やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㉓

宮崎機関区(3) C61

昭和46年10月、奥羽本線の秋田~青森の電化が完成しました。およそ宮崎区の蒸機とは、何の因果もないはずと思われていたところ、余剰となった青森区のC61が6両とも宮崎区に転属することになりました。今までも、状態の悪い蒸機の代わりに、検査期限に余裕のある蒸機を長距離転属させる例は、多く見られましたが、異なる形式が全機転属という例は珍しいことでした。国鉄の財政状況が逼迫していて、見張り番の会計検査院からの勧告があったと言われています。C61は東北での実績から、勾配区間の宮崎~鹿児島に投入予定のところ、ストーカーが十分に発揮できずに断念、結局、平坦区間の南延岡~宮崎に変更されました。

青森から宮崎に移ったC61、補助灯を付けた東北スタイルのまま、南延岡~宮崎で客貨列車を牽き始めた。537レを牽くC61 24 宮崎神宮~宮崎(昭和46年12月、以下すべて)

C61

青森区から転属したのは、 2、18、19、20、24、28の6両、昭和47年3月改正で、南延岡~宮崎の客貨は、すべてC61牽引に置き換わり、C57は相当数が廃車・転属となった。なおC612は、宮崎区でしばらく働いてから、梅小路蒸気機関車館に移動され、動態保存されている。残りの5両も昭和48年には休廃車となり、実働期間は短かった。

佐土原~日向住吉で541レを牽くC61 18 九州のC61は、昭和45年10月の鹿児島電化ですべて消えたが、再び日豊本線で見られるとは、思いもよらないことだった。C6119 昭和46年9月に青森から宮崎へ転属した。補助灯が台座の上に載せられて他機より少し高い位置にある。 高鍋 C61 19は、昭和48年10月に休廃車となり、現在、霧島市の城山公園で保存されているが、野外のため、かなり荒廃していると言う。小丸川を渡るC61 19 この橋梁は訪れた年に鋼桁からPC桁橋に架け替えられた。長さは802mで、当時、鉄道橋としては世界最長のPC橋だったと言う。川南~高鍋宮崎区に憩うC61 19ほかのC61、宮崎区はたいへん狭い区で、扇形庫もなく、大型の給炭台もなかった。給炭は、背後のやや高くなった側線に石炭を積んだ無蓋車・石炭車を運び上げて、クレーンで給炭していた。

 

97レを牽引し小丸川を渡るC61 20 列車番号だけを見ると高速貨物のように見えるが、末端区間だけに、一般の貨車も混結している。C6 120  ほかの僚機とともに宮崎へ来た。 高鍋C61 20は、昭和48年8月に休廃車となったが、そのあと、なんの縁もない、群馬県伊勢崎市の公園に保存されたことが幸いした。動態保存機を探していたJR東日本の目に留まり、動態復活することになり、いまもJR東日本の各地でイベントに供されている。さて、このC61 20、JR東日本で動態保存された際、鉄道出版社から現役当時の同機のリクエストがあった。九州は難なく集められたが、問題は東北時代だった。他機はあるのに、意外と出てこない。これに応えていただいたのが、準特急さんと奥山さんだった。どちらも本線で列車を牽いている晴れ姿を提供していただき、めでたく誌面を飾り、クローバー会の層の厚みを感じたものだった。高鍋~日向新富C61の運用は南延岡~宮崎と言われていたが、この写真のように大淀川を渡って行く姿も見られた。客車が留置されている南宮崎までの回送が設定されていたようだ(機号不明)。

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㉓」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    盛岡から一関まで乗車した臨時急行「ひめかみ」の牽引機がC6120でした。奥羽、日豊両線ではその後同機に出会うことがありませんでした。この写真は群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園に保存されていた2002年3月10日に撮影したC6120でかなりボロボロになっていました。九州各地のC57は懐かしく拝見させていただきましたが、この後に続くC58は貴重だと思います。門鉄デフの美しい姿や久大線にも入ったこと、豊肥本線の走行写真がそれです。

    • 準特急さま
      「ひめかみ」、いかにも東北らしい、懐かしい響きですね。調べると、初代は昭和41年まで走っていました。C6120に関しては、準特急さんから、東北時代の写真をたくさん見せていただき、とくに雑誌社からは足を向けて寝られないと感謝されています。奥山さんのなかから発見されたのも劇的でした。

  2. 日豊本線でのC61の活躍、拝見させていただきました。転入間もない頃は副灯を付けたままだったのですね。「鉄道ファン」で知ってはいたのですが、中学生の身では現地へ行くことなど夢の夢でした。
    昭和48年8月になって、ようやく憧れの宮崎を訪問できましたが、2号機は既に梅小路入りし、24・28は廃車になっていて、18・19・20の3両が残るだけでした。
    高鍋で「みやざき」を降り、小丸川へ歩くつもりでしたが、「臨時急行をC61が牽いてくる」と同業者に教えてもらい、宮崎寄りでカメラを構えました。九州の夜明けは遅く、まだ太陽が昇る前でしたが、12系客車の先頭に立つC61 18を写すことができました。ところがこの列車が何者なのか、長い間分かりませんでした。最近ようやく当時の時刻表を入手したところ、「日南51号」と判明しました。岡山発宮崎行きで、お盆の期間に10日間だけ運転されていました。12系客車ですので冷房完備です。全車指定席でしたが、乗客には好評だったでしょうね。
    臨時列車とはいえ、C61が牽く急行列車に出会えて幸運でした。

    • 紫の1863様
      思い出のC61急行の写真をありがとうございます。私は日豊本線C61の出逢いは、紹介した昭和46年12月だけで、それ以降は知りませんでしたが、付けていた補助灯も撤去されていたのですか、初めて知りました。「日南51号」は、新幹線岡山接続の臨急ですね。12系客車といい、この時期ならではの、貴重なC61急行です。

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