修学旅行電車155系“ひので”“きぼう” 投稿日時: 2017年4月27日 投稿者: 米手作市 私は私学中学でしたからこの車両には乗れずじまいでした。その代わりバスのように補助イスを付けた、スハ32系の客車に乗って東京タワーを見に行きました。 ところで、155系は知っていますが、159系や167系というのは知りません。準特急さん、写真があったら見せて下さい。修学旅行用というと九州の”とびうめ”という気動車もありましたね。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(53)ー東急電鉄デハ3450型ー 昭和の電車 愛知電鉄デハ3300系 修学旅行電車155系の写真 一枚の写真から どっこいしょ、ちょっとひと休み 国鉄津山駅 京王電鉄6000系5扉車 ツアーいろいろ 江若鉄道三井寺下再現(その2) しつこく江若鉄道と法勝寺のこと
米手作市様 修学旅行電車は懐かしいです。 年齢的には当然修学旅行で乗った訳ではありませんが、新製試運転の直後に大阪駅で展示会があって、カメラ片手に駆け付けたのを思い出しました。 第一印象は『えらい屋根が低いなあ』でした。 屋根が削ぎ取られた極端に薄い怒り肩スタイルに、大いなる違和感が有りました。 さらに室内は圧迫感がありましたね。 全線入線が前提の修学旅行電車は、パンタ折り畳み高さの関係で屋根を低くしたまでは良かったが、編成の全体を削ってしまったものでした。 当時は部分低屋根の発想が無かったんでしょうね。 陸橋の上から見ると屋根にお椀を伏せたような突起物(実は扇風機の台座)がズラッと並んでいた気がします。 返信 ↓
小生も米手作市さまと同窓ですのでスハ32を中心としたガラクタ編成で京都から退避を繰り返し、確か8時間ほどかかって沼津まで行った記憶があります。 さて本題ですが155系は修学旅行専用車として初めて大阪(一部は西明石)~東京間に登場した車系なのはご存知の通りです。その後全国(但し直流区間ですが)から要望が起き、修学旅行シーズン以外の多客期に臨時準急・急行として運用出来るように、一部の設備を変更した159系が登場、東京~大垣間の準急「ながら」や~下関間の急行「長州」等に運用されました。更に一般運用を主眼にするも修学旅行にも使える167系が登場しています。167系は急行用165系をベースに製作されましたが、出入口の幅が狭いのとTcMM’Tcの4両基本であるのが165系(3両)との違いです。塗色は155・159系が修学旅行色、167系は湘南色でした。 非電化区間にも直通出来るDCとしてキハ58系にも修学旅行用が登場しました。九州地区は「とびうめ」東北地区は「おもいで」のネームが付きました。塗色は通常の急行色とは少し異なり、窓周りがオレンジ色がかった赤色、クリーム色は黄味がかった色になりました。これらの車両も多客期の臨時急行等に運用され、大阪や東京にも顔を出したことがありました。 いずれも鉄道輸送華やかなりし頃の懐かしい車両です。 返信 ↓
米手作市様 私学などとんでもない貧乏家族でしたのでめでたく「きぼう号」で修学旅行をしました。当時は今の首相のお爺さんが総理大臣で安保闘争の真っ最中であり、国会議事堂の見学はアウトでした。3人掛けと低い屋根は覚えています。帰りは雨の中の夜行になりました。1900生さんのご説明にあります準急「ながら」は名古屋駅で撮ったことがありますが、東京からの「ひので」とか「長州」とか167系の湘南色とか58系の「とびうめ」は撮ったことがありません。修学旅行用のキハ58は少し色が濃いと申しますか一般のそれとは違っていたように思いますが如何でしょうか。 返信 ↓
米手作市様 コメントの続編です。 先の小生のコメントは、修学旅行電車3形式全般についての記述ではなく、155系限定でした。 同系列は京阪神地区からの修学旅行生用で、登場時には3ケタ形式との過渡期だったため、クハ89、モハ82、サハ88を名乗っていました。 続いて中京地区用として全体低屋根の159系が投入され、更には山陽地区用の167系が増備されました。 167系は部分低屋根方式で、高運転台でした。そのためクハ167の先頭部側面窓上の塗り分けが 稲妻形になっていたのが新鮮でした。 なお、塗色については155、159系と同様の修学旅行色で登場したと記憶しております。 後年、修学旅行が新幹線に移ったため、3系列共一般車化され、塗色も湘南色に変更されました。 返信 ↓
