「特急三百哩」と「無法松の一生」

 6月17日に京都おもちゃ映画ミュージアムのご協力で「特急三百哩」を鑑賞できる機会を得ることができました。この上映会にご尽力をしていただいたクローバー会先輩諸氏に感謝したいと思います。ところで「無法松の一生」がタイトルに書かれているのはなんでやねん!

 この映画を見ているとあるシーンを見てからしばらくして、あれ~と思ったことがあります。走行レールが描写されていて、そのレールが移り変わっていくシーンです。ただ走行している時のレールが写っているだけではなさそうでオーバーラップさせて移り変わっていくようにみえます。長距離を走っているのを表現したかったのでしょうか。それと土砂崩れを知らせるナゾの白い幻のような人影。現れてふわっと消えるのが?撮影はどのように?ただ、1回しか見ていないのでひょっとしたらそうでないかも・・・

 オーバーラップで撮影された映画で今も世界中のから評価を得ている作品があります。それが稲垣浩監督作品「無法松の一生」です。撮影は世界的に知られている名キャメラマン宮川一夫さんです。宮川さんは1926年に日活京都に入社しています。日活京都はあの「特急三百哩」の製作会社です。ところでキャメラマン修業は宮川さんの著書「私の映画人生60年 キャメラマン一代」によるとフィルムの現像から始まるそうで、現像部からのスタートだったと書かれています。現像部でフィルムの種類や性質、現像による映像の違いを知ることがキャメラマンになってから役に立ったと書かれてありました。1920年代は世界的にもモンタージュ全盛期でした。日本でも前衛的な映画で川端康成原作衣笠貞之助監督作品の「狂った一頁」(1926年)やマキノ映画の「三朝小唄」(1928年)などでオーバーラップ映像を使用されています。このオーバーラップ映像は1920年代初めに開発されたオプチカル・プリンターを使用して映像ができたのではないかと思います。オプチカル・プリンターは現像済みのフィルムに別のフィルムを光学的に焼き付ける編集装置です。これであればオーバーラップシーンを作成することができます。ただしできあがった映像はあまりいいものではなかったようです。だから「無法松の一生」の撮影を行った宮川一夫さんは無法松の回想シーンで2分30秒という長いオーバーラップシーンは重ね録りの方法により半年かけて撮影しました。撮影したフィルムをカメラに装填したままでオーバーラップするところまで巻き戻して、前の映像に重ねて撮影していく方法です。全ての撮影が終了してからでないとうまく撮れているかわかりません。私たちがフィルム撮影で鉄道写真を撮っている時でも同じです。現像が終わって見てみるまでうまく撮れているかわかりません。これがフィルム撮影の楽しみではないでしょうか。

 さて「特急三百哩」で機関士の相手役「おみよ」を演じていた滝花久子という女優さんは日活の大スターということが宮川さんの本に書かれてありました。この映画で機関車単機で追っかけていくシーンがあったのですが、機関車トーマスのような感じ。ところで時間をかけて苦労して作成されたオーバーラップのような映像は今では映像編集ソフトやらで簡単にできるようになりました。以前にも公開した東信貴ケーブルの新旧の写真を使って「東信貴ケーブルふたたび」という一本の映像を作成しました。制止した以前撮ったフィルム写真や最近のデジタル写真を使って動画を見ているのような感じになるようにしました。映像の転換はオーバーラップをさせ、途切れない連続的な映像にしてみました。デジタル画像編集以前であれば高価なオプチカル・プリンターで作成するのだと思います。この「東信貴ケーブルふたたび」は画像編集ソフトSONYのVegas Proを使用して製作しました。

 ところで「特急三百哩」に活躍するC51機関車は写真を撮ったことがありません。子供の頃に見たことはあるのですが・・・ 探してみると我が家で一番古い写真アルバムに1枚だけありました。

 誰がどこで撮ったかわかりません。どこの所属か調べると1948年富山で活躍していたそうですが、詳しいことはわかりません。

 「特急三百哩」がオーバーラップ映像を確かに使われていたかどうかは私の思い過ごしかもしれません。しかし、オーバーラップ映像を使われていたとしたら、どのように製作したのでしょうか。調べていくなかでいろいろなことがわかりました。「狂った一頁」は原作が「伊豆の踊子」や「雪国」の川端康成とは思えないような映画です。この映画が製作された1920年代にどのように映画が製作されていたか少しわかったような気がします。戦前の映画は現存しているのが少なく、また戦前のフィルムは可燃性フィルムを使用しているので保存状態によっては自然発火で焼失してしまうようです。そのようなフィルムを保存するのはフィルムの劣化をしないように温湿度の管理と共に発火しないように保存する必要があるようです。デジタル化という方法もあるのですが、スタンダードの保存形式が決まっていないようです。フィルムは100年以上続いている保存形式なので見ることができないということがないようです。デジタルは保存形式が閲覧ソフトに対応していなかったら開いて見ることができません。

 考えて見れば原版のフィルムが残っていてよかった。フィルムは必ず残しておきましょう。

「特急三百哩」と「無法松の一生」」への3件のフィードバック

  1. どですかでん様
     「特急三百哩」を拝見させていただく機会を得て、見終わった後に「単純に思わず引き込まれてしまいました」という感想しか言えなかった身としては、さすがどですかでんさんや!「深いなぁー」と唸らせていただきました。そして改めて東信貴ケーブルふたたびを鑑賞させていただきました。
     ケーブルカーといえば、能勢電の妙見事業撤退、妙見山ケーブルも廃止という寂しいニュースが聞こえてきたところでした。
     今日は蒸し暑いですね。これから暑さが大変ですね。お互い体に気を付けて頑張りましょう!さすが、どですかでんさん!!

  2. マルーンさん妙見山は残念ですね。妙見山は次第に野生の姿になって行くのでしょうかね!古い映画は興味深いです。劇映画や記録映画など貴重な歴史の資料にもなります。国立映画アーカイブのHPを見ますと「映画フィルムをすてないで!」というスローガンを掲げています。以前Eテレで「バックヤード」という番組で国立映画アーカイブを取り上げていました。そして「フィルム・プリントは存続します。フィルムをすてないで!」と書かれてあったのでたくさんあるプリントをデジタル化したら処分しようと思っていたのですが、場所をとりますが置いておこうと思いました。

  3. 「特急三百哩」の感想、ありがとうございます。改めて皆さん、熱心に見ていただきました。私は、「鉄道の出てくる映画」には、あまり興味が無かったのですが、出てくる鉄道車両やロケ地に、写真では得られない興味対象となりました。オーバーラップの手法も読ませてもらいました。例に挙げられた、白い幻と「おみよ」が現れるのは、このシーンでしたね。「おみよ」の身代わりの幻が線路上で手を振って、土砂崩れを知らせ、主人公の機関士は急ブレーキで事故を防いだという、クライマックスのシーンでした。映画は、突っ込みどころもありますが、いゃ、たいへん興味深いシーンの連続でした。

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