豊後森
かつて鉄道の町として賑わった駅も、今はすっかり寂れてしまった例は各地に多い。久大本線のほぼ中間にある豊後森もそんな駅だった。ここには機関区があり、宮原線を分岐していた。久大本線は140キロ余りあって、給水炭なしで全線は走破はできず、中間地点付近に機関区設備を設けたようだ。
訪れた昭和42年時点で、豊後森機関区の配置蒸機は、8620が7両、C11が1両で、8620は、久大本線の西部の客貨牽引に用いられていた。久大本線の客貨を通しで牽引する大分区のD60も、豊後森で一息入れた。
今は、残骸が残るものの、機関区としての機能はなくなり、宮原線もなくなり、すっかり省みられない駅となってしまった。
▲豊後森へ行かせた理由は、D60が架線のない、いい光線状態で形式写真が撮れること、そして当時は、全国でも豊後森だけとなってしまった機械式キハ07が配置されていたことだった(昭和42年)。
▲そのキハ07は、宮原線用として使用されていた。と言っても宮原線は、朝夕3往復のみの超ローカル線、機関区から、豊後森の発車をとらえた(昭和42年)。
▲キハ07には、戦前製(0番台)、戦後製(100番台)があり、100番台から15両が液体式に改造されて200番台となった。昭和42年当時、キハ07は18両あり、宮原線以外では、北海道各地、樽見線、木次線で運転されていたが、すべて200番台で、0番台の機械式、正真正銘のキハ07は、豊後森にしか残っていなかった。なおキハ0741は、九州鉄道記念館に保存されている(昭和42年)。
▲キハ07は、41、42、43の3両配置だが、終日、単行運転のため、つねに2両は休んでいた。このラウンドハウス、戦前にできた鉄筋コンクリート製で13線もある、地方には不似合いな堂々としたラウンドハウスだ。現在でも廃墟状態ながらターンテーブルとともに保存されており、現存のものとしては九州で唯一である(昭和42年)。
宮原線にも触れてみよう。久大本線の恵良と肥後小国を結ぶ26.6キロの盲腸線で、間には、町田、宝泉寺、麻生釣、北里の4駅があった。列車は、豊後森を終始発としていた。前述のように、一日朝夕3往復のみの運転、ただ、土曜日は下校生のため午後に1往復あった。また、途中の宝泉寺には集落もあり、ここまでの区間列車が1往復あった。第一次特定地方交通線に指定され昭和59年11月に廃止された。
宮原線を訪れたのは昭和51年だった。この乗車がいちばんの目的ではなく、その当時熱中していたボンネットバスの撮影のため、九州産業交通の小国営業所へ行くのが第一の目的だった。これを撮影後、ちょうど土曜日だったため、土曜日限定の午後の列車に乗ることができた。車両は、キハ07からキハ20に代わっていた。肥後小国を出ると、ずっと高原地帯を走る。大畑や龍ケ森と言った風情である。
ちょうど、私がDRFCに入会する前年の夏の行事で、麻生釣で狂化合宿が行われた。入会直後に、青信号19号に載った記事を読み、楽しそうな狂化合宿に思いを馳せた宮原線だった。
廃止後30年経つが、多くの廃線跡が残っている。とくに、名物のコンクリート製のアーチ橋はよく残り、登録文化財に指定されている。
【写真、上から】
・終点、肥後小国に停車する、キハ2090
・麻生釣に到着する列車、周囲はずっと高原が続く
・麻生釣の標高は670m、熊本、大分の県境にも当たる
・麻生釣では5分停車、しばし、周囲の散策ができた
総本家青信号通信員様
「麻生釣」懐かしいですね。思い出しました。いわゆる「狂化合宿」でテントを張り、
カレーを作り!?(作ってもらったが正解かも)会の仲間と語らったことを・・・
ぶんしゅうさんの掲示板に(まだ本名で書かれていた)この合宿の記事があり、思わず
コピーして今でも持っています。
キハ07そして豊後森駅をバックでの集合写真、皆にこにこと楽しそうです。豊後森駅前の写真では、準特急先輩が後輩から取り上げた学帽をかぶって笑っておられるのと、時代を感じるポストが印象的です。鬼籍に入られた方もおられます。皆どうしておられるのでしょうか?
青春万歳!!
マルーン様覚えておられますか、麻生釣の後に大畑に行き、そのあと解散。ところが、数日後霧島の山の中を走る林田バスに乗ったらマルーンさんにまた、偶然お会いしたことを。あの時はどなたと一緒か忘れましたが、韓国岳に登り、噴火口を見ての帰りでした。そのあとの記憶も定かでありませんが、開聞岳近くでバスのガイドさんやぶんしゅうさんが写った写真があります。
準特急様
大畑の雄大なループ線の後、S澤先輩と宮崎に行き、大淀川河畔の宿でお世話になったことを覚えています。それから、多分学部の仲間と落ち合い、韓国岳に登ったり、開聞岳や枕崎へ行った事と思います。枕崎からの開聞岳、指宿枕崎線のDCでかぶりつきしたことを思い出していますが、記憶は途切れ途切れです。
雪国育ちにとって、南国九州は、風土的な違いを感じ、大変魅力的でした。
準特急さま
マルーンさま
麻生釣の思い出、ありがとうございます。麻生釣の狂化合宿は、私の入会する前の年のことでしたが、入会直後に無理やり買わされた「青信号」でその様子を知りました。お蔭で、各会員の性格までよく理解でき、合宿で繰り広げられたエピソードで、“狂化”の所以も知りました。その記事の著者は、一年先輩のT塚さんですが、驚いたのは、旅行中に乗った列車の全編成を記録されていることでした。旅行中にいつもカキ氷を食べておられ、どこかの駅前で巨大なカキ氷を食べたことの記述も印象に残っています。