連続投稿申し訳ありません。
総本家青信号特派員先輩の「廃駅をめぐる【3】」のコメントで書かせていただいたDD13 256の車番とサボです。
DD13 256は、1966.3.7 汽車会社で製造され、姫路第一機関区に配置、その後1968.10.3に吹田第一機関区に転属、1984.2.4再び姫路第一機関区に戻り、1986.10.27廃車となっています。
続いて、サボです。
一番上は、川西池田行×大阪行のサボです。所属は大宮です。
川西池田~尼崎港で走っていたころの、宮原客車区から送り込むためのサボでしょうか?送り込みの列車番号などわかりません。ご存じの方、教えてください。
二番目は、川西池田⇔尼崎港×尼崎港⇔川西池田のサボです。所属は、大池です。
三番目は、塚口⇔尼崎港×大阪行のサボです。所属は、大塚です。尼崎港線で活躍したのち宮原客車区に帰るためのサボでしょうか?塚口でどのような入換が行われ、宮原には、どの列車に併結され帰っていったのか?興味津々です。こちらもご存じの方、教えてください。
デカンショまつり号様
写真は1964年3月19日大阪駅に到着したDF50569[米子]+DD13[吹田第一]でDD13の番号200番台で最後は6に見えますが256かどうかはっきりしません。この列車は福知山発726列車で総本家さんの廃駅でのコメントで貼り付けたC5758+DD13と同じ列車です。この列車は1960年および63年の時刻表を見ますと川西池田駅でほかの列車よりも5分くらい停車時間が長いことがわかり多分この間に尼崎港線で使用したDD13を連結して大阪に向かいその後宮原あたりに持って行かれたのではないかと思います。あくまでも推察で確実なことではありませんが、726列車のDD13連結は他にも撮ってあります。
準特急先輩、コメントありがとうございます。
C57+DD13、DF50+DD13。まさにこれですね。
でも、末期は、DD51+DD13っていうのがあったのでしょうか?
面白い列車として取り上げられてもいいものですが、いままで、趣味誌などで取り上げられてもいいと思うのですが・・・
昭和50年代は、川西池田構内で、尼崎港線の客車が留置されていました。毎日、川西池田~宮原客車区の回送はなかったのかもしれません。
デカンショまつり号様
DD54やDD51は福知山線では撮っていないのでよくわかりません。川西池田初の朝の列車は当時の時刻表ですと川西池田を6時37分に発車して尼崎港に7時13分に到着し、7時30分に折り返して8時36分に帰着しその後夕方まで留置されていたのでしょう。夕方の2往復後も川西池田で留置されて宿泊したと思いますがどうなったかよくわかりません。夕方の牽引機はどの列車で運ばれたか、あるいは単機で来たのかも興味のあるところです。
準特急先輩
コメントありがとうございます。
夕方、留置されている客車を横目に川西池田近くの塾通いしていました。
決まった曜日に客車を宮原客車区に戻し、検査していたのかもしれませんね。
デカンショまつり号様
いつも誤字が多くて恥ずかしい限りです。
川西池田の塾に行かれていたのですか。出版のお手伝いをさせていただいた元横浜・巨人の屋敷さんは大阪此花区の生まれですが、このあたりの小学校の出身で(高校は三田学園)元ヤクルトの古田捕手・監督・解説者はその同じ学校の後輩だと言われていました。ここは兵庫、大阪の県境近くですが有名選手を輩出したところですね。川西池田駅はカーブしていて多少側線(留置線?)があったように記憶しています。ところで今、書店で販売中の鉄道ピクトリアル西武特集には所沢都民さんの素晴らしい写真が出ていましたので私もそれに刺激を受けまして今日散歩がてら現地に行ってきました。もう2月ですが、京都本部に負けずたまには東京支部新年会をやらないですか。
準特急先輩
やりましょう。
場所は、都庁前の「伊勢」でしょうか?
準特急先輩・所沢新都民さん別途メールでご連絡します。
大阪行の裏のサボは、
先日、塚口持ちの塚口―尼崎港の浮文字の青板吊サボを某鉄道部品店でレプリカとして購入したのですが、本物の予備品のような気がしました。このため、ネットで尼崎港線のサボの画像を探しましたら、こちらのブログで、字体や所属標記も全く同じサボを見つけました。私は、昭和50年代の後半に宮原客車区のサボ置き場であまり使われていない、別添のような宮原持ちの尼崎港線の青吊サボを見たことがあるのですが、塚口持ちもあったということですね。御存じであればお教えください。
〇宮表記のものも、〇塚表記のものも実際につけているところは見ていません。
最終日の最後の列車は、盗難にあったのか?
それとも盗難を警戒してか白のベニヤ製のサボでした。
それ以前は、確か青サボでもローマ字なしのものがあったような記憶があります。
早速の貴重な情報、ありがとうございます。
最終日のサボは、他の方のブログにも出ていましたが、確かに白い木製の物だったようですね。
私も、青サボでローマ字なしのものの写真をどこかで見たような気がします。
この度、発刊された「国鉄・JRの廃線アルバム近畿編」には、(相当古い時代ですが、)浮文字ではなく丸ゴシック彫文字のローマ字付き青吊りサボの実装写真を確認しましたが、川西池田ー尼崎港でした。
塚口―尼崎港のローマ字付き青吊りサボの実装写真はまだ見たことがありません。もしも、実際に見られた方がおられましたら、所属表記とともにお教えいただけましたら、幸いです。
廃止直後の尼崎港駅構内です。
1984年3月の頭に、武庫川線延伸区間の工事部分と一緒に見に行きました。