尼崎港線 最後の日々

総本家青信号特派員先輩の尼崎港線の記事に触発され、尼崎港線の最後の頃の写真を投稿します。

私が訪れたのは、1981(昭和56)年3月24日と27日、31日です。

24日の朝の821/822列車はDD13 101 大吹一 の牽引でした。

まだ、あまり人はいませんでした。

客車はスハフ42 2162 大ミハで、木製の板で作られたサボでした。

3月27日は、尼崎港から塚口のきっぷを買うために出かけました。準常備式の普通乗車券を手作業で発行するため時間がかかります。ろくな写真を撮影できませんでした。821/822列車の牽引機は、DD13 376 大吹一でした。

最終日の3月31日、塚口から尼崎港に向かう最終の下り823列車です。

客車は2両に増結されDD13 256 大吹一 には、保安要員がたくさん乗っています。金楽寺~尼崎港間です。

急いで尼崎港に行き、本当の最終列車 上り824列車に乗ります。

遠くから撮影していなかったことが悔やまれます。

塚口到着後、木製のサボは、「好きな人もっていっていいよ!」と言ってサボの近くに陣取っていた人が持って帰られました。

うらやましかったです。

尼崎港線 最後の日々」への6件のフィードバック

  1. デカンショさま
    連続投稿、ちゃちゃ入れコメント、大歓迎です。尼港線の最終、よく行っておられたのですね。私は、この一日だけで終わってしまいました。グッズも続々の公開で、“尼港愛”を感じました。DLもラッパのような一灯の101号が珍しいですね。

  2. 総本家青信号特派員様
    コメントありがとうございます。
    DD13256は、頻繁に尼崎港線運用についていたようですね。3月22日に尼崎港線に行っていたら、いつぞやの阪急6300系の撮影会のようにお会いできたのかもしれませんね。
    ただ、そのころは、まだ、DRFCに入っておらず、ご尊顔も存じておりませんが・・・(笑)

  3. 尼崎港線の客車が休んだ日はディーゼル車で運行をした日は昭和36(1961)年10月30日(月曜日)と昭和39(1964)年03月14日(土曜日)の2回は尼崎港駅発川西池田駅ゆきの運行はありましたかとのことですが、

    • 残念ながら昭和36(1961)年10月30日(月曜日)と昭和39(1964)年3月14日(土曜日)とも尼崎港発川西池田ゆきはディーゼル車の運行はございませんでした、

  4. 残念ながら昭和36(1961)年10月30日(月曜日)と昭和39(1964)年3月14日(土曜日)とも尼崎港発川西池田ゆきはディーゼル車の運行はございませんでした、客車での運行でした。

  5. 画像の6枚は国鉄時代の尼崎港駅のものですがちなみに阪神高速神戸線の真横にある2代目の尼崎港駅が完成をしたのはいつ頃でしょうかとのことですが、

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