昭和の電車 改訂版(80)ー阪急電鉄802号+852号ー

この「アロハ特急」について前回は乙訓の長老から「小学校の遠足で乗ったけど写真はない」と書き込みがありました。

さらにマルーン会長からは阪急の機密情報を漏洩しての投稿がありましたので再度漏洩致します。
デービスさんのカラー写真を期待してお待ちします!
以下、マルーン会長からの情報

《存じませんでした。もちろん!?
昭和25年3月から6月まで「アメリカ博」が西宮球場を中心に開催され好評を博したことは、伺っていましたが・・・
私なりに調べてみました。

①京阪神急行電鉄五十年史
同書49ページ神戸ー京都間特急列車運転開始の項に昭和24年12月3日より二連、運転時分70分、停車駅は西宮北口、十三、高槻市、西院の4駅、複電圧対策として、二個の電動車の直並列切換によりきわめて簡単な600V、1500V両用電圧列車の実現をみ、9月中旬数回の試運転を行って予期以上の好成績を得た。運転時分は十三のスイッチバックに3分を見て70分とした。最高速度は京都線で110キロ、神戸線で90キロ程度である。

同じく102ページ戦後輸送復興に邁進の項が始まり、103ページの左上に旧700-750型車両の写真があります。(モノクロ)これが丁度記事のイラスト同様の塗色なのですが、行き先円板部分のカーブラインの塗色が白っぽく写っており色合いが違っているようです。これに関しては104ページに、かねて計画中であった神戸ー京都間の直通特急に使用した車両は神戸線専用の702号・752号および703号・753号の二列車で、阪急独特の複電圧用に改装運転された。とされています。

②阪急電鉄75年の歩み(写真編)
同書67ページ昭和24年のページに753号を先頭の多分マルーン単色の写真と特別座席が設置された車内写真(ラウンジカー風情)とその下に800系(昭和24年製造)の写真があり、これはまさに関先生のイラスト同じものと思われます。

③特派員氏編集協力による、山口益生著「阪急電車」
同書34ページに複電圧による京都ー神戸間の直通特急の写真が(50年史単色の物)掲載
同書95ページに50年史2色塗り分けの写真が掲載されクリームとブルーに塗り分け塗装となった803・853と記載されています。また、同じページには塗色に関しては、昭和25年4月車番を変更のうえ(800番台に)アメリカ博宣伝のため、801~803の3編成がクリームとブルーの塗り分けとなったと記載されています。

乙訓の大老様
十三のスイッチバックといえば、日本万国博覧会開催中の「EXPO直通」を思い出しました。
2000や3000そして1010型が京都線に乗り入れてきました。ドアスイッチやベルの位置が神宝線仕様は京都線仕様と異なり、慣れるのに手間取った思い出があります。今でもまだ電気系統の位置や空気関係の位置など阪急仕様、新京阪仕様は5100型で統一となる予定でしたが元に戻っているようです。車掌スイッチの位置は統一されているようですが・・・
あの頃は元気な時代でした。》

昭和の電車 改訂版(80)ー阪急電鉄802号+852号ー」への20件のフィードバック

  1. なにやら、コメントがなく寂しそうなのでちょっとコメントを少しばかり。「アロハ特急」の色を見て気が付いてのですが、その前に南海「なると号」。これはクリーム色と、なんと言ったらいいのか明るい空色が下側に塗られたツートンカラー。色は「アロハ特急」の正面にある色と似ています。そして、阪神には初代のジェットカー(5001形)が明るいグリーンにクリーム色のツートンカラー。「アロハ特急」が昭和25年に登場して、「なると号」が昭和30年、そして阪神の「アマガエル」と呼ばれていた初代ジェットカーが昭和33年と、気持ちが明るくなるような電車が続けて登場したのは時代がそうしたのでしょうか。

    • 私見ですが、長い戦争の期間が終わり一気に解放された爽快感が塗色にも反映されたのでは、と考えます。
      ちょうど現在の自宅謹慎が解除されたときの開放感と言えばどうでしょうか?
      アメリカ博だったかどうかは覚えていませんが、この頃に博覧会ではじめてコーラを飲みました。ポップコーンも食べたのですが、コーラの風味だけは忘れられず、大学生になったときに改めて飲んで「アッ、この味や!」と思い出しました。私は昭和20年代から30年代前半までの時代雰囲気が大好きです。

        • 井原さん、世間の自粛警察の話です。
          私は皆様もご承知のように品行方正・真実一路・公明正大な人生を歩いております。

  2.  どですかでん様仰るように、終戦後から高度経済成長時代へ向けて様々なチャレンジがなされた中で、明るい未来へ向けての気持ちを電車に顕した時代背景があるのかもわかりませんね。
     アロハ特急はあくまでも西宮球場で大好評裏に終えた「アメリカ博」用の特別塗装色であったようですが、このような明るい色合いが人々の気持ちをウキウキさせた一面があるのかも知れませんね。
     
