かんこうしゃしんは観光写真ではありません。感光写真です。大和郡山城のさくらと電車の感光写真です。
投稿者「どですかでん」のアーカイブ
2002年6月23日の上笠田
ぼくたちにとっては北勢線は上笠田。ぼくたちとはKくん、Hくんと私の3人。1971年10月、最初に私は上笠田を訪れています。このときは私ただ1人でした。それから2年後の1973年9月に突如として急行たかやまに乗って3人で上笠田へ(詳細はデジタルでない「青信号31号」に)
それから29年経ってから、私1人で上笠田を訪れています。2002年6月23日でした。このときは車で行っています。当時、滋賀県多賀町で単身赴任をしていましたので山を越えれば上笠田のある三重県いなべ市に行くことができます。山越えの国道306号線を東へ走り上笠田へ向かいました。この国道はいつも冬期は通行止めです。しかも険しい鞍掛峠を越えなければなりません。1972年にトンネルが開通して舗装はされましたが、それでも厳しい道でした。
↑ 山越えの麓の集落 大君ヶ畑(おじがはたと読む)
あのC622をこさえた日立製作所が作った携帯電話で撮ったデジタル写真
総本家青信号特派員さんが投稿された「あの日あの頃・・・~3~」のコメントにはじめてデジカメで撮ったことについて書いたのですが、それより以前にデジタル写真を撮っていました。2005年4月の頃からです。デジタルカメラではなく、携帯電話のカメラ機能を使っていました。それがこの写真の携帯電話です。
この携帯カメラは結構よく写るのです。では、その写真はこんなものです。今はもう見られなくなった風景です。
東京ステーションギャラリーで開催の「鉄道と美術の150年」
昨年末、わざわざ「やこうれっしゃ」に乗って東京にいったのは東京駅にある「東京ステーションギャラリー」で開催している「鉄道と美術の150年」を見るためである。いつも日曜日にEテレで日曜美術館を見ているのであるが、本編の他に「アートシーン」というコーナーがあって開催中の美術展の紹介をしている。そこで紹介していたのが「鉄道と美術の150年」である。ありとあらゆる鉄道に関する作品が展示されている。絵画はもちろんであるが写真もある。これがまた前衛写真やジオラマ風写真などいろいろな写真である。横尾忠則氏の作成のポスター、また貼り絵の山下清氏の駅弁の掛け紙もある。言葉では言い表せない多彩な作品と作品説明分もじっくり読むと楽しい。鉄道を趣味にしていて、絵画等に興味がある人は楽しい展覧会である。会期は1月9日まで。
いろいろな発見のある美術展であることは間違いない。会期の終了も近くなっているので取り急ぎ紹介まで
やこうれっしゃ
最後に「やこうれっしゃ」に乗ったのはいつだったのだろうか。調べてみると特急日本海と急行きたぐにが定期運行を終了した2012年3月6日に特急日本海で秋田から直江津まで、3月8日の0時57分直江津発の急行きたぐにで敦賀まで乗ったのがいままでの「やこうれっしゃ」の乗車だ。それからは夜行バスやらフェリーの夜行便である。フェリーの夜行便は「やこうれっしゃ」の雰囲気があるのでいい。しかし、すでに10年間あまりは「やこうれっしゃ」に乗っていないことになる。
さて、10年ぶりに「やこうれっしゃ」に乗ったのであるが、私は「七つ星」や「トワイライト瑞風」は「やこうれっしゃ」の仲間ではないように思っている。いろいろな人が乗り合わせるのが「やこうれっしゃ」なのだ。(個人的な感想なのだ。)そのような情景を絵本にしたものがあり、それは西村繁男さんが書かれたその名もズバリ、「やこうれっしゃ」。上野から金沢までの夜行急行「能登」が描かれてある。客車列車だが金沢までの牽引機がEF58というのはちょっとと思うが、しかしそれを打ち消すような車内の様子や、列車の走っている外の世界がしっかり描かれている。絵だけなので本当の絵本なのだ。
動く写真 伊賀の里を行く電車
