MC24

「MC24」のMCはMaster Controllerの頭文字で、国鉄ディーゼル機関車DF50形の主幹制御器の形式名称である。

Wikipediaの「国鉄DF50形ディーゼル機関車」のページ(国鉄DF50形ディーゼル機関車 – Wikipedia)には次のように記載されており、雑誌やネット等でも長年にわたり引用されている。

「運転台の主幹制御器は、電気的な要素はなく一種の可変空気調圧器に類する構成で、制御空気圧の昇降を直接行い、電気的な制御は行わない。」

この文章の引用元は「鉄道ジャーナル 1979年12月号」P.83で、

「制御は電気指令でなく、空気圧力で行なうため、車端に総括用空気ホースがとりつけられている。したがって主幹制御器には電気要素は一切なく一種の可変空気調圧器的な要素を有するだけで、ノッチ区分(19ノッチ)もいわばキザミ的な役割にすぎず、中間ノッチも使用可能である。」と記載されており、特に何の問題も無いように思われる。

では、実際のMC24の内部をご覧ください。

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7年半のトレインビューを振り返って 4

④ 事業用車輌
国鉄443系~電気(架線)を検測する事業用交流直流両用電車、クモヤ443は昭和50(1975)年製造。583系を思わせる前面に何となく愛嬌があった。引っ越して間もない2017年~2019年頃には見ることが多かったが、次第に姿が見えなくなり、2021年7月15日付で廃車になった。後継車両はDEC741形(下)になる。

撮影:2017年2月21日

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DF50 18号(その2)

終の棲家となると思われた「交通科学博物館」(1990年に交通科学館から改称)は、「梅小路蒸気機関車館」を拡張した「京都鉄道博物館」に統合されることとなり、2014(平成26)年4月6日限りで閉館されることとなった。DF50 18号機は、1990(平成2)年には弁天町駅北口の新設に伴い、当初の大阪環状線高架の東側から西側への移動があり、再び引っ越しを余儀なくされることとなった。▲2014年3月31日、交通科学博物館、大阪環状線には103系がまだ健在だった頃

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静鉄1000形最後の日に立ち会う

2024年6月30日、静岡鉄道1000形が引退しました。
この日だけはなんとしても静岡に帰ると前々からスケジュールをおさえ、無事に立ち会うことができました。

2004年11月。カメラを持ち始めてすぐに撮った静鉄。小学五年生の頃に親戚よりお借りしたデジカメで撮影。

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7年半のトレインビューを振り返って 3

③ 配給車輌(電車・機関車牽引)
主に車両工場と車両基地との間で、保守部品などを配送するために使用される事業用車両を配給車と言って車両記号は「ル」である。クモル145形・クル144形には1回だけ遭遇したことがある。1979年から1981年まで101系を改造して造られた配給電車は、晩年には配給車として部品輸送に当たることはなく、主に牽引車代用として構内での入換に使用されていた。同形式は2021年11月に廃車となる。

撮影:2018年3月26日

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第10回写真展 Web版

 2024年3月20日から26日まで京都四条祇園にある「ぎゃらりい西利」で開催されました。この写真展をWeb上で開催いたしますので、都合によりお越しいただけなかった方はじっくりとご覧ください。いつものように「鉄路輝く」と、今回はもう一つ「まちとまちをつなぐローカルな鉄道」というテーマで展示を行いました。また会員でご逝去された方がおられます。公開に差し支えない方の作品を「あのひと あの頃」として 展示いたしました。

 それぞれの作品をご鑑賞ください。

第10回写真展 鉄路輝く

第10回写真展 まちとまちをつなぐローカルな鉄道

第10回写真展 あのひと あの頃 

 写真展「鉄路輝く」 トークショー行われる !

 

第10回写真展 まちとまちをつなぐローカルな鉄道

 今回の第10回写真展のもう一つのテーマは「まちとまちをつなぐローカルな鉄道」です。最近はローカル線が話題になりますが、写真展のテーマとしては難しいモノだと思います。そのことについて会員から問い合わせがあり、そこでデジ青に以下の内容を訴えて、応募依頼をしたのです。

「ローカルな鉄道」は人間の体で例えると毛細血管のような鉄道。太い動脈があっても毛細血管がないと人間の体の維持ができないのだ。そのようなイメージでこのテーマを考えれば何のことはない。撮りためた写真から、また最新作までどんどん応募を。特に新作をお待ちしておりますぞ!

