駅を旅する 〈9〉

熊本

鹿児島本線のちょうど中間に位置する熊本である。写し始めた昭和42年当時は、電化はここまで、以南は未電化だった。機関車の付け替えも行われ、賑わってはいたが、ここではあまり写してはいない。

今でこそ、駅舎や駅前は立派になったが、当時は、中心部からもはずれ、裏寂れた印象だった。宿泊するにしても、駅に降りると滞在することなく、市電に乗って中心部へ向かった。そして、なぜか、熊本へ行くと、雨ばかりに降られた。

いつも当掲示板で健筆を振るっておられる準特急さんのルーツは、熊本の郊外にあると言う。鳥栖といい、熊本といい、つくづく九州は、鉄道趣味界の偉人を輩出する地だと思う。

熊本IMG_0013sy▲小雨の熊本駅を発車する熊本発鹿児島行き。C6131[鹿]+客車6両。熊本以南の未電化区間は、優等列車こそDD51化されていたが、普通列車は全列車C60、C61が牽いていた。(昭和42年)熊本IMG_0015sy▲頭端式ホームからは、豊肥本線の列車も発着していた。旅客はDC化されていたが、朝夕のラッシュ時のみ、キューロクの牽く客車列車が残っていた。33‰の勾配を越えるため、重連となっていた。熊本発宮地行き729レ。39688[熊]+69616[熊]+オハニ61188ほか客車8両。 

熊本IMG_0016sy▲ホームから見た機関区。熊本区には扇形庫はなく、こんな狭い矩形庫の中に蒸機が押し込まれていた。形式写真は、まず無理だった。左からC6034、C5721、D51258

熊本IMG_0014sy▲架線の張られた駅構内に到着する、出水発熊本行き132レ。C6037[熊]。(昭和42年)

駅を旅する 〈9〉」への4件のフィードバック

  1. 父方は熊本、母方は内牧です。母の生まれは台湾花蓮です。ついでに私の生まれは岐阜県の釜戸です。野球は阪神です。その熊本ですが、前回発表された鳥栖と異なり熊本は狭苦しい機関区でした。ただ、九州の真ん中に位置していることもあってか1963年当時は各地の蒸機が見られました。私の撮影記録では熊本のC11、C59、C60、D51のほかに鹿児島のC57、C60、C61、出水のD60、鳥栖のC59、大分のC58、宮地の9600等が次から次へと現れ、これまた蒸機天国といった感じでした。私の撮影も昼から雨でした。

    • 準特急さま
      贔屓のチームが、西鉄や中日でなく、阪神であることが、関西育ちの準特急さんらしいですね。
      熊本機関区はホントに狭苦しいところでした。おまけに行った日に限って天気も悪く、あまり写真も残っていません。一昨年、久しぶりに熊本駅ホームに降り立ちました。機関区跡は電留線になっていましたが、相変わらず狭いところでした。

  2. 総本家青信号特派員様
    私の最初の撮影旅行は昭和43年高1の春休みの九州旅行でした。友人に誘われ何も知らずに、父のお古のCANONの沈胴式カメラ、(もちろん今のデジカメの電源ONするとレンズが出てくるのではなく手で引っ張り出してねじって固定するという代物でしたが)を持って1週間くらいの大旅行に出ました。旅程も友人任せで、どこで何を撮ったのか記録もまともに残っていませんが、写真を見ると、筑豊本線、貝島炭鉱、鹿児島本線、鹿児島機関区など訪れたことが分かります。九州の駅のシリーズ拝見して、当時の様子も思い出し、古いネガをぼつぼつとデジタル化始めました。“駅を旅する”シリーズこれからも長期連載されること楽しみにしています。

    • 大津の86さま
      若き日の思い出、ありがとうございました。
      駅は旅の出発点でもあり、終着点でもあります。今ならクルマで駅を利用せずとも旅はできますが、私の旅スタイルは、50年近くの間、変わっていません。
      そんな訳で、駅で撮った写真はたくさんあります。これからも気長に続けていきます。

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