     

  3. 米手さまより、デービスさんのカラー写真を期待されましたが、彼が来日したのは昭和28年と聞いています。残念。 しかし折角に声を掛けて頂き、いつも楽しませて頂いているデジ青の皆様に御紹介できる記録はないかと探してみました。その甲斐あって、発見しました! この写真は、亡くなった国電研究家の吉田明雄さんから頂戴したアルバムにあったものです。しかし不思議なことに、元記事の関先生の解説には、出て来ない電車です。アルバムにあった添書きは「“宝塚線”アメリカ博電車 385 池田にて」とあります。撮影日がないのが残念ですが、アメリカ博開催時の昭和25年頃なのでしょう。小生の生まれる前の話ですし、だいたい小生は阪急と云われても、識別できるのは2800形くらいの阪急音痴です。デジ青には、阪急なら任しとけ!、と云う方が大勢おいでと思うので、どうか解説頂きますよう。

    • 宮崎繁幹様、
      さっそく関先生にご注進致しました。
      別途、マルーン会長も参戦すると思われますので、今しばらくお待ちください。

    •  宮崎繁幹様
       いつもありがとうございます。
       こんな電車があったのですね!貴重な写真を拝見してびっくりいたしました。
       380型は宝塚線用に昭和11年6両建造されたとあります。(50年史) 75年のあゆみ(写真編)には昭和11年の項に白帯塗装された383の写真が掲載されています。この塗装に関する資料がありました。山口益生著「阪急電車」61頁380型の項に385は押込通風機の試験車両であり昭和25年3月から西宮北口で開催されたアメリカ博の宣伝のため黄とマルーンの2色に塗装されたものである。とあります。
       この写真は本当に貴重なものではないでしょうか?
       これ以上は分かりません。
       ちなみに382が連合軍専用車になった白帯の写真が掲載されています。382と383は戦後連合軍用として走っていた時期があったのでしょうね。
       

      • マルーン会長さま
        誠に失礼ながら恐懼してお尋ね申し上げます。
        文中、「昭和11年頃に白帯塗装して」とありますが、昭和21年頃の間違いではないでしょうか?
        阪急の重鎮に間違いなどあり得ませんが、こっそりとお伺い申し上げます。

        • 米手様 昭和11年10月建造されたとあります。
          白帯云々は75年のあゆみ(写真編)の昭和11年の項、(頁に読み替えてくださって結構ですが)に380型の写真として掲載されたいました。それが昭和11年建造当時の写真かどうかは分かりません。
           なお、380型5両は昭和50年廃車、383は能勢電に昭和52年に譲渡、昭和60年廃車とのことです。
           頼りないことで申し訳ありません。

          • マルーン会長様
            失礼しました。白帯を進駐軍専用車だとしたなら、これは昭和21年だろうと考えました。
            阪急の知恵袋・マルーン様に異議を申したことをお許しください。

      • マルーンさま 早速に、調査して教えて頂き、有難う存じました。そんなに珍しい記録とは思いもしませんでした。デジ青はいろいろなことを知るキッカケを与えて頂ける、有難い存在と感謝して居ります。

    • 380系のアメリカ博塗装の写真初めて見ました。
      趣味誌で写真として取り上げられたのは、800系ばかりで、380系で存在したことは、このデジ青で初めて知りました。JTBパブリッシング刊山口益生著「阪急電車」のp61にその記述がありますが、写真はなく、連合軍専用車の382の写真か掲載されているだけです。これは、阪急の歴史上、大発見だと思います。
      今後、発刊される趣味誌の380系の項では、能勢電に移籍して再起したのは、383だけだったとか、連合軍専用車は、という記述とともにこの写真も取り上げてほしいものです。

  4. 本題からそれてしまい申し訳ございません。385の写真です。撮影は1966年12月2日です。本来宝塚線用の車両ですが、私が中学生になったころそれまでの今津線500+300+500の3連の今津よりに320形とともに連結され小型車4連、5連となって使用されました。500、300、320、380は私個人としては通学に利用した思い出の車両です。

  5. 宮崎繁幹様、マルーンさん、準特急さん、
    昨日、関三平先生から385を含めて「アロハ特急」に関する追加説明を送って頂けることになりました。メールによるご連絡は「385の他、京都線のフキ1500が同色でした。他に801+851がアロハ塗りの逆配色でした。長くなるので手紙で送ります」となっております。楽しみにお待ちください。

  6. 阪急西宮ガーデンズの5階に阪急西宮ギャラリーという小さな資料室があります。ここに802+852の1/20縮尺の模型が展示されています。

  7. ガラスケースに映り込みがあるのはご容赦ください。展示室のスタッフに許諾を得て撮影しています。

  8. そして西宮球場があった頃の1/150サイズのジオラマにはダイヤモンドクロスも再現されています。

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