昭和の電車 改訂版(51)ー神戸電鉄300型ー

私にとっては生涯(おそらく)全く縁の無い私鉄ですが、一度だけ乗ったことがあります。震災の一週間後、元町の得意先へ見舞いに行くため初発の福知山線に乗り三田へ、そこから神戸電鉄で谷上へ出て神戸高速に乗り換えて三宮まで行きました。地下から地上へ出たとき見た惨状は一生忘れられません。

最近経営を巡ってなにか新聞紙上で話題になったような気がします。

昭和の電車 改訂版(51)ー神戸電鉄300型ー」への8件のフィードバック

  1. 神戸電鉄301の写真がありました。現役時代に鈴蘭台車庫を見学した時のものです。クルクル式の行先表示が取り付けられているので車番の位置が正面から見て右下になっています。これもカルダン駆動とか。当たり前であるが、カルダンとはピエールカルダンが考えた駆動方法とは真っ赤な嘘。気軽にカルダン駆動とかいっているがいったいどういうことなのでしょうか。ブルーバックスの「図解電車のメカニズム」には「ちなみにカルダン式とは、たわみ軸継手が、イタリヤの数学者ジェロラモ・カルダーノ(1501~1576年)の考案がもとになっているので、その名でよばれている。」とありました。これによく似たのが狩人の歌の「℃のC」で有名なスウェーデンの学者セルシウスの名前と摂氏との関係と似ています。ところが、これはたわみ接手ではなく、自在継手(ユニバーサル・ジョイント)で、電車の台車に組み込まれてあるカルダン駆動には寸法的にはちょっと難しいと思われます。ただしひょっとしたら、直角カルダン駆動であれば寸法的に可能かもしれません。カルダン継手が使っていなくても動力側と駆動側の軸が自在に動く駆動方法をカルダン駆動と呼ばれているとのことです。一つ謎が解けたのでありました。

    • 目からウロコです。
      いままでピエールカルダンが作ったと思っていましたから。たしか、大阪通信員さんが弘風館の前で教えてくれた記憶があります。

  2. 米手作市先輩 投稿を拝見して懐かしさで一杯!です。小生昭和52年4月から1年間父親の転勤で神鉄大池駅近くに住んでいました。大池から新開地乗換で花隈の予備校まで、毎日登山電車?で予備校に通っていました。無味乾燥な電車ばかりで異彩を放つ300系の電車、当たると嬉しくてひとりはしゃいでいました。
     先日神鉄OBのお二人とお会いでき懐かしい思いをしたところ、またまた懐かしい投稿を拝見、嬉しい限りです。私的な感想まで・・失礼しました!

    • おとりんさん、
      お久しぶりです。投稿ありがとうございます。
      神戸電鉄となると、なかなかレスポンスが無くさみしく時を過ごしています。これに乗ってられたのですね。その頃の写真やエピソードでもあれば見せて頂けたらと思います。

      • 米手作市先輩
        ご返信ありがとうございます。当時は写真を撮る行為は全くやっていませんでしたので何もご披露するものがありません。ということで写真2枚お送りします。
        1枚は昨年7月DRFCの裏?OB会で大阪へ行った際新開地駅で撮った3000系、昭和52年当時に走り出した最新車両でした。
        もう1枚は当時の乗車券、定期券です。硬券の乗車券、神鉄各駅には券売機がなかったのでしょうか?記憶にはありませんが・・・
        以上です。今後とも投稿楽しみにしてます!

  3. おとりんさん
    投稿写真を見て改めて神戸電鉄の規模を認識しました。
    関先生が「神戸の準大手私鉄」と書かれていますが、私には六甲山の裏をトボトボ走るローカル私鉄、感じとしては鞍馬電鉄程度としか思っていませんでしたが“なかなかのもの”と再認識いたしました。
    神戸電鉄さん、ごめんなさい

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