【42404】駅を旅する 〈13〉

佐々

佐世保から松浦線(現・松浦鉄道)に乗ると、約40分で佐々に到着する。今まで紹介の駅に比べると、規模も小さなものだが、ここには、佐々機関区があり、松浦線の旅客列車などを牽くC11と、最後のレールバスであるキハ02が配置されていた。そして、超閑散線の臼ノ浦線が分岐する駅でもあった。

佐々IMG_0078sy夜行列車で佐世保に着き、一番列車で早朝の佐々に着いた。ところが、雨のうえ、薄ら寒い、寝不足と空腹も加わって、いっぺんに、やる気が失せてしまった。構内の外れで写すと、すぐに待合室へ駆け込んだ。有田発佐世保行き625レ、C11285〔佐〕+客車5両(昭和44年)。

佐々IMG_0021sysy佐々区で昼寝するレールバス、左から、キハ028、15、14。レールバスは、各地の閑散線区で使用され、一時は重用されたが、定員が少ないのも嫌われて、つぎつぎ廃車になり、訪れた昭和42年時点で残っていたのは、佐々区のキハ02の5両だけだった。(昭和42年)。

佐々IMG_0023syキハ02は、キハ01と同じ形式のキハ10000形で、昭和32年の称号改正で、試作車・第一次車はキハ01、中央扉・前面二枚窓はキハ02となった。松浦線から分岐する盲腸線、柚木線、臼ノ浦線、世知原線の3線で使用されていた。いずれも朝夕のみの運転で、客扱い中のキハ02は、ついに撮れずじまいだった。最後まで残ったキハ02も、昭和44年3月に廃車となり、国鉄レールバスの短い歴史を閉じた(昭和42年)。

佐々IMG_0080sy松浦線の旅客は、約半数が客車列車で残っていた。客車は2~4両で、DC化も可能と思われていたが、一部は混合列車もあり、DC化が難しかったのだろう。佐々区のC11、早岐区の8620が牽いていた。伊万里発佐世保行き627レ、58648〔早〕、左は臼ノ浦線で、佐々を出て約1キロほど松浦線と並行していた(昭和44年)。

IMG_0003 IMG_0005IMG_0001IMG_0002ついでに、佐々から分岐していた臼ノ浦線も紹介しよう。同線は佐世保北部の炭鉱からの運炭輸送を目的に佐世保軽便鉄道によって昭和6年に建設された762mmの鉄道で、国有化、改軌ののち、戦後に臼ノ浦線の名称となった。佐々~臼ノ浦間3.8キロで、中間に駅はない。驚くことに訪れた昭和44年にも、まだ石炭列車が走っていた。終点の先に石炭の積出港があった。旅客は、朝3往復、夕1往復で、貨物が廃止されると、世知原線とともに、昭和46年12月に廃止されている。なお、先の盲腸線3線のうち、残る柚木線は、昭和42年7月に豪雨で不通になったまま、同年8月末に廃止されている。

 

 

 

(写真上から、いずれも昭和44年)

・臼ノ浦へ向かうC11バックの981レ、セキには石炭が満載されている。

・佐々川を渡る984レ、この佐々川には、当時、軽便時代の橋脚が残っていた。

・終点の臼ノ浦駅。廃止後も、駅舎の基礎部を生かして別の建物が建っているという。

・臼ノ浦駅の826D、レールバス廃車後は、長崎区のキハ10が入っていた。

駅を旅する 〈13〉” への1件のコメント

  1. 総本家青信号特派員様
    佐々という名前は知っておりましたが、あまりにも僻地で終に行くことなく終わりました。総本家さんの写真で8620やC11の活躍がある程度想像できました。それにしてもよくレールバスを記録されましたね。前回の早岐も夜行で疲れて通過してしまいほとんど知らない駅でした。今後の発表を期待しております。

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