リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 12

ひたちなか海浜鉄道の続きの投稿を半ば失念していました。いささか新鮮味を感じられない内容ですが、ご容赦ください。

湊線アーカイブと未来の展望

湊線初乗りは1993年。20系気動車の天下

当時の茨城交通湊線に初めて乗ったのは平成5(1993)年9月26日でした。現在走っているキハ3710はまだなく、JRでは殆ど見られなくなったキハ20系が中心となって活躍していました。新鉾田→常澄まで鹿島臨海鉄道に乗り、2.5キロ近くを歩いて那珂湊駅までやってきました。駅に隣接して車庫があり、道路からも写せました。駅のホームからも車庫で休む車両が撮影できました。

日本最初のステンレスカー、ケハ601

上は1993年。下が2008年のケハ601。台車は外されていた

車庫で異彩を放っていたのはケハ601。我が国で最初のステンレスカーで昭和35(1960)年新潟鐵工所製で海に近い湊線に試験的に導入されましたが、液体式でありながら総括制御ができないなど使い勝手が悪く、訪ねた前年の1992年に廃車になりました。2008年に確認した際には台車が外されてはいましたが、車内公開中の張り紙があり、現在でもギャラリーとして使われているそうです。

終点阿字ヶ浦のムード

那珂湊から終点の阿字ヶ浦まで乗りました。付近に海水浴場があり、かつては国鉄が上野から直通急行の運転がありました。たくさんの海水浴客用に設けられた臨時の改札口が昔を物語っています。まったりした雰囲気の終着駅の周辺にはサツマイモ畑が広がっていました。写真上、女性が歩いている方向に国営ひたち海浜公園までの延伸が計画されています。(下参照)

東日本大震災の影響
2011年3月11日の東日本大震災は茨城県内でも大きな被害がありました。湊線も路線が被災し、全線で不通となりバスによる代行輸送が行われました。その後復旧が進み段階的に運行を再開し、同年7月23日に全線復旧となりました。
2011年の大型連休中に訪ねた笠間では茨城交通バスに「がんばっぺ!茨城」の文字が

国営ひたち海浜公園までの延伸計画
終点の阿字ヶ浦から北へ延伸、駅から国営ひたち海浜公園の南口を通って公園西口まで約3.1キロの路線は2021年に事業認可されましたが、新型コロナの影響や物価高騰を受け、遅れていました。2024年11月、途中の公園南口まで1.4キロの工事認可を国土交通省に行いましたので早ければ2030年の開業を目指して、用地取得や工事を進めるとしています。この区間の事業費は59億円余りで、海浜鉄道側が18億円、自治体側が41億円余りを負担することにしていて、海浜鉄道やひたちなか市では国の補助金も活用して延伸事業を進める方針です。開業後は年間200万人の来場者がある海浜公園や沿線の工業団地のアクセスが期待されています。オーバーツーリズムは困りますが、湊線が現在よりたくさんの乗客で賑わうことでしょう。

リハビリを兼ねた関東からの日帰り旅 12」への2件のフィードバック

  1. 勘秀峰様
    前回は先走りのコメント申し訳ありませんでした。
    「ひたちなか海浜鉄道」(当時は茨城交通)に初めて乗車したのは1969年8月2日に上野から勝田を経由して阿字ヶ浦に乗り入れていた夏臨の海水浴列車として運転された急行「あじがうら」でした。この列車は6両編成でしたが水郡線用の予備車両の寄せ集めで、中間にはキハ20も連結していました。
    当時の常磐線は上野-取手間の国電区間を走行する可能性のあるすべての運転席のある先頭車両に1962年に発生した常磐線三河島駅における脱線衝突事故への対策のひとつとして開発された常磐線列車無線(防護無線と通話用無線機)の搭載が1966年3月から義務付けられました。このため搭載は松戸・勝田・仙台区の電車、田端・水戸・内郷区の電気機関車(EF80)、田端・佐倉区のディーゼル機関車(DD51やDE10)、水戸区の気動車の車両が対象となりました。
    したがって「あじがうら」も前後の先頭車は上野まで乗り入れていた急行「ときわ・奥久慈」で使用されるキハ58かキハ28になっていました。その後、1985年から鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の開通にともない水戸まで急行「おおあらい」を併結するようになりましたが、レジャーの多様化による海水浴の衰退と水戸地区の気動車の減少により運行が取りやめになってしまいました。
    阿字ヶ浦駅のホーム片面を使用したキハ222形をご神体とする「ひたちなか開運鐵道神社」です。延伸工事が始まるとどこかへ移築されるのでしょうか。(2023.6.15)

    • 快速つくばねさん、直通気動車ほかの件、コメントありがとうございます。「あじがうら」は6両編成で先頭車以外は水郡線予備車両の寄せ集め、でしたか。臨時海水浴列車とはいえ、すごい編成ですね。一回見たかったなぁ。
      2008年訪問の際撮影しました、初期国鉄カラーのキハ222が阿字ヶ浦に留置されていることは調べて分かったのですが、何とご神体ですか!しかも鳥居
      は鉄製でさすが「開運鐡道神社」ですね。

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