昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈6〉

大阪市バスを撮る (昭和50年5月)

本欄では、鉄道に劣らずバスの人気も感じています。先ごろ、観光バスのカラーにも多くのコメントを頂戴しましたが、大阪通信員さんからは、住まいの近く観光バス事情についても報告をいただきました。大阪の市バスも大変革を遂げました。大阪メトロから運行を受託された外郭団体の大阪運輸振興は、2014年には「大阪シティバス」として新発足、現在は、万博輸送も担っています。いちばん目立つ外部塗装も、目まぐるしく変わっていて、ずっと同じ塗装の京都市とは対照的です。そんな懐かしい昭和の時代の“ゼブラバス”をカラースライドの中に見つけました。先に発表した阪神国道線のカラーのなかで、中津の電停前、国道176号を行く大阪市バスを撮っていた。2台が続行していて、前は昭和47年から塗り替えが始まった新塗装、後が当時の塗装、通称“ゼブラバス”。

資料によると、この塗装は昭和32年から始まったと言う。当初は緑に白のラインだったが、ワンマン車は、それを示す赤帯が入った。大阪は、日本で最初にワンマンを導入したほか、大阪独自のバスも見られた。写真は、1970年製のいすゞBA型(梅田)。

こちらは1966年製の三菱ふそうMR系、サイド右下に1両ごとの固有番号が記されていて、これを読み解くと、製造メーカー、製造年が分かる。最近は、復刻塗装として、各営業所に1台ずつゼブラ塗装の新車が配備された。

クリームに黄緑の新塗装に塗り替えが進行していた。旧塗装に比べ、ずいぶんシンプルになり、塗装費の削減にもつながった。現在の大阪シティバスの主流を占める、クリームに太い緑帯は、この新塗装の亜流として、新塗装の第二世代に当たる。

 

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈6〉」への17件のフィードバック

  1. 2枚目のゼブラバスに目が釘付けになりました。手間を惜しまず良いものを作るという矜持さえ感じます。模型をされる方ならよくわかってもらえると思いますが、色を塗る順序や、マスキングの手間を考えると面倒な作業になったことでしょう。で、現在の大阪シティバスを検索すると、なるほど、効率重視のあっさりとしたデザインでした。
    それにしても感じるのは早くから多様な被写体にカメラを向け、しっかりと記録を続けてこられた総本家様の撮影姿勢です。思えば私も撮影で各地へ行きながら、バスを撮ることはありませんでした。駅舎やマンホールのふたは1990年代から写していたのに、考えが至りませんでした。で、今はその反省からか、目に留まったものは片っ端から写すという暴挙に出て、「飛び出し坊や」にまで手を出す始末です。
    添付の画像は1993年3月に桜島駅駅前で撮った、唯一の大阪のバスです。

    • 紫の1863様
      その“暴挙”の姿勢に賛同です。気の向くまま、何でも撮りましょう。よく言っていることですが、一枚撮るのにウン万円掛けて遠方へ行き、他人と同じ葬式鉄写真を撮るよりも、はるかに有効な活動です。いまも走っている“ゼブラバス”として、市営交通110年記念で走っている、復刻塗装の新車ゼブラバスを載せます。

  2. 総本家様
    大阪市バスのゼブラ、私も1枚写していました。このシリーズ<4>の阪神北大阪線を野田阪神で撮った時にバスのリア部分がたまたま写っただけですが・・・。大阪市バスは阪急京都線の上新庄が高架化されてない当時、37系統が良く踏切で停まっていた記憶があります。
    因みに京都市バスの現在のカラーリングは昭和29(1954)年3月に市電白川線が開通した時に変えられたようですので、歴史は71年になります。

    • 勘秀峰 さま
      いまは北大阪線の跡を走る代替バスの阪神バスもなくなり、路線バスの走らない地域となりましたが、この時は、市バスの大阪駅行きも走っていたのですね。たしかに、大阪駅へはショートカットして行くことができます。バスのリアの様子からすると、大阪市バスでよく見られた床下にエンジンを置いたセンターアンダーフロア車(BT型)の可能性もあります。BTは、いまも1台保存されていて、「バスまつり」にも出場していました。

