続いて日豊本線にあった南延岡機関区です。大分~宮崎のほぼ中間にあり、運輸上の要衝でした。おもに配属されていたのはD51で、昭和43年当時は15両が在籍し、大分~宮崎の貨物列車を牽引していました。ほかに、当時はまだ走っていた細島線(日向市~細島)の貨物用、南延岡などの入換用に8620、日ノ影線(延岡~日ノ影)の貨物用にC12が配属されていました。当時から南延岡では、延岡の代表企業である旭化成からの貨物の発着がありました。現在でも、鉄道の現業部門は無くなりましたが、旭化成の専用線は残って、日豊本線のコンテナ貨物も南延岡を始終発としています(以下、特記以外昭和43年3月)。
▲立派なコンクリート製の扇形庫があった南延岡機関区。その前の側線で休む宮崎区のC5747 南延岡は、旅客列車の行き先として多く、当時は運輸上の要衝だった。ラウントハウスに名称を大きく標示しているのは全国的に見られた。
▲庫内でプレート付近しか写せなかったD51 9 九州のマメクジD51のなかで、吉松の8、鳥栖の10とともにナメクジ若番三羽烏だった。
▲貨物を牽いて宮崎に到着、C57の横を過ぎて行くD51 12 昭和23年から南延岡に在籍していた。▲美々津にて 交換した貨物を牽くD51 12▲回送中の客車も組み込んだ貨物を牽いて大分に到着したD51 485 廃車後、延岡市内の公園で保存展示されている(昭和42年3月)。▲大分運転所の扇形線で並ぶ3機 手前はD51 880
▲細島線の貨物用、南延岡の入換用に3両の8620がいた。48693は製造直後の昭和5年から南延岡に配属、斜めにカットされたデフで、ずいぶん違った印象を受ける。
▲もう一両の8620、78626 廃車後は福岡県遠賀町の公園に保存展示中。
▲C12は2両いて、日ノ影線で貨物を牽いていた。C12 55は戦前、昭和14年から南延岡に配属されていた。日ノ影線は、高千穂まで延伸された昭和47年に高千穂線と改称され、平成元年には第三セクターの高千穂鉄道として再発足したものの、台風で鉄橋が流出し、休止・廃止となった。
残暑の厳しさにお見舞いを申し上げます。
昨日、佐志生の沖にある黒島に遊びに行ってきました。
半世紀前の大分時代に、泊りがけで家族旅行した思い出が残っていますが、行きも帰りも幸崎以南なので、DF50の引く客車列車でした。
1971年の夏だったと思います。
上りは、大分に3時過ぎに着く長編成で、重連だった記憶があります。
その時に鶴崎でD51 949の引く貨物列車を追い抜いて、停車中に父に撮影を頼んだのがこの写真です。
私も同年くらいから、写真を写すようになりました。懐かしい1コマです。
D51 949ですか! 私も撮っていますね。家族旅行の途中に撮られたのですか。鉄道、とくに蒸機には、しっかり番号がありますから、思わぬところで、共通項が出てくるものです。
返信ありがとうございます。6月からの仕事は、コロナ第2派で全く上手く行かずに、内地に戻りたい昨今です。
県外への移動自粛が出ていますが、青春18切符で豊肥本線などを見て来ました。