昭和の電車 改訂版(8)ー国鉄クハ86型ー

この電車の写真を持っていないという人は若い人です。でも「古い人」?でもこの急電塗装の写真を持っている人はほとんどいないのでは?

中村進一作品集の中を探しましたが見つかりませんでした。
最も近いのがこれです。

 

どなたか、急電塗装の86をお持ちの方は見せてください。

 

 

12 thoughts on “昭和の電車 改訂版(8)ー国鉄クハ86型ー

  1. お暑うございます。こんな時は、書斎の鉄道ファンに徹するのが一番と、米手さまのリクエストに応え、またまたGodon Davis氏のカラー写真で、皆様への暑中お