昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー

子供のころ、大丸の模型売り場でOゲージの電気機関車で「EB58]というのを売っていました。もちろんEF58の小型版ですが、狭い畳の上に引いたOゲージレールで走れるようにとの考えでしょうが、せめて「ED58」がほしいと買いませんでした。
この秋保電車はその形が京都市電600型の小型版に見えました。

秋保電鉄というと宮崎繁幹さん、お後をよろしくお願い致します。さすがにこれはデーヴィスさんでも撮っておられないでしょう!

10 thoughts on “昭和の電車 改訂版(26)ー秋保電鉄モハ410型ー

  1. デジ青の皆様には、なにゆえ米手さまが、小生を指名打者としたのか、不思議に思われる方もおいでかと存じます。もう15年も前に、初めて編集して出した写真集が「思い出の秋保電車」でした。秋保は、廃線が昭和36年と早く、小生は未だ小学生の頃です。掲載の写真はみな、先輩鉄道ファンの方々の作品で、つくづく人との繋がりで、この本は出来たなぁと思っております。ここデジ青も、単に鉄道の話題を語り合っているようで、皆さまの良き繋がりを、いつも感じております。とまれ、これだけですと、秋保モハ410型の話が何もない。関先生に申し訳なく、皆様の期待にも反するかと。書庫を覗き、未発表の写真を掘り起こして、第2打席ではヒットを打てるように致しましょう。

    • ありがとうございます。
      代打ではなく四番バッターとしてホームランを見せてやって下さい!
      実は私も秋保電鉄なるモノは、廃線時の撤去作業写真をピクトリアルの通信欄で見たのが最初でした。読み方が『あきほ』ではなく『あきう』だと知ったのもずっと後のことで、それ以降東北の片隅にあった秋保電鉄が頭に残っていたのです。続編をお待ちしております。

  2. お待たせして、失礼を致しました。では、数回に分け写真1枚と、それにまつわる話を御紹介しましょう。関先生の絵は、秋保の411号を描いているので、もう1台の410号をお目に掛けます。ナンダ、410じゃなくて8ではないか? ごもっともな質問です。秋保への入線当時、同形3輌は、それぞれマハ8,10,11号で、その後に8→410と改番されたのです。410号は、連結器やバッファーはなく、連結運転はしませんでした。瀬古龍雄さんが、昭和26年2月7日に、長町で撮られたものです。小生の出した本に、瀬古さんの写真を1枚乗せたのですが、発行後こんな写真もあるよ、と頂戴したものです。同じ鉄道ファンと云たって、大先輩の瀬古さんが、私みたいな若造にナンデ? 実は、お話をしていたら、小生の父と瀬古さんは、同じ学校の同窓生だと判り、それが縁だったと云う訳でした。

  3. ではDHから、投手に変身し?、連投いたします。 私が出した秋保の本は、既に完売しました。でも心配ご無用! 今年4月に東北福祉大の鉄道交流ステーションが、素晴らしい本を出版されました。「むかし秋保まで鉄道が走ってた」が、それです。流石地元だけあって、興味深い内容が満載です。
    https://www.tfu.ac.jp/rmlc/news/20190619/index.html
    デジ青の皆様も是非どうぞ、お求めください。 410号にまつわる話も、もちろん載っております。実は、終戦間もない時期での、新車3輌一挙導入は、一大事だったようで、記念写真が何枚も撮られたようです。ここで御覧に入れるもの以外の2枚が、同書に掲載されています。下の写真は、元々三瓶源七氏の所蔵で、昭和21年8月撮影です。左から、8,10,11号です。関先生が記された伊予鉄に転売されたのは、11号で秋保での在籍は1年余りに過ぎませんでした。

  4. これが仙台から、はるばる瀬戸内海を越え、やって来た11号。伊予鉄では、8号になりました。秋保は地方鉄道ですが、伊予鉄は軌道なので救助網が、付いています。井口悦男さんの撮影で、昭和26年3月27日に、松山駅前で撮られたものです。最近は、若いピッチャーの球数制限がウルサイようです。3連投致しましたので、一休みさせて頂き、明日は仙台市電の同型車をお目にかけましょう。お楽しみに!

  5. この電車については、「仙台市電あれこれ話」として、10年以上前のデジ青に乙国の老人さまが記されております。
    https://drfc-ob.com/wp/archives/668
    関先生の記事にもあるよう、秋保の電車は、もともと仙台市電が、同型の増備をする予定であったものですから、似ているのは当たり前です。この写真は、データが全くないのですが、綺麗な外観をしていることや、ポール時代(仙台市電のビューゲル化は、昭和25年)であることなどから、戦前の記録かもしれません。似ているといっても、こちらは路面電車なので、ストライカー+救助網の組合せが装備されてます。ポールも、秋保や伊予鉄は1本で、終点でポール廻しを要するのに対し、2本載せております。

    • 序に後年の姿も、お目に掛けておきましょう。1960(昭35)年の記録です。すっかりお洒落な塗色となり、ビューゲル化され、違う車輛のように、見えます。新型車には、この塗分けが良かったかもしれないが、戦前生まれの小型車には、あまり似合っていないような気が致します。

      • 宮崎繁幹さん、
        ありがとうございます。
        かつて、乙訓の長老さんが長編の記事を投稿されていたのを再見致しました。いずれにしても東北は我々には異国の地です。さらに早くして廃止された『秋保電鉄』はもっと縁がありません。こうして拝見できるのもデジ青の取り持つご縁と感謝申し上げます。デーヴィスさんの天然色写真も大阪でお待ちの方がおられますので時々で結構ですから公開して下さい。

  6. 米手さま、こちらこそ書棚の片隅で不遇をかこっていた小生のコレクションに発表の機会を与えて頂き、有難う存じます。デジ青の皆様を差し置き、投稿していると、同志社に学士入学しないと、申し訳ないような気が致します。ところで天然色写真を期待されている御様子ですが、残念ながらデービスさんは、北は福島までしか遠出されていません。代わりとしては、オソマツですが手元に仙台駅前の絵葉書があるので、これでお許し下さい。しかし電車を切ってしまうとは、とんでもない撮影者です。許せん!! しかし今では、空中歩道の下と云う感じの仙台駅前も60年くらい前はこんな感じであったのでしょう。

    • 宮崎繁幹さん、
      われわれ同志社人は新島先生の教えからか、あまり強く縄張り意識を持っていません。同窓生かどうかより、尊敬や友情を優先するようです。ましてこんな希有な写真を見せて頂けるのは、大阪通信員さんでなくても大歓迎です。これからもご開帳を待っております。

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