 ところで応募数の結果は49点の応募となりました。これで一安心・・・

その49点の写真をよくご覧あれ!

 これからの写真またはキャプションをクリックすると大きい画面になり、画面上の「<」や「>」をクリックすると移動します。どの写真からでも見ることができますので気にいった写真からご覧ください。

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第10回写真展 鉄路輝く

 「鉄路輝く」はいつもハッとするような写真に驚かされる。今回はどうかな。あなたのハッとするような写真を見つけてください。

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第10回写真展 あのひと あの頃 

 思い出になってしまったひと。そのひとのあの頃を・・・

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DF50 18号機(その1)

総本家青信号特派員氏の「交通科学館」のC53 45号の写真を拝見した。実見したことはあるものの、C53を懐かしめる世代ではない。ただ、バックに写る建物の波型鋼のような屋根に妙に懐かしさを覚えた。図書室には、一時大変お世話になった。ここにあった資料は、恐らく「京都鉄道博物館」にあるのだろうが、未だ行ったことがないので、よくわからない。▲交通科学博物館(2014年3月31日)

今回は、この「交通科学館」に展示、保存されていたDF50 18号機について綴ってみたいと思う。

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7年半のトレインビューを振り返って 2

② 回送(北びわこ号)
引っ越しから2ヵ月ほど経った3月の土曜日。買い物から帰った家内が「踏切にたくさんの人がカメラを構えている」と伝えてくれた。私はそれまで「調子踏切」のことを知らなかった。「何か珍しい電車でも走るのかなぁ」と私は椅子とデジカメを窓際に置いた。30分ほどしてEF65に牽かれた12系客車がゆっくりと走って来た。

2017年3月4日撮影

北びわこ号は1995年から2019年11月までの観光シーズンに米原~木ノ本間を走っていた列車。牽引は主に梅小路区のC56160が担当し、客車は宮原区の12系5両が任務についた。北びわこ号運転の前日に、EF65牽引で12系が回送されてきた。

2018年8月18日撮影

上りの通過時間は13時台で自宅や調子踏切からは半逆光だったが、上手く収められた。5両編成の最後にテールマークがついているのが、イベント列車らしく華やいだ気持ちになった。反対に運転を終えて12系5両が宮原へ戻る姿は1度だけ17時台に見たことがある。

2018年7月21日撮影

北びわこ号回送以外にも2020年ごろまでは、ほかの地域を走っている電車や列車が自力で回送する姿が見られた。普段見ることが出来ない電車は、例えそれが回送であっても、ワクワクしたものだ。下の写真は和歌山地域色(であろう)のモハ105系。(続く)

2017年4月4日撮影

ダイアグラムをエクセルで描く

先日のサロン会で、「ダイアグラムをエクセル上に表示できる」と口走ってしまった。四半世紀ほど前の話になるが、脱サラした際にパソコンやプリンタは必需品であったが、使用頻度の少ないプロッタを購入するか否かで悩んだ。プロッタとは、座標値を与えて直線や円などの図形を紙の上に作画する機械である。当時、私の書く1本のプログラムの中ではプリンタやプロッタへの出力コマンドが7割程度を占めており、このネックを解消すべく計算処理後の結果のみをエクセルに渡して表示させたり、印刷ツールとしてエクセルを使うようにしていた。この延長戦上で、エクセルのシート上に図形描画機能を使って作画し、印刷できればプロッタを購入する必要もなくなる、と考えたのがキッカケである。 続きを読む

7年半のトレインビューを振り返って 1

プロローグ
2016年12月、埼玉から実家のある長岡京市へ引っ越した。高齢の両親はまだ健在であったが、徐々に世話のかかる状態になっていた。この時に紹介された賃貸マンションが、JRの線路際。しかも自室・ベランダからも、共用の廊下からも撮影可能なトレインビューの住まいだった。東海道本線 長岡京~山崎間にある「撮影の名所」調子踏切から100mほど北に位置した。