準特急さんが「お城と電車(9)伊賀上野城」を投稿されました。それで思い出したのが、昨年(2021年)の11月に伊賀鉄道の貸切列車のイベントをしたときの集会でご覧いただいた伊賀鉄道の昔と今の映像です。会員の方に写真を募集したところ3名の会員の方から写真を応募していただきました。それを動く写真にまとめてみました。ちょっと見てください。おまけに近鉄特急も出てきますよ。
いかがでしょうか。もう少しうまくできたら良かったのですが・・・
Web版 第9回クローバー会写真展 追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ
今回の写真展では6月8日になくなられた沖中忠順さんの追悼展示を行いました。Web版でもご覧できるようにいたしました。
なお、それぞれの写真については一部展示写真を撮影した写真を掲載しましたので画像が不鮮明になっています。ご了承ください。
Web版 第9回クローバー会写真展 作品集 「私のお宝写真」
第9回写真展が2022年8月17日(水)から8月23日(火)の7日間、京都四条通り祇園町の「ぎゃらりい西利」(西利祇園店3階)で開催されました。
今回はフリーテーマの他、思い入れのある写真、貴重な写真、懐かしい写真などを出展していただきました。そんな「私のお宝写真」をご覧ください。
Web版 第9回クローバー会写真展 作品集 「鉄路輝く」
第9回写真展が2022年8月17日(水)から8月23日(火)の7日間、京都四条通り祇園町の「ぎゃらりい西利」(西利祇園店3階)で開催されました。
会員の皆様から、これはという作品を出展していただきました。ここではフリーテーマでそれぞれの渾身の作品です。ごゆっくりご鑑賞ください。
写真またはキャプションをクリックすると大きい画面②なり、画面上の「<」や「>」をクリックすると移動します。どの写真からでも見ることができますので気にいった写真からご覧ください。
3年のご無沙汰でした。第9回クローバー会写真展「鉄路輝く 私のお宝写真」
巷では「3年ぶり」という枕詞が大はやりです。クローバー会写真展も「3年ぶり」です。場所は今までと同じ京都四条通り祇園にある「ぎゃらりー西利」で、期間は8月17日から23日まで7日間です。写真展の準備も今までですと現役生のBOXでプリントを写真フレームに取り付ける作業などをしていたのですが、BOXで大勢の人が集まることが禁止されているので作業にも従来と違う方法を行う必要がありました。とにかく無事に開催できてほっとしています。ではどんな感じだったかというと
Web版 第9回クローバー会写真展 作品集 「私のお宝写真」
Web版 第9回クローバー会写真展 追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ
第1回から第8回までの写真展はTOPの「写真展」のタブから入ることができます。または下記のURLをクリックしてください。
100年目の信貴電
今年の5月16日で信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)は王寺から信貴山下間、そして東信貴鋼索線(1983年9月1日廃止)が開業して100年目となります。その記念イベントとして記念式典と臨時急行が王寺から上本町間に運転されます。もちろん、記念乗車券や入場券が販売されます。詳細については下記をクリックすると近鉄からのイベント案内書へ移動します。
21年前の近鉄生駒線王寺駅の写真
以前からきれいに改築される前の近鉄生駒線王寺駅の写真がないか探していたのです。なぜかというと信貴生駒電鉄として王寺と信貴山下間を開業したときの建物をそのまま使用していたのではないかと思っていたので本当にそうなのか確認したかったのです。ちょっと断定するには自信がないのですがほぼ、そうだと考えています。その写真が見つかったのです。家族写真のネガを整理するために調べていたら出てきました。最後のコマだったので余ったから撮ったのでしょう。それが以下の4枚です。
いとしの萌黄色の電車
