居古潭駅跡の公園にC57などとともに保存展示されている。(昭和43年9月)
▲網走発小樽行き522レを牽いて25‰を行くD51 6〔北〕 客車4両は貨物牽引よりずっと楽だっただろう。常紋と上目名は、人煙も稀な山間部は共通しているが、常紋は比較的開けたところもあり、このように俯瞰撮影も容易にできた。常紋(信)~金華(昭和44年9月)▲上り貨物590レを牽き勾配に挑む D51 7〔北〕 後部には9600の補機を連結している。同機はこの翌年に滝川区に転属して昭和46年に廃車されている。常紋(信)~金華 (昭和43年9月)
▲“ナメクジ”一桁三羽烏のあと一両は深川区にいたるD51 4〔深〕で、おもにD61と組んで、羽幌線、留萌線で貨物を牽いていた。写真は、鬼鹿の街を望みながら、羽幌炭坑から採掘された石炭を積んだ2862レを牽くD51 4 後部にD61 3の補機を連結。力昼~鬼鹿(昭和44年9月)
ナメクジ1匹撮っていました。昭和44年3月8日 常紋信号場です。上り貨物の本務機がD517でした。前補機の49666が切り離されて、単機で金華へ下って行ったあと、猛烈なドラフトとともに、トンネルに向かって発車してゆきました。