スクラップブック 事件・事故編・第17回

永らくご無沙汰を致しました。

この度、復活致しました。
その間、会員の皆様より「生きてるのか?」「死んだのなら連絡しろ!」などと暖かい励ましのメールを頂き、会員であった喜びを再確認しつつむせび泣いておりました。この度諸般の用事を片付けて投稿を再開することになりました。と、言っても新しいものは何もなく、古い話題での再出発です。取りあえず準備していたスクラップブック事件・事故シリーズの最終回をご覧下さい。

〈本編の編集中に、涌田浩氏の訃報に接しました。
彼は物静かでありながら知識は豊富で、なおかつ会員としての行動力もあり、よく行事で行動を共にしておりました。最後にお目にかかったのは伊賀電鉄へ行った時です。
この歳になると世の無常をひしひしと感じます。
心よりご冥福をお祈りすると共にご家族に哀悼の意を表します。〉

 

1964,8,23

1964,8,23

1964.8.24

1964,8,27

1964.9.5

スクラップブック 事件・事故編・第17回」への2件のフィードバック

  1. 米手作市さま
    祝!ご帰還、お帰りなさいませ。手ぐすねひいて待ち構えておりました。が、以前同様無くもがなのコメントしかできませんがお許しを。
    今回の記事中で記憶にあるのは京福事故だけですが、これは以前休眠される前にもご紹介がありましたのでパス、あとは残念ながら記憶に残るものはございません。ただこれではコメントになりませんので、思うところのある「はやぶさ」の連結器不具合に関してコメントさせて頂きます。記事によりますと、①藤生駅まで戻った、②同駅で故障車を切り離した、③所定ダイヤより1時間18分遅れで運転再開した、④後続列車は21分~51分の遅れで再開した、とのことですが、なんと素晴らしい対応だったのでしょうか。特に②の切り離しは、単に故障車を存置するのではなく、「入換え」を行っている点に注目したいと思います。藤生駅は最近は知りませんが副本線が備わっていたはずで、入換は比較的容易に行えたと思われますが、問題は3両目をどのようにして切り離したかです。2両目は機関車が牽いて一旦柳井方に引き上げ、バックして入替えたことは容易に想像がつきますが、3両目の切り離しはそう簡単ではなかったはずです。想像するに2両目を留め置いた機関車が再度戻って3両目を牽いて来れるなら話は簡単ですが、おっとどっこい、3両目の連結器は故障していますから前方へは牽けません。となれば、ここからは模型的発想になりますが、2両目を留め置いた機関車は一旦前方に引き上げてから、空いている線路を使って機回しして本編成の後部に連結、3両目を残して充分後方(岩国方)へ引き上げます。その後本編成を残して3両目の後部に連結、更にバックして転線し、先に留め置いた2両目に並べて留め置き、バック~本編成と連結~運転再開したものと思われますが、これだけの作業を1時間余りでやってのけた点に、当時の国鉄魂を感じます。これ以外にも条件次第では他の方法もあったかもしれませんが、いずれにしても現在なら即運転打切りか数時間の遅れになるのではないかと思われます。当時のなんとしても目的地まで届けたいという熱意(現在では代替輸送等の条件が激変していますが)が伝わってくる話ではと思います。

    涌田さんの訃報に接し、ご冥福をお祈りしたいと思います。同年代や親しい方が亡くなられるのは淋しいですね。仰るように本当に温厚な人でした。怒られたところを見たことがありませんでした。また主に模型をされていましたが、会の活動にも積極的に参加される数少ないお一人でもありました。ぷるぷるさん繋がりでご一緒したことも多く、明日告別式に参列してお別れをするつもりです。

    • 1900生さん
      なるほどその点に気を遣うと気になりますね。
      私は気軽に同駅にDD13が留置してあったのでは?と考えました。気楽すぎるかな?
      なお、京福の事故は以前の記事の事故とはちがいます。連続で起きた事故で、これが原因で一部が廃線になったように思いますが、マルーンさんちがいますか?

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