クローバー会が韓国の新聞に載りました

明けましておめでとうございます
今年もデジ青を宜しくお願い致します

昨年の12月11日、韓国の国際新聞にクローバー会の明知鉄道見学会での写真が掲載されました。

これについて説明致します。
私の法学部の後輩・朴明欽氏からの紹介で、彼の友人で東明大学情報社会学博士・髙ヨンサム教授が編集している連載記事「人生二毛作」シリーズに出て欲しい旨依頼されました。これは鉄道と関係の無い老後の人生を紹介する記事で、日本人が登場するのは初めてとのことでした。
その中で私の老後はDRFCクローバー会での友人関係が大きいと書きましたところ、鉄道趣味がない韓国人には理解できず、この説明に時間を費やしました。かつて会員有志と釜山にあるコレイルの基地を訪問した話や、日々のデジ青などの説明の中でこの写真を見せたところ掲載されたと言うことです。

この新聞記事をここで見せようか、ずいぶん悩みました。でも写真が使われたからには紹介しないといけないと思ったのと、一部の友人に聞いてみたところ「見たいので掲載しろ」と言われて反対がなかったので出すことにしました。あくまで鉄道主体の話ではなく私個人の話なのでつまらないかも知れませんがお許しください。

なお、韓国から送って来た記事の訳文をそのまま載せますが私の書いた原稿とはずいぶんちがう所がありますのでそれもご理解の上お読みください。

〈見出し〉
70代の日本人交流の生活で 活力 「韓国が好きで 200回も 訪れた」

田野城 喬さん(前列中央の赤いシャツ)が鉄道同好会活動の一環として日本の「明知鉄道」を見学し、記念撮影をしている。 写真の右側に立っているのは機関車の説明員だ。


なお、斜体は髙教授の発言、▶以降は私の発言となっています。

〈訳文〉
  外国人は人生の二毛作をどのように過ごすだろうか? 超長寿時代は韓国だけが直面している問題ではないため、このような疑問を抱くようになる。 見回せば、韓国ほど短期間に超高齢化社会に行かなかったところもあり、少子化問題とは別に超長寿時代に向かうところもある。 今回は釜山と韓国を頻繁に訪問して交流してきた日本人に会った。 私たちをちょっと振り返らせた彼を釜山チャガルチ市場で活魚の刺身を置いて向かい合った。

-釜山をよく訪問されると聞きました。 これまでどのくらい訪問されましたか?

▶1984年に釜山を訪れて以来、これまで200回ほど釜山とソウルを訪れています。 初めて訪れた 時、釜山大学博物館と慶州の古墳や仏国寺でとても感激しました。 ここチャガルチ市場にも来たんですが、活魚を見てとても不思議でした。 日本の寿司屋では生きている魚を見ることができないんですよ。 私にとって韓国はなんだか親しみやすくていつも懐かしかったです。

-どんなきっかけで韓国にそんなに関心を持たれましたか?

▶1981年、35歳の頃でした。 やっていた事業も順調で、子供たちもよく育ってくれるので老後の準備をしなければならないと思っていたところ、偶然韓国語の勉強をすることができました。

今回会ったのは日本人の田野城さんだ。 現在78歳だから経済活動として「もう一度現役」を 持続する年配ではない。 しかし、生涯周期上、老人期に入るこの方の事例を通じて、高齢化が早く始まった日本の人生二毛作文化を見てみよう。

-35歳で老後の準備を考えたなんて、とても早かったですね。 若い頃どんな仕事に就きましたか?

▶私の父は大阪で写真スタジオを運営していたところ、第二次世界大戦時の1945年3月13日深夜 に米軍の空襲を受けました。 結局京都に引っ越しましたが、ちょうど戦後好景気と旅行ブームが起こり、35ミリカメラなどもよく売れて事業を非常に大きく拡張されました。 1946年生まれの私は、日本の復興期に子供時代を過ごしました。 そして大学を卒業した後、大きなカメラ販売会社に入社して経験を積んだ後、カメラ販売店を譲り受け、2016年、つまり70歳まで従事してから息子に譲りました。

-それでは韓国とはどのように交流をされましたか?

▶韓国の文化に興味が湧いてきて、最初は韓国居留民団が運営する韓国語教室に通いました。 その後、同志社大学の西尾昭 指導教授が 留学生の中で優秀な方だと朴明欽さんを紹介し  てくれました。 韓国語をたくさん学ぶきっかけとなり、釜山の発展のために多くの大きな仕事をされ朴明欽教授とは30年以上家族も往来して過ごしています。

-それでもどうやって200回も韓国を訪問されたんですか?