河 昭一郎 様 塗色のご指摘ありがとうございました。用途廃止後ほどなく廃車された155・159系にくらべ、167系はかなり遅くまで臨時用として残っていたため湘南色の印象が強かったのと、説明を端折ったために舌足らずになった点がありました。ありがとうございました。 返信 ↓
河 昭一郎 様 チャチャを入れるなんてとんでもございません。小生生来の無精者でしてきちっと資料を確認せずについ記憶に頼ってしまう傾向があり、そのため思い違いも多々ありますので、こうしてご指摘頂けるのはたいへん有難いことだと思っております。 河様は小生がピクトリアル誌を読み出した頃からご投稿や記事を拝見しており、いわば雲の上の大先輩との印象を抱いておりました。こうしてやりとりさせて頂けますことはたいへん光栄なことです。 こちらこそ今後ともクローバー会共々よろしくお願い申し上げます。 返信 ↓
1900生様 いえいえ、小生は所謂『おっちょこちょい』に過ぎず、中学生の頃から巻末の『読者短信』への投稿が専門でした。さらに、ジャンルは国電が得意と言うイビツさです。 しかし、JR化後は付いて行けずJ西では223系、J東では233系、更に新幹線では300系止まりとなっており、昨今の飛行機だかレーシングカーだか判らないアニメ・デザインの『これ電車?』と疑う車両には辟易状態です。 いわんやJ九州、J東海、J北海道にはもうお手上げで、特に付番も私鉄化したJ四国に至っては『もう、どうでもエエ』(失礼)感じです。 もう無くなってしまった『国電』限定なので、言わば『取り残された鉄ちゃん』(笑)に過ぎません。 縁あって『デジ青』への投稿などをお許しいただいており、それが目下の生き甲斐?ではあります。 返信 ↓
河様、1900生様、 解説、ありがとうございます。 なにせ電車には疎い上、乗ったこともないため本で見た範囲の知識しかありません。 塗装にそんな変遷があったとは知りませんでした。155系も最後には湘南色になったとか、写真があれば見てみたいものですね。準特急さん、持っていませんか? 返信 ↓
米手作市様
修学旅行電車は懐かしいです。
年齢的には当然修学旅行で乗った訳ではありませんが、新製試運転の直後に大阪駅で展示会があって、カメラ片手に駆け付けたのを思い出しました。
第一印象は『えらい屋根が低いなあ』でした。
屋根が削ぎ取られた極端に薄い怒り肩スタイルに、大いなる違和感が有りました。
さらに室内は圧迫感がありましたね。
全線入線が前提の修学旅行電車は、パンタ折り畳み高さの関係で屋根を低くしたまでは良かったが、編成の全体を削ってしまったものでした。
当時は部分低屋根の発想が無かったんでしょうね。
陸橋の上から見ると屋根にお椀を伏せたような突起物(実は扇風機の台座)がズラッと並んでいた気がします。
小生も米手作市さまと同窓ですのでスハ32を中心としたガラクタ編成で京都から退避を繰り返し、確か8時間ほどかかって沼津まで行った記憶があります。
さて本題ですが155系は修学旅行専用車として初めて大阪(一部は西明石)~東京間に登場した車系なのはご存知の通りです。その後全国(但し直流区間ですが)から要望が起き、修学旅行シーズン以外の多客期に臨時準急・急行として運用出来るように、一部の設備を変更した159系が登場、東京~大垣間の準急「ながら」や~下関間の急行「長州」等に運用されました。更に一般運用を主眼にするも修学旅行にも使える167系が登場しています。167系は急行用165系をベースに製作されましたが、出入口の幅が狭いのとTcMM’Tcの4両基本であるのが165系(3両)との違いです。塗色は155・159系が修学旅行色、167系は湘南色でした。