  3. 総本家青信号特派員様
    カラーではありませんがこんな写真がありました。1968年12月の市電の電停「京阪東口-大手前」間ですが、市電の写真を撮っている時に市バスが割り込むとシャッターを押さないことが多くありました。どちらも電停もバス停も同じ名称の「あべの橋」行ですが、市電の行先表示は「あべの」となっています。この頃の大阪市バスでは対面式のボックス席の車両があり、進行方向に対して逆向きに座る席がありました。

    • 快速つくばね
      コメント、ありがとうございます。路面電車を撮っていると、横にバスが並ぶケースがありましたね。これを、邪魔ととらえるか、好機ととらえるか、私はできるだけ撮るようにしました。バスのほうが改廃が激しく、これはこれで、時代の記録としては貴重だと思っています。向かい合わせのシートありました。京都にもありましたが、タイヤハウスの突起の処理として、反対向きのシートを置いたものですが、さすがにバス車内で、ここに座ると乗客の視線が気になり、姿を消しました。大阪市バスの三代カラーを“バスコレ”で表しました。

  4. 自分が想像する昔の路線バスレトロ車バスたくさん
    味 趣 風情 情緒 濃厚
    スケルトンバスがいないのが好ましい

    • 総州6RAさま
      コメント、ありがとうございます。そうでしょ、味、趣、風情、情緒、すべて備えた昭和のバスです。これからの気の向くまま、懐かしいバスを載せていきます。

  5. 総本家青信号特派員様
    懐かしい大阪市バスの写真、ありがとうございます。
    大阪市電や市バスの前後に、市の紋章とともに「しずかに」の表示がされていたのを思い出しました。1963年生まれのわたくしが初めて読めたひらがなで、強烈に印象に残っています。
    なんで、大阪の市電や市バスにそのような表示があったのかなあと調べてい見ると、当時、やたらクラクションを鳴らす時代であったことから表示されたという説にたどり着きました。
    都電や京都市電、他の公共交通機関に表示されていないことを見ると、大阪人がよほどせっかちだったんでしょうね。

    • デカンショまつり号さま
      大阪に縁の深い方にとっては、このバスの塗装は懐かしいことと思います。これもカラーなればこそと思います。「しずかに」の表示、意識しなかったのですが、市電の写真を探すと、ありました、ありました。文字だけではなく、デザイン処理がされています。古い写真を見ても、少なくとも昭和30年代の半ばには、この表示がありました。ちょうど街が高度成長時代に入り、騒音が社会問題化した時代です。

      • 総本家青信号特派員様
        ありがとうございます。
        まさにこれです。
        大阪市営の市電・市バスしか見たことがありません。さすがに地下鉄にはありませんでした。

  6. 1975年6月7日撮影、「大阪2あ5555/45年式B820J」当時の超低床バスです。1両のみの在籍でした。

  7. 関西では珍しい北村製作所製の車体を架装した車両もあり、大阪駅前でも見られました。
    1975年6月7日撮影、「大阪2か7260/44年式4R94(日産ディーゼル)」
    上の「大阪2あ5555」は、「大阪2か5555」の誤りです。

  8. 1971年には、電気バスが2両投入されました。
    1975年6月7日撮影、「大阪22あ476/46年式EU05」

  9. ゾーンバス支線系統の「大阪22あ1695/49年式B623E」
    1976年6月10日、長吉車庫

  10. こんなバスもありました。
    「大阪22あ3556/54年式MK115H改」、1981年6月25日、春日出車庫

  11. 特派員様が撮影されたバスの年式と形式は、以下の通りです。
    大阪2か3590/41年式BT51(日野)
    大阪2か3496/40年式BT51(日野)
    大阪2か1982/45年式BA30(いすス)
    大阪2か5403、大阪2か5441/41年式MR510(ふそう)
    コメント欄の保存車、大阪2か3367/39年式BT11
    廃車後、個人の方が解体業者を通じて入手され、京都府内で保存されていましたが、手に負えなくなり、大阪市交通局に引き取ってもらったという経緯のバスです。
    画像の「大阪2か3724」は、45年式BT100(日野)で、1975年6月6日の撮影です。

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