DF50 18号(その2)

終の棲家となると思われた「交通科学博物館」(1990年に交通科学館から改称)は、「梅小路蒸気機関車館」を拡張した「京都鉄道博物館」に統合されることとなり、2014(平成26)年4月6日限りで閉館されることとなった。DF50 18号機は、1990(平成2)年には弁天町駅北口の新設に伴い、当初の大阪環状線高架の東側から西側への移動があり、再び引っ越しを余儀なくされることとなった。▲2014年3月31日、交通科学博物館、大阪環状線には103系がまだ健在だった頃

交通科学博物館閉館の経緯から当然「京都鉄道博物館」へ移動することになるものと思っていたが、「津山まなびの鉄道館」への引っ越しとなった。

2015年3月10日、18号機は車体と台車に分割され、車体は道路通行許可の関係で11日0時に、先ずは和歌山港に向けて出発、南海フェリー下り第3便(つるぎ)で徳島港へ、12日の未明に古巣の高松に辿り着いた。高松では潮位の関係で直ぐにはフェリーに搭載できず、13日四国急行フェリー上り第7便(第八十七玉高丸)で宇野へと向かい、宇野港で時間調整後、15日早朝に津山駅構内に無事搬入された。台車の方は、車体の搬入に合わせてトラック2台で輸送されたようである。▲2015年3月10日、交通科学博物館、煙道が撤去されている▲2015年3月13日、高松港、甲板に微かにブルーシートが確認できる▲2015年3月13日、宇野港       ▲2015年3月14日、宇野港

高松港と宇野港の画像は、当時ネット上で公開されていたライブカメラによる映像をスクリーンショットしたものである。忙しい時には、このような手法もあり、と思っている。▲2015年3月15日、津山駅構内、車体、台車ともに無事搬入

2015年3月16日、車体と台車に分割されていた18号機が組み立てられた。西側の扇形庫では、D51 2号機の報道公開が行われていた。▲2015年3月16日、津山駅構内、組立作業(その1)▲2015年3月16日、津山駅構内、組立作業(その2)▲2015年3月16日、津山駅構内、組立作業完了▲2015年3月16日、津山駅構内、D51 2号機の報道公開の様子

輸送のためとは言え、車体、台車等をバラバラにされ、見ていてあまり気持ちのよいものではないのだが、車体の底面や台車の上部など、普段見ることのできない部分を見ることができた。

斯くして、18号機は再び縁もゆかりもない土地で暮らすこととなり、2016年4月2日の「津山まなびの鉄道館」として開館後は、時折転車台上にもその姿を見せてくれている。高知機関区での姿を想起させ涙があふれそうになるのは、私だけではあるまい。「交通科学博物館」時代と比べ、間近で見ることができなくなったことが少し残念ではあるが、いつまでもその姿を見せ続けて欲しい、と願っている。

DF50 18号(その2)」への2件のフィードバック

  1. 四方誠様
    いつもマニアックなネタを楽しませていただいております。
    今年のGWに津山観光に行き、久々にDF50 18に会える予定でしたが、津山城、市内街歩きに予定外の時間を費やしてしまい、今回は鉄道館に立ち寄ることができませんでした。
    再度機会を作って行ってみたいと思っています。
    引き続きの投稿を楽しみにしております。

    • 77-タツ様、
      コメント、ありがとうございます。
      津山城は、津山まなびの鉄道館を俯瞰しようとして、偶々津山城が写り込んだ写真があるのですが、丸亀城以上に小さくてボツにしてしまいました。津山城と津山市街のみの写真ですが、ご笑覧ください。(鉄道は、この写真の下側になります。)
      暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。

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