▶私には同じようで違う、また違うようで似ている韓国文化が面白かったです。 それで、時間さえあれば私一人や家族、そして様々な友人や同好会の会員たちを連れてきました。 さらに1987年、41歳の時に設立された京都アジア太平洋友好協会の事務局長を務めることになり、韓日両国の青 少年大学生事業家の交流を主管したりもしました。 特に釜山にある釜山韓日文化交流協会とは頻繁に交流し、両国間の友好を増進しました。

韓国をこのように200回も訪問してきた彼の日常はどうだろうか? ミセル·マペゾリは、「個人の日常生活は、政治経済の大きな構造に影響を受けながらも、先験的理論に包摂されない微細な領域だ」と話した。 アンリ·ルフェーブルが語るソ·オナとバートラント·ラッセルの幸せが交差できる彼の日常をもっと聞いてみよう。

-70代後半の生涯転換期を送る日本人の日常が知りたいです。 先週はどのように過ごしましたか?

▶月曜日には妻の友人夫婦が訪ねてきたので、飲食店で食事をしながら楽しみました。 火曜日には友達とゴルフをしに行きました。 そのうちの一人は韓国語教室に一緒に通っていた友達です。 水 曜日には、怪我をした肩を治すために整形外科に行ってリハビリをしました。 木曜日はまたゴルフ でした。 金曜日は久しぶりに何もない日なので部屋を片付けました。 土曜日には、孫のピアノ発 表会や自衛隊の音楽会に出席しました。 そして5年前から毎日7000歩を歩いていて、毎日、新聞 を読んでまた温泉浴をします。 このように私の二毛作はとても忙しいです。

-友達とよく付き合うようですか?

▶私には三種類の友達がいます。 中学·高校の学生時代の友達とはゴルフや食事の集まりを主にします。 ライオンズやロータリークラブなど、ボランティア団体で結ばれた友人もいます。 私は鉄 道同好会の仲間たちも紹介したいです。

鉄道同好会は馴染みがないですね。 どのように活動していますか?

▶20代の青年から90代まで活動する同好会です。 1956年に設立された同志社大学鉄道同好会 は、OBまで300人を超える長い歴史を誇っています。 現在、40人ほどの私たちは時代に怖がらず、汽車と鉄道に対する愛情を持って21世紀を生きる楽しさを共有しています。 前回は全国から京都に集まった会員たちと鉄道の歴史と文化について一晩中話をしました。 また先月30日には同好会のOBたちが我が家に来て遊びました。 韓国にも見学したことがあります。

-韓国を見学しましたか?

▶2006年2月にコレイル釜山基地を見学しましたよね。 韓国には私たちのような鉄道同好会がないので、最初は不思議に思っていましたが、すぐに理解して案内してくれました。 KTXの乗り心地も 検証してきました。

同好会活動をする人は知っているが、余暇は無量感を解消する以上だ。 余暇社会学者のカプランは、「余暇は集団活動を通じて生活の威厳を取り戻す契機になる」と話した。 それでも実際の人生最後の自己実現の機会になりうる余暇種目を鉄道と汽車で探したのは本当に興味深い。

-日本の中老人たちはどんな趣味生活をたくさんしますか?

▶韓国には登山に行く中のお年寄りがとても多いですね。 日本では見られない現象でびっくりしました。 日本では運動だけではなく、油絵や水墨画のようなお絵かき、俳句やカラオケ、クラシックが人気種目です。 そして古語、落語も大人気です。 ゴルフ場に行く中高年夫婦も増えました。

-韓国人の人生の一毛作は競争的に努力する雰囲気ですが、日本はどうですか?

▶日本人も発展のためにたくさん努力します。 しかし、日本には「神は細密なところにも宿る」という言葉があります。 他人に見えなくても努力して自分が属している組織がさらに発展することを嬉しく思います。 韓国とは若干違いますよね。 そして引退後は身分や職級に関係なく友達のように過ごします。

-これまでの生涯で大変だったことはどんなことでしたか?

▶経済的には難しくありませんでしたが、妻に腎臓の病気が見つかったときは大変でした。 苦心の末に私が自分の腎臓を移植してあげました。65歳の時に大地震があった年で、孫娘が生まれた年でした。 彼をきっかけに私は引退を準備し、その5年後の仕事から手を引きました。 その後、妻が弱いので、これまで私が毎日朝食を用意して妻が起きるのを待ちます。 朝食が終わったら皿洗い  や洗濯をしますが、これは私の幸せです。 妻に話したことはありませんが、私は妻が若くして嫁いできてくれて、両親の面倒を見てくれて、子供を生んでよく育ててくれたので、勲章をあげたいです(笑)。

大変だったことを聞くと、彼はありがたいことを思い出した。 妻をこんなに熱烈に褒めるなんて、この方は老後に幸せに暮らす姿勢になっているという気がした。

-驚くべきお言葉ですね。 人生でどんな心構えが重要でしたか?

