海南島の鉄道

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平成3年の8月26日、27日中国は海南島の鉄道に八所から三亜まで乗りました。今や海南島も高速鉄道が走っているとのことですので、隔世の感がありますが、当時は蒸気機関車牽引の混合列車で機関車は解放型でした。客車は、往きは硬座車でしたが、帰りは軟座車で、これが公務車GW97380という車で、コンパートメントとマイテ49の展望室のように大きなソファが並んでいました。ネットで検索してみると昭和16年製の日本製で蒋介石の専用車だったという記述もあります。なんとこの車は海南島の省都である海口の鉄道博物館で現存しているらしいのです。そんな歴史的な車両に乗車できたのは僥倖としかいいようがありません。当時は鉄分の薄い時代で、コンパクトカメラで少し撮っただけだったので、今から考えるともったいないことです。ご笑覧いただき、コメント、知見をいただければ幸いです。 続きを読む

【104600】 京都市電写真展 明日からです!

“そばぼうろ”だの“かわみち屋”だの、本論以外のところで、かまびすしいデジ青コメント欄ですが、皆さん、ホントは写真展のこと、お待ちかねと勝手に決め込んでいます。はい、お待たせしました。本日、勘秀峰さんとともに設営作業を行い、準備万端整いました。明日1日(金)午後から、招待券不要の内覧会を行い、2日(土)から通常の午前11時開場となります。
揃いも揃った河原町丸太町付近の写真、対象の地域は限定的ですが、京都市電に愛着を持った、すべての皆さんに見ていただきたい内容です。

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【104508】滋賀県県政資料室の歴史史料

昨年総本家青信号特派員さまからお誘いいただいて、「レイル」誌の「京都・大津の鉄道遺跡を訪ねる」の大津部分を担当させていただきました。以前から地元を歩いていろいろ調べてはいたのですが、所詮ネット頼みの調査で推測の部分も多く、今から思うと全く恥ずかしい内容となってしまいました。それと相前後していつもお世話になっている大津歴史博物館の学芸員の方から、滋賀県庁にある県政史料室には鉄道関係の資料もいっぱいあるよというお話を伺いました。ネットで調べてみると確かにいろんな資料がありました。ただ、閲覧には申請が必要で、一度にたくさんの資料は閲覧できないとのことでそのままになっていました。 記事の続きを読む


【104304】伊勢のJR

どですかでん様の田原本から、大和八木・名張・伊勢中川と話の路線が展開してきて、鳥羽までやってきました。コメントに複数の写真を入れるテクニックが分からないので新たな投稿とさせていただきます。コメントでは「近鉄と海」ばかり考えていましたが、1900生様のコメントでJRを思い出しました。参宮線はいまやキハ58、キハ47も見なくなり寂しい限りで、鳥羽まで行ってもJRには目もくれない有様です。しかし「海」を入れるとなると1900生様の言っておられる場所を思い出しました(私の思っているのと同じ場所かどうか分かりませんが)。1999年頃に行ったきりでその後は行っていませんので周辺は変わっているかも分かりません。やはり近鉄の「池の浦」から国道を鳥羽とは反対側(北方向)に進み、「堀通橋南詰」交差点を右側海方向に歩いていくとJR線が海の中を横切っている場所がありました。写真は干潮の時刻ですが、満潮に行けば海面がもっと近づいてくると思いますし、線路の両側に海のあることがよく分かると思います(再度チャレンジしてみます)。


細島線跡

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久々の投稿です。2月14日、宮崎県日向市に所用あり、細島線の跡がないかと思い出し訪ねてみました。終着細島駅のホーム跡、枕木を見ることができました。旅客営業は昭和40年代初頭に廃止、貨物専用線としてその後少しの間存続していたとのことです。宮崎県は高千穂線、妻線と素敵なローカル線がありましたが小生はいずれも未乗に終わりした・・・画像の配置がうまく出来ず申し訳ありません・・・

 

【103304】鳥羽港便り

また同じ場所か!と言われそうですが、新年の鳥羽港へ行ってきました。予定では1月5日に「にっぽん丸」が寄港するはずだったのが、海外でトラブルを起こしたようで寄港中止になってしまいました。このため本日まで待っていました、今日は「ぱしふぃっくびいなす(26,594トン)」です。天気も悪く今にも降り出しそうな空で、観客は僅かおじさん2名であります。ところがおじさんの話を聞いていると「まだ放水せえへんな」「去年は9時半から10分したのに…」と聞こえてきます、「今日は何がありますの?」と尋ねると「今日は出初式や、あの船から放水しよんねん」「え!」、そういえば消防艇のような赤い船と、海上保安庁らしき船がうろうろしています。駅からこの城跡にくる間も鳥羽市消防の制服を着た集団とも出会いました。これはいい日に来たと喜んで写したのがこの写真です。放水の時間内に伊勢志摩ライナーが間にあいました。 記事の続きを読む


【103267】あのときの上笠田

 上笠田へ行かなくなってどれくらいになるだろうか。

一度だけ、彦根で単身赴任をしていた時に車で山越えをして上笠田に行ったことがある。その時はホーム1面の無人駅であった。その後、上笠田駅は線路だけ残った。