引っ越しのタイミングで、東京での仕事を退職の予定が、会社の厚意によりパソコンを使った「長距離在宅」を任命され、2020年10月までの約4年間は会社員の肩書でトレインビューの自室で勤務をしていた。この間やその後いくつかのライフイベントがあり、母親と義父は他界した。そして2024年4月、同じ長岡京市へ転居した結果、トレインビューも見られなくなってしまった。 続きを読む

東日本乗るだけ5日間の旅

巷では「青春18切符」の廃止が噂されているがJR東日本の「大人の休日俱楽部パス」もどうなるか心配である。「大人の休日俱楽部パス」はJR東日本管内各路線を連続4日間乗り放題で座席指定が6回分ついて15270円と格安であったが、今回からは1日延びて5日間になり料金も19800円(えきネットで購入の場合は1000円引き)となり1日あたりにすると少し安くなったが高齢者が5日連続は厳しい。さらに東日本+北海道27620円というものもある。JR東日本では新幹線の「はやぶさ」「こまち」「つばさ」と在来線の中央、常磐、伊豆方面、高崎・吾妻線関係はオール座席指定となり少し利用に難がある。そんなこんなでブツブツ言いながら梅雨に入った6月24日(月)から28日(金)迄の5日間日帰り乗り鉄に挑戦してきたので1965~6年頃の関連写真を含めて若干の報告をさせていただく。後期高齢者なので①乗り鉄に徹する、②撮影は駅付近に限定し無理しない、③宿泊料金高騰で日帰りとするという方針で一人旅に出かけた。

(1)1日目6月24日月曜日は自由席のある列車利用でアルピコ交通(松本電鉄)上高地線の一番手軽な信濃荒井の鉄橋で撮影することにした。東京からは9時4分発E7系「あさま605号」で10時41分に長野に着く。直ぐに話題の敦賀行「かがやき507号」が到着して発車して行ったが撮影し損なう。次に篠ノ井線11時発名古屋行き「しなの10号」に乗る。勿論JR東海の383系である。塩尻まではJR東管内ということで大人の休日パス利用が可能でよく利用する。アルピコ交通は2本とも元東武20000型、20050型の20100系に変わっており京王井の頭線3000系は出番がなくなったようだ。20100系は京王重機で改造したためかシートは京王8000系と同じ緑色模様である。何れも中間車改造なので運転室を新設している。帰りは松本14時6分発「しなの11号」で長野からは15時25分発「あさま622号」に乗車した。「あさま」の車両はJR西のW7系で東京着は17時12分であった。晴れて蒸し暑かった。渚₋信濃荒井間新島々行き20102+20101。▼

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デジタルカメラ元年、2004年(大阪駅)

デジタルカメラを使いだして20年経ちました。ついこの前のようですが月日が流れるはやさを改めて感じます。その前年の2003年にコンパクトタイプを借りて使ってみると、先入観と違って結構使えるな、と思いましたが、当時のニコンD100やキャノンEOS10D等のデジタル一眼レフはまだ高価でした。ところが程なく、手が届く価格帯でキャノンからEOSkissデジタルが、ニコンからD70が出て、フィルム時代にニコンを使っていたのでD70の購入に踏み切りました。普及機ということもあり、ルーフミラーのファインダーやバッテリーパックが用意されていない、など割り切った部分もありましたが、JPEGなら秒3コマで、何十枚も連写が可能なバッファ容量があり、高速連写と高感度撮影に拘らないのなら今日でも使える機材です。併せて、同時期にミノルタのディマージュA1というレンズ一体型のデジタルカメラも入手しました。余談ですが、デジタルカメラ界は激烈な競争で、ミノルタカメラはコニカミノルタとなり、さらに一眼レフ部門をソニーに売却し、デジタルカメラから撤退してしまいました。鉄道のサイトなのでこれ以上は止めときますが、その後もフィルム時代の名門カメラブランドの消滅やカメラ部門売却が続出しました。カメラという機材自体に鉄道と同じくらい関心がありますので、興味のある方は機会があればお話ししましょう。さて、前置きが長くなってしまいましたが、2004年4月11日の大阪駅での写真をご覧いただきます。何気ないスナップのような写真ばかりですが、20年経てば随分変わったなあ、と思います。この日の写真は全てディマージュA1で撮影したものです。