▶若い頃、私の初めての職場の社長が下の人の苦しみを知ることが大事だと言っていました。 その時から私は一番先に出勤してあらゆる所を引き受けて掃除しながら誠実にしました。 私が先に努 力しなければ信頼を得ることができないからです。 物事を肯定的に考えます。

-幸せな人生とはどんなものでしょうか? どのように生きたいですか?

▶難しい質問ですが、私は「いつ死んでも後悔がないのがいい人生」だと思います。 今年6月まで  娘夫婦と孫3人の7人が一緒に住んでいましたが、近くに引っ越しました。 幸いなことに、毎週土曜日には二人の孫がまた寝ようと来て、寂しくなった私たちを慰めてくれます。 私は家族が幸せに成長するのを手伝っています。 これが私にとっては幸せです。 いつ死んでも満足のいく人生だったと言えます。 家族や友人、そして知人のおかげです。 でも、もうひとつのことを考えると、韓国と日本が今よりもっと仲良くなってほしいです。

田野城 喬さんの人生成功の理由は何だろう? ひとまず彼は日本のベビーブーマーとして国家経済が成長する安定した時代環境で生を送ってきた。 そしてその上に本人の肯定的性格と共にした多くの友人、対人関係で信頼を得る姿勢がある。 当然、チ·ゴジスンの配偶者に会って幸せな家庭を築いている。 そして彼は「日本が韓国と隣り合っていていい。 人生が2倍に楽しくなった」と西尾明教授と一緒に笑いながら語る。 彼には韓国と交流して得る楽しみもまた「いつ死んでも後悔のない人生」に大きく寄与するようだ。

<コ·ヨンサム人生二毛作フォーラム共同代表>

 

 

クローバー会が韓国の新聞に載りました」への3件のフィードバック

  1. 米手作市様
    デジ青では異色の力作を驚きながら拝見させていただきました。米手作市さんのことは永いお付き合いで大概のことは知っているつもりでしたが、ここに「私の履歴書」的な発表もされ、ゴルフや韓国語マスターなどその興味の深さやご努力も感じました。
    韓国については私は1970(昭和45)年に訪韓しておりますがその頃は夜間外出禁止令もあり生活レベルも遅れているなと感じましたがその後経済が驚異的な発展を遂げたことは皆さんご存知の通りです。しかし、昨年のユン・ソンニョル大統領の戒厳令で今後の日韓関係がどうなるのかわかりません。最近は日韓の交流がいろいろな分野で盛んでしたが政治体制など心配なことも多いです。
    韓国に鉄道趣味の団体やそういう気運がないとのことですが鉄道趣味と経済発展は関係があると思います。欧米には鉄道ファンが大勢いますし、台湾でもいました。中国も蒸機ファンがいるそうです。
    文中に西尾昭教授が出てきますが、一般教養の法学で習ったことがあります。その時の教本は土井たか子・西尾昭共著でした。
    中国語は漢字なので喋れなくても意味がわかる場合が多いですが、ハングルは手も足もでません。韓国語は日本語と文法や発音が似たところがあるように感じます。やる気があれば多少韓国語もわかるようになるかもしれません。それにしても訪韓200回以上とは驚きです。
    有難うございました。人生不毛の準特急より

    • 準特急さん、
      温かいお言葉、ありがとうございます。
      西尾教授とは現在もお付き合いしております。と言っても既に鬼籍に入られていて、奥様やご子息とは親しくさせていただいております。生前、先生が土井たか子教授との教科書について話しておられました。先生と土井教授は思想的には正反対で、もっと優しくしておけばあんな性格にはならなんだやろな、と冗談を言っておられました。その教授から韓国語をやれと言われた時に、文法や並び方は日本語と同じやから簡単や、ハングルなんて1時間もやれば読めるようになる、と言われて始めました。1時間はともかくほぼその通りでした。訪問200回に関しては、私は往復で100回ほどと言いました。片道なら200回になりますが・・

  2. 米手作市様
    「クローバー会が韓国の新聞に載りました」を興味深く読ませて頂きました。懐かしい西尾昭先生の名前が出ていたのでコメントさせて頂きました。西尾先生はブギウギのゼミの教授で、釜山大学でも教鞭をとられたこともあり、韓国についてたびたび言及されていました。その影響?もあり、3回生の終わりに初めて訪韓しました。鉄道だけでなく、近いように見えて違うところも少なからずある韓国には興味が尽きません。米手作市様のように200回には到底及びませんが、その後も幾度か渡韓してきました。今年あたりまた渡韓できればいいな、と思っております。

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