中高の大先輩 須田寬さんの話を聞く!
11月10日(日)、絶好の秋晴れに恵まれた京都。同志社今出川キヤンパスでは、ホームカミングデー2019が、良心館を中心にして、賑々しく開催されました。クローバー会ことしの目玉は、なんと言っても、何年来の念願だった、同志社中学・高校の出身で、現・JR東海相談役、鉄道友の会会長の須田寛さんの講演会でした。
▲約60人が集まり、15時からの第二部がはじまり、須田寬さん「同志社からみた京都市電」に聞き入った。終戦直後の同志社彰栄館、中学の授業を受けていた須田さんの眼は、すくそばを走る烏丸線の市電に注がれいた。市電の系統、形式、番号ごとの差異に、授業そっちのけで観察を続けていた。後ばかり振り向くので、先生にはよく叱られたと言う。この時に芽生えた鉄道への興味が、その後の自分を決定づけたと述懐されている。
▲多くの卒業生でにぎわう良心館、そのいちばん奥の105教室で開かれた鉄道同好会クローバー会の集まり。役員を中心に多くの会員の協力、支援のもと開催することができた。
▲いまや鉄道同好会はホームカミングデーの“常連”。いままでの小さな4階の教室から、“華の1階教室”へと、栄転した。
▲第一部は事務連絡、会員発表、近況報告が続いた。会員発表は、米手作市さんの「デジ青の楽しみ方」、最初に投稿・コメントの実績を問う厳しい挙手の検査があり、そのあと、叱咤激励、罵詈雑言の言葉が述べられ、デジ青へ積極参加を促す、愛情あふれた“喝!”が入れられたのだった。また現役生からも、TV出演など最近の活動ぶりが報告された。できたての「青信号」も販売された。
▲15時からは須田さんの講演がはじまった。同志社中学への受験動機からはじまり、市電の戦前、戦後の系統の変遷、さらにはバスの系統変遷と、須田さんの博識ぶり、頭脳明晰さは留まるところを知らない。最近の京都のバス事情や観光の問題点の指摘、さらには国鉄・JRの駅名、駅名改称にも話は及んだ。最後の質疑応答で、京都に市電復活の可能性は?との問いに、市電が走っていた大きな通での復活は不可能に近く、むしろヨーロッパのような狭い裏道を単線で走るような、逆転の発想が必要で、たとえば中心部の木屋町通、寺町通など京電が開業させたような路線こそ、市電復活に相応しいと述べられたのには、まさに眼に鱗だった。従来の枠にとらわれない、柔軟な発想、それこそ須田さんの歩んできた道にほかならない。▲講演が終わって質問攻めにも快く応じていただいた。現役生にも親身になって対応していただき、“また連絡くださいよ”と言われた現役生は感激。そのあと、須田さんは、同志社八田総長にも面会をされ、本日の講演会の様子を報告されたとのことだった。
▲17時からは、烏丸丸太町ホテルガーデンパレスでの懇親会、講演会の感動もそのままに、和気藹々のうちに進行した。例によって、本人承諾なしの顔写真から会場の雰囲気を感じ取ってください。
▲全員で記念写真。正式な記念写真は、追って事務局からお送りします。▲最後は乙訓の老人様からの“バンザイ”で滞りなく終了。
乙訓の老人様を送り終えて、自宅へ戻った途端に電話のベルが鳴った。なんと、東京へ戻られた須田さんからで、「同志社のなかで、好きな市電や鉄道の話ができて、こんな高揚感に包まれ感動した日はなかった」とまで話された。会場に着く前に時間が余ったので、チャペルの中で一人で休んでおられたそうだ。すると、自然と70年以上前の同じ場所の記憶が蘇ってきて、「思わず涙が出た」とまで、語っていただいた。同志社“愛”いっぱいの須田さんだった。
昨日は沢山の会員にお越しいただき、須田会長のお話を聞かせていただいたこと、充実した時間でした。お元気で、立て板に水でお話しになるお姿に接し、この機会を設けることができたことに、改めて感謝をいたしております。
良い天気に恵まれ、懇親会も盛り上がりましたね。
お世話いただいた方々にお礼を申し上げます。
マルーン様には、ご挨拶や、著書の御礼、終わってからの言葉もいただき、数々の配慮、ありがとうございました。いゃ~、私も長い間、カミングデーの企画にも携わってきましたが、こんな感銘を受けたことはありませんでした。ご協力、ご参加いただいた皆さんに御礼申し上げます。
須田さんのお話を生で聴かせて頂き、感激しました。やはり凄い方だと思います。実現していただいた総本家青信号特派員様有難うございました。午前中の卒後30年の学部同窓会から夜迄、今年のベスト3に入る濃い1日でした。
須田さんの言葉には、ひと言ひと言に、重みがありましたね。単に回顧談に留まらず、いまもなお、提言や改善案を持って、話をされている点、いまだ現役という感じでした。私も長年の招聘の思いが実現できて、忘れられない一日となりました。
幹事の皆様、ご苦労様でした。感謝申し上げます。
それにしても須田先輩のお話には驚きました。
昔の思い出を覚えているご老人は多いのですが、須田先輩は覚えているのではなく記憶されていて、それを今に置き換えて話をされていたのには感慨深いものがありました。決して「ご老人」の仲間に入れてはいけません。失礼です。あれだけのデータを記憶して解析・説明出来るのは年齢ではなく、日々のご活躍の賜物でしょう。自分もああなりたい!と思ったのは私だけではないと確信しています。
懇親会にご出席頂けなかったのが残念至極!
来年もう一度!
須田さんは、そのあと電話を頂戴し、この機会を作ってもらったことの御礼の言葉をいただきました。そして、頼まれたらいつでも同志社へ行きますとも言われていました。まだまだ話足りないようですね。なんらかの形で継続したいです。
総本家青信号特派員様
会員でもない小生が参加しても良いのかとためらいましたが、須田様のお話を直に聞く機会は二度と無いと考え、厚かましくもお邪魔しました。
須田様のお話は、どの話題も大変興味深く拝聴しましたが、書籍や資料では得られない、実際に体験された方の生の声を聴けたことは一生の宝物となりました。忘れないうちに記録しておこうと考えておりますが、膨大な情報を漏れなく残すのは至難の業かもしれません。ですが、せっかく与えていただいた機会を無駄にしないよう、自分なりに纏めようと思います。ありがとうございました。
当日は、わざわざお越しいただき、ありがとうございました。正直、会員以外の方が入場していただいた場合、会の雰囲気づくりが心配だったのですが、杞憂でした。たいへん和やかな、和気藹々の中で進めることができました。これも、須田さんのお人柄だと思います。われわれと同じ目線で語っていただき、ひとつひとつが至言でした。
須田さんの感動、感銘のお話から一ヵ月、まだ、その余韻に浸っています。昨日、当地の地方版に大きく出ていましたが、ご尊父で画家の須田国太郎さんを顕彰する財団が設立されたとのこと。本部は京都にあり、設立の会合も良心館で行なわれました。これからも、須田さんと京都の結びつきが強まりそうです。