昭和の電車 改訂版(14)ー阪急電鉄202号ー

これは『阪急電車』であり、昭和47年まで現役であったので誰か写真を貼ってください。

これから反応によっては一週間に二回投稿する場合もあります。なにぶんにも数が多いので人気(コメント)のある記事を優遇致します。

昭和の電車 改訂版(14)ー阪急電鉄202号ー」への5件のフィードバック

  1. 写真ありました。阪急平井車庫で1973年11月29日に撮影したものです。昭和48年です。昭和47年に廃車となったようですが、写真で見るようにきれいな状態です。車籍が抹消されていたのでしょうか。ウィキペディアによると、4202は202号の使える部品を利用して二代目202となり、そして4202号になったようです。だれか詳しいことを教えてください。

  2. その反対側は運転台のうしろに部屋が作られていますが、幅はせまいで何に使ったのでしょうね。

  3. 何でもお持ちのどですかでんさん!
    よく見るとパンタの位置が変わっていますね。後部の車体部分は明らかに増設されています。関先生が書かれているように、職員の待機場所、または喫煙所ではないでしょうか?だれか教えて!準特急さん!

  4.  残念ながら、車両に関しての知識は何も持ち合わせていません。
     その昔、車掌見習の際お師匠さんから「貨車に乗ってみるか?」といわれ、もちろん「はい」と返答。京都線でしたからこの車両とは違いますが、荷台に工事担当者と資材を積んで、正雀から営業終了後の本線を星空を見ながら確か水無瀬、大山崎間の現場に行ったことを思い出しました。
     車掌は何をするわけではなく、漆黒の静かな空間で作業が終わるのを待ち、夜明け前には正雀に戻りました。
     煙草は荷台の上で吹かしていたように記憶しています。
     貴重な経験だったと思います。

    • マルーン様
      京都線の「貨車」とは、これでしょうか?
      手前が4002、奥の方は車体中央にクレーンを備えた4001です。敷地の外から金網越しに写したため、真ん中に電柱が入る見苦しい写真で申し訳ありません。
      見学を申し出ると職員の方が案内をしてくださり、運転室にも乗せていただきました。「デッドマン装置が付いていて…」と説明してもらったのですが、当時は訳が分かりませんでした。4001・4002のどちらだったのか、今では記憶も無くなってしまいました。

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