昭和の電車 改訂版(53)ー東急電鉄デハ3450型ー

私は全く分かりません。写真も一枚も持ってません。
準特急さん、タスケテください!

 

 

昭和の電車 改訂版(53)ー東急電鉄デハ3450型ー」への6件のフィードバック

  1. 私もよくわかりません。晩年は正面貫通化、片運転台化されたものも多くありましたが、この3456は片運転台化されたものの正面は貫通化されずに残った車両です。東横線時代に黄色と紺色の当時の標準色を白黒で撮ったものもありますが、今回はこの3456にしました。撮影は1972年9月15日大井町線九品仏です。

    • さすがは準特急さん!
      塗色が違うので比べにくいのですが、明らかに関先生の画と比べて窓の大型化が分かります。パンタは増設ですか?

  2. よくわかりませんが、3450は当初両運、非貫通でその後改造等によりいろいろな顔ができてパンタも前になったり後ろになったのでしょう。新型コロナウイルスで趣味の会やイベントが中止になっていますが、東急に詳しい方にメールで聞いてみたいと思います。

  3. 久振りにGordon Davis氏の作品をお目に掛けたく、存じます。それと云うのも関先生の絵の構図とウリふたつだからです。まぁ当時、橋の上で撮るとすると、日照の関係で下流側からになるので、皆こう云う写真になりますが。運転士が見えませんから、これは大井町行きの上り列車ですね。撮影は、昭和31年です。ときどき車で、ここを通りますが、スイスイ走れます。電車が無くなったから? いえ、上流側に自動車専用橋が架けられたからです。それ以前は、電車が通らなくなっても、かなり渋滞していた記憶があります。

    • 全く同じアングルですね!
      カラーで見られて幸せです。デービスさんに感謝申し上げます。
      昭和31年、私は窓から顔を出している子供達と同じくらいの年齢でした。

  4. アメリカの人間国宝さんにはとてもかないません。続編の京急230形は譲渡先琴電での海辺のカラーがどこかの出版社さんから出てくるかもしれません。京急時代は白黒ばかりであり、やめました。東急といえば確か私の1年後で0島さん(ニックネームは釜飯だったと思います)という方がおられ、DRFCの運転会の京阪全盛期の中で東急7200系2連をひっそり走らせていたように思います。間違っていたらごめんなさい。

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