三角行きのサボ

調子に乗って、三角行きのサボを投稿します。

三島行きと同じく大宮のもので浮文字です。経由入りで熊本経由となっています。

裏は大阪行き 同じく熊本経由です。熊本経由以外で大阪から三角に鉄道では行けないはずですが、三角というあまり聞き慣れない場所に行く客車なので、親切に表記したものと思われます。それにしても大阪から三角にいく列車があったこと自体驚きです。きっと天草に渡る人たちが乗車していたんでしょうね。

しかしながら、手持ちのサボのなかには、大阪から長野や田口(妙高高原)に行くものがありますが、北陸線経由か中央線経由か表記のないものもあります。どういう基準だったんでしょうか?

三角行きのサボ」への5件のフィードバック

  1. デカンショさま
    貴重な逸品の数々、惜しげもなく公開いただき、ありがとうございます。三角行きのサボにとくに惹かれました。宮原の客車で三角行きがあったとは、知りませんでした。調べて見ますと、新幹線博多開業の前、昭和40年代後半の年末年始に運転されていた「天草52号」8211レ、8212レと分かりました。同列車は新大阪~熊本の運転ですが、特定日のみ、三角発着で運転されていました。その時のサボだと思われます。同列車は、本家の「天草」と同じく、博多には寄らない、筑豊本線経由で運転されていたことも興味深いところです。

  2. デカンショまつり号様
    大阪発三角行とはレアですね。手持ちの古い時刻表を探してみましたが、大阪発三角行は見つかりませんでした。サボ自体もきれいなので臨時列車で短期間設定されたのでしょうか。
    昔は大阪発八代行きとか、京都発鳥栖行なんて言うのがありましたね。私が入学した1971年時点では京都大阪間を走る普通の客レは夜行の京都発宇野行だけでしたが、その4年前の1967年では先に言った京都発鳥栖行の他富山行き、東京行きなど昼間京阪間を走る客レも何本かありました。客レは京都を出ると大阪までノンストップですのでこれに乗りたくて、大阪の親元に行くときなど好んで乗ったものです。もっとも、ノンストップと言っても京都大阪間約40分かかっていて現在の京都高槻間各駅停車の昼間快速並みですが。

  3. デカンショまつり号様
    先日は猛暑の中を運転していただき有難うございました。台湾のみならず珍しいサボ等の発表を大変嬉しく思います。三角行きは大阪発八代行き普通列車に多客時に臨時に増結されていたのかなと私も思いましたが、総本家さんの調査発表でよくわかりました。これからもお宝を披露してください。特に阪急電車の番号きりとりも見たいですね。この場をお借りしますが大津の86さんの京都~大阪間の客車利用はこれまた好んで乗車したクローバー会員も多かったと思います。私は上郡行きのマハ29に乗車したことがあります。

  4. 総本家青信号特派員様
    大津の86様
    準特急様
    早速のコメントありがとうございます。
    三角行は、筑豊本線経由だったんですね。今の筑豊本線からは、とても大阪直通列車が走っていたとは思えませんね。サボに秘められた歴史を紐解きたくなってきました。それにしても年に数回しか走らない列車にサボを作ることは、無駄と思ってしまうのですが・・・

  5. コメント横から失礼いたします。
    手持ちの交通公社中国九州編時刻表、昭和48年1月号によりますと。

    8207列車「天草51号」12/28-12/31、1/4-1/8、1/10運転
    京都1657→熊本639(博多経由、全車座席指定)
    8211列車「天草52号」12/25-1/10運転(京都発1/9、1/10は門司止930)
    京都2253→熊本1253(筑豊線経由、門司まで全車座席指定)

    9204列車「天草51号」12/29、12/30、1/3-1/9運転
    熊本1700→大阪733(博多経由、全車座席指定)
    8208列車「天草52号」12/24-1/9運転(1/2-1/9は三角発2020)
    熊本2135→京都1152(筑豊線経由、全車座席指定)

    となっております、当時50番台の全車座席指定の臨時急行は、12系使用が多かったと思うのですが、上記のようなサボが存在すると言う事は、一般形客車で運転されていた、と言う事になりますね。

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