関西本線の湊町(今のJR難波)から奈良までが電化され気動車から電車になったのが1973年10月1日からです。このときから「みどり電車」(私はこのように言っています。)が走り出して48年になります。ちょっと気になるので色について調べてみると「ウグイス色」は茶色っぽい色でむしろ「萌黄色」が近いようです。私も「萌黄色」がピッタリのように気がします。その「萌黄色」の電車が白い車体の221系に置き換わっています。おおさか東線は2022年3月12日ダイヤ改正で完全に入れ替わりました。大和路線はまだ少しばかり残って普通電車で走っています。見たらラッキーという感じで、2024年には大和路線221系にすべて入れ替わるようです。それで今までに撮った「萌黄色電車」の写真をまずは大和路線で撮影した103系と201系の写真を
今年はコンフィルから始めました。
「コンフィル」とは?「コンデジ」があるならば「コンフィル」があってもおかしくない。「コンフィル」とはコンパクトフィルムカメラ、最近は全く見かけないがその代わりとなるのは「レンズ付フィルム」である。以外とこれはフィルムよりあちこちで売っている。イオン系のディスカウントストアでも売っているので手に入りやすい。と言うことで1個買ったので次は「写るんです」で撮ってみよう。さて、今回はコニカC35で撮った。撮影場所は懲りずに近くの生駒線。
保護中: 久しぶりの写真展に応募をしてみませんか
踏切と保育園と飛行機
ちょっと前に撮った動画です。映像よりも音に注目してください。最近、所によってはあまり聞けない音がすこし聞こえます。
いかがですか。わかりましたか。子供の頃、日曜日にはよく聞いた記憶があります。そういえば何か伝えたいような声もしてました。
うごく絵だよ~ん 近鉄生駒線
ちょっと駅近くの郵便局に用事があって、帰りはいつものように線路沿いの道を歩いているとゆらゆら揺れる鷹のような鳥が・・・やっぱりこれはうごく絵でしょ!
まもなくすると電車が来ました。
電車が行きすぎるとゆらゆら揺れる鷹とかすかに聞こえるカラスの鳴き声
平群谷を北へ向かって生駒へ電車は去って行きました。
おまけの動画
近くの学校から運動会の予行演習か何かの声が聞こえます。虫の鳴き声(本当は声ではない。虫には声帯がないのだ!)がします。ズーム最大で手持ち撮影。すずめ脅しの前に撮影しました。ここから郵便局へ行って、そしてすずめ脅しの動画撮影。もう2本撮っているのですが、これだけにしときます。
走る走る軽便新幹線はやぶさ号
夜汽車の情景 暁の急行能登号
前回の寝台特急北陸の富山到着の8分後に本命のこだま型電車の急行能登号が到着する。まだ、暗いがわずかに立山連峰あたりから夜明けの気配が。わずかな時間のタイミングを逃さないようにしなければならない。夜明けの時間と列車の通過時間とうまく合うのか心配である。今回はラッキーだったのかもしれない。撮影日は2010年3月12日、定期運行最終の急行能登号は上野を3月12日発で富山到着が13日の朝である。天気予報を見ると富山の13日の朝は雨であった。それで1日前の3月12日の撮影となったのである。そしてこの日はドンピシャのええ天気。
夜汽車の情景 寝台特急「北陸」
テレビ番組で「沁みる夜汽車」がある。番組の題名からさぞかし「夜汽車」という言うからには「夜行列車」が出てくるのだろうと思っていたら、列車は出てくるが違っていた。しかし、列車にまつわる「沁みる」話が出てくる。ああ~そういうことなのかと納得。ところで何で「夜汽車」?夜に見るから?
まず最初は寝台特急北陸の写真である。本当はこの列車の写真を撮るのが本命でなかった。本命はこだま型ボンネットの489系で走っていた「急行能登」である。能登号は富山駅に5時41分着である。その前に「寝台特急北陸」が5時33分に到着である。本命の「急行能登」を撮るための試し撮りなのだ。ついでに平行して走っている富山地鉄も試し撮りをしている。カメラはキャノンのフィルムカメラでISO800のフィルムを使った。ストロボなしは当然のことである。すべてマニュアル設定。しかし、この話はかなりおかしい。フィルムによる撮影なので試し撮りは成立しないのである。フィルムは現像しないと、うまく写っているかわからないのである。しかしこれは試し撮りなのだ。