非電化区間にも直通出来るDCとしてキハ58系にも修学旅行用が登場しました。九州地区は「とびうめ」東北地区は「おもいで」のネームが付きました。塗色は通常の急行色とは少し異なり、窓周りがオレンジ色がかった赤色、クリーム色は黄味がかった色になりました。これらの車両も多客期の臨時急行等に運用され、大阪や東京にも顔を出したことがありました。
いずれも鉄道輸送華やかなりし頃の懐かしい車両です。
米手作市様
私学などとんでもない貧乏家族でしたのでめでたく「きぼう号」で修学旅行をしました。当時は今の首相のお爺さんが総理大臣で安保闘争の真っ最中であり、国会議事堂の見学はアウトでした。3人掛けと低い屋根は覚えています。帰りは雨の中の夜行になりました。1900生さんのご説明にあります準急「ながら」は名古屋駅で撮ったことがありますが、東京からの「ひので」とか「長州」とか167系の湘南色とか58系の「とびうめ」は撮ったことがありません。修学旅行用のキハ58は少し色が濃いと申しますか一般のそれとは違っていたように思いますが如何でしょうか。
米手作市様
コメントの続編です。
先の小生のコメントは、修学旅行電車3形式全般についての記述ではなく、155系限定でした。
同系列は京阪神地区からの修学旅行生用で、登場時には3ケタ形式との過渡期だったため、クハ89、モハ82、サハ88を名乗っていました。
続いて中京地区用として全体低屋根の159系が投入され、更には山陽地区用の167系が増備されました。
167系は部分低屋根方式で、高運転台でした。そのためクハ167の先頭部側面窓上の塗り分けが
稲妻形になっていたのが新鮮でした。
なお、塗色については155、159系と同様の修学旅行色で登場したと記憶しております。
後年、修学旅行が新幹線に移ったため、3系列共一般車化され、塗色も湘南色に変更されました。
河 昭一郎 様
塗色のご指摘ありがとうございました。用途廃止後ほどなく廃車された155・159系にくらべ、167系はかなり遅くまで臨時用として残っていたため湘南色の印象が強かったのと、説明を端折ったために舌足らずになった点がありました。ありがとうございました。
1900生様
スミマセン。塗色についてはツイ筆が滑って、貴殿のコメントに『チャチャ』を入れてしまい申し訳ありませんでした。今後共よろしくお願い致します。
河 昭一郎 様
チャチャを入れるなんてとんでもございません。小生生来の無精者でしてきちっと資料を確認せずについ記憶に頼ってしまう傾向があり、そのため思い違いも多々ありますので、こうしてご指摘頂けるのはたいへん有難いことだと思っております。
河様は小生がピクトリアル誌を読み出した頃からご投稿や記事を拝見しており、いわば雲の上の大先輩との印象を抱いておりました。こうしてやりとりさせて頂けますことはたいへん光栄なことです。
こちらこそ今後ともクローバー会共々よろしくお願い申し上げます。
1900生様
いえいえ、小生は所謂『おっちょこちょい』に過ぎず、中学生の頃から巻末の『読者短信』への投稿が専門でした。さらに、ジャンルは国電が得意と言うイビツさです。
しかし、JR化後は付いて行けずJ西では223系、J東では233系、更に新幹線では300系止まりとなっており、昨今の飛行機だかレーシングカーだか判らないアニメ・デザインの『これ電車?』と疑う車両には辟易状態です。
いわんやJ九州、J東海、J北海道にはもうお手上げで、特に付番も私鉄化したJ四国に至っては『もう、どうでもエエ』(失礼)感じです。
もう無くなってしまった『国電』限定なので、言わば『取り残された鉄ちゃん』(笑)に過ぎません。
縁あって『デジ青』への投稿などをお許しいただいており、それが目下の生き甲斐?ではあります。
河様、1900生様、
解説、ありがとうございます。
なにせ電車には疎い上、乗ったこともないため本で見た範囲の知識しかありません。
塗装にそんな変遷があったとは知りませんでした。155系も最後には湘南色になったとか、写真があれば見てみたいものですね。準特急さん、持っていませんか?