東海道緩行線の205系、今なおこのカラーを奈良線、京都駅で見ることが出来ます。 続きを読む

紫陽花の季節

今日6月21日は近畿、東海、関東甲信越はいつもの年より遅れて梅雨入りとなった。晴天順光が好きな私であるが、雨に濡れた紫陽花もいいのではないかと思いいつもの箱根登山鉄道大平台に向かった。雨となると高齢者はかってを知った場所にして安全に注意すべきと考えた。少し前に撮った京王井の頭線と共に発表してみる。

2024.6.10高井戸-浜田山間各停渋谷行き1734▼

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駅名喫茶店(第110回:特急南紀の停車する駅名)

今回は名古屋~新宮・紀伊勝浦間を結ぶ特急南紀に注目です。昨年、キハ85系が引退しました。その後はHC85系が充当されています。

愛知県・三重県・和歌山県の3県にまたがって走る南紀にぜひご乗車ください。

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快速急行

奈良の駅名研究家さんより「快速急行の停車駅名」と題して5月23日に投稿があった。私は駅名を研究をしていないのでコメントはできなかったが、これまで撮った関西、関東の私鉄快速急行を発表してみたいと思う。併せて、本題から外れるが快速特急も数枚用意した。

快速急行の最初は奈良-三宮間の直通列車1027である。2022年7月21日近鉄奈良線の石切駅で始めて下車した。生駒のトンネルを大阪側に出た所にあるカーブした駅である。▼

阪神電鉄の香櫨園駅はカーブした下り普通列車4連を撮るにはいい場所である。香櫨園は昔は海水浴場がありここで泳いだことがある。2022年12月17日この時は近鉄の上下快速急行がすれ違ったが手が震えてピンボケ。左奈良行き後部5801と右三宮行き先頭9730。▼ 続きを読む

豊橋鉄道東田本線(豊橋鉄道市内線)

5月26日にはDRFCクローバー会のイベントで豊橋鉄道市内線、名鉄西尾・蒲郡線を訪ねるツアーが開催され、現在15名の方から参加申し込みを頂いています。
そのメンバーのおひとりである丹羽さんより、豊橋鉄道市内線の珍しい写真を送っていただきましたので紹介させていただきます。丹羽さんは、湯口さん、沖中さんと同世代の大先輩ですが、昨年の長良川鉄道の乗車会に参加され、今回も参加申し込みをされました。
丹羽さんはよく海外に行かれ、昨年発行したクローバー会会報第6号には英国ブラックプールのトラム、終戦直後の名鉄の思い出を投稿されました。
今回送っていただいた写真は1961年から現在まで幅広い年代のもので、今回はすでに廃車された車両についてご紹介をさせていただきました。尚、写真はプリントしたものを頂き、私の方でスキャンしましたので、画質が落ちてしまいましたがお許しください。
↑ モハ200形(203号)1962.1撮影
旧旭川市街軌道12号で、1949年2月に4両購入した。1965年5月廃車 続きを読む

5月の台湾(5月6日)その4

第4日は、猴硐の付近をうろうろしました。
猴硐は、東部幹線の北方、瑞芳の隣で普通列車と莒光号が停車する駅です。一般には猫村として猫好きな人がよく訪れる場所でもあります。ここに来たのは終焉が近づくDR3100自強号を撮るためです。柴連(ディーゼルカー)自強号は、DR2800~3100が東部幹線、南廻り線と非電化区間を含む路線の速達列車として活躍しましたが、2020年の環島全線電化により相次いで引退。現在、車齢の若いDR3100のみが樹林ー花蓮間に2往復が運行されていますが、全線架線下を走る柴連自強号運用はもうすぐ終わるようです。特急「花嫁のれん」のように全線電化区間を走る優等列車は他にもあるので、引き続き波動輸送用等でも存続してほしいものです。柴連自強号は、基本編成が3両×3編成の9両、繁忙期は4編成となり12両で走っていて、モノクロスながらなかなか迫力がありました。台湾と言えば、非電化の南廻り線を力強いディーゼルがゆくイメージだったので、消滅は寂しいのですが、こればかりはどうしようもありません。
▲R150型の最終番
エンジン音ははっきり言ってけたたましく、遠くからでも近づいてきたことが判ります。これに比べるとDD51やDF200の何と静かなことか。

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