駅を旅する 〈番外編Ⅱ〉 中部天竜駅

中部天竜駅 19-11-23
かつては佐久間ダム、佐久間レールパークの最寄駅として見学者で賑わっていた。/(19-11-3)

中部天竜駅は、かつては豊橋機関区中部天竜支区が設置されていた飯田線の拠点駅で、平成21年10月31日まで「佐久間レールパーク」が開設されていたので訪れた方が多いのではなかろうか。

駅の現在の住所は「静岡県浜松市天竜区佐久間町半場」、浜松市に合併されるまでは「磐田郡佐久間町半場」で、「中部天竜」なる地名は出てこない。と言うよりそういう地名は存在しない。駅名の由来を沿革から探ると、三信鉄道時代の昭和9年11月11日三信三輪(現東栄)~佐久間(現中部天竜)間の開業時に開設された。
10年5月24日に「佐久間」から「中部天竜」に改称されたが、読みは「なかっぺてんりゅう」であった。
「中部=なかっぺ」は天竜川を挟んだ対岸の集落名で、現住所ではなく対岸の集落名が駅名になったのは、駅及び機関支区等の鉄道用地を、中部集落の人が所有していたためと言われている。
「なかっぺてんりゅう」は語呂がよくないためか、17年5月24日、漢字の読み方を変えて「ちゅうぶてんりゅう」に改称して現在に至っている。
「なかっぺ」の読みは、戦後平凡な「なかべ」に変更され、正式な地名になってしまった。同様の例は、札幌近郊の「月寒」が「つきさっぷ」から「つきさむ」に変更されたが、駅名は「つきさっぷ」のままであるが、どうして由緒ある地名を変更してしまうのだろうか。
三信鉄道は18年8月1日付けで、豊橋~大海間の豊川鉄道、大海~三河川合間の鳳来寺鉄道、天竜峡~辰野間の伊那電気鉄道と共に鉄道省に買収され、飯田線になった。

余談になるが、飯田線の出馬から小和田までの17駅は浜松市天竜区に所在する。この地域の人が鉄道で浜松市の中心部に行く場合、一旦愛知県に出て豊橋経由で行くことになる。
信南地域と浜松は、鉄道開通以前から天竜川の水運、陸路では三州街道、秋葉街道(現在の国道152号線)で結ばれており、駒ケ根光前寺の飼い犬が磐田見付天神の妖怪退治に行ったという伝説は地域間交流が盛んであったことを裏付けている。更にこの犬は磐田市の「ゆるキャラ」になっている。

水窪と浜松市の中心部は、水窪~西鹿島間に遠州鉄道北遠本線のバスが5往復運行され、所要時間90分前後、運賃630円、西鹿島~浜松間は電車が12分間隔、所要時間32分、運賃460円で約2時間、1090円で結ばれている。
北遠本線は平成14年9月30日まではJRバスにより運行され、同区間の運賃は1470円で、遠州鉄道に移管され同社の上限運賃制により半額以下になった。
中部天竜~遠江二俣間は佐久間線として建設予定が計画され、昭和42年遠江二俣~遠江横山間の工事が開始されたが、55年国鉄再建法により路盤が約50%完成したところで中止されてしまった。

昭和40年代と平成19年の画像を貼り付けたので、時の流れを感じていただければ幸いである。

ED1714牽引の貨物列車/ (41-3-12)
豊橋機関区にED1710~15とED212が配置され、豊橋~中部天竜間の貨物列車を牽いていた。
ED1714 41-3-12

EF15201牽引の貨物列車/ (45-11-22)
車両配置表では広島区所属になっており、借入機と思われる。
EF15201 45-11-22

ED182/ (41-3-12)
ED181~3とED196が配置され、中部天竜~飯田間の貨物列車を牽いていた。
ED182 41-3-12
ED182-2 41-3-12

ED183/ (41-3-12)
ED183-2 41-3-12

クハ47071+クモハ51800の平岡行(621M)/ (41-3-12)
豊橋発車時は4両で三河川合で後部2両(クハ18+クモハ61)を切り離し。終点の平岡は飯田市の経済圏で、下り列車が何故平岡止まりなのか意味が解らなかった。
クハ47071は湘南色で元快速用の車両、窓下に「快速表示板」が付いている。事故により43年11月28日付で廃車になった。
先頭のクモハ51800は元クモハ51042で低屋根改造されていたが、豊橋区配置で飯田線で使用されていた。
47071 41-3-12

準急「伊那1号」(601M)クハ86313他4連/ (41-3-12)
伊那 41-3-12

クモハ52005他4連の辰野行(1227M)/ (45-11-22)
辰野まで行く唯一の4両貫通編成で、流電クモハ52がよく入っていた。辰野着は21時29分で、30分後21時59分発飯田行最終電車で折返して飯田で駐泊。翌朝5時36分発豊橋行(642M)で豊橋に戻った。飯田線北部で流電の走行写真を撮影することは極めて難しかった。
スカイツリー

クモニ13026/ (41-3-12)
貨車を牽くため自連であった。
クモニ13 41-3-12

サエ9320/ (45-11-22)
元伊那電気鉄道サハユニフ101で大正13年日本車輌で新製され、昭和28年に救援車に改造された。
サエ 45-11-22
サエ2 45-11-22

クモハ119-27+クハ118-27/ (19-11-3)
クモハ119-27

313系3連/ (19-11-3)
313系

特急「伊那路」373系3連/ (19-11-3)
特急伊那路

マイクロバス改造の保線用車両/ (19-11-3)
運転台は片側にしかないが車体が回転する。
保線モーターカー

浜松市自主運行バス/ (19-11-3)
中部天竜駅と北遠本線の西渡(にしど)を結び浜松市中心部への短絡ルートを形成していた。運行は遠州鉄道に委託して同社のバスで運行されていたが、乗客減により25年10月1日より委託先を地元の水窪タクシーに変更して車両もワゴン車になった。
遠鉄バス

「佐久間レールパーク」の跡地は現在どのようになっているのだろうか。
もしそのままであれば、現存する飯田線所縁の車両を集めて「リニア鉄道博物館」の分室を提案したい。
小湊鉄道五井機関区に眠っているキハ5800は、元三信鉄道デ101、買収後クハ5800である。
電気機関車は意外に残っており、伊那電気鉄道デキ1~5は、買収後ED311~5となり、近江鉄道の彦根で眠っている。デキ6→ED316は上信電鉄で眠っているが、改造でスタイルが変わってしまった。
豊川鉄道デキ51は買収後ED282となり、遠州鉄道で保線工事列車に使用中である。デキ52は買収後ED291となり、岳南鉄道の岳南富士岡で眠っている。

飯田線の活性化と中部天竜駅が再度賑わいを取り戻すことを願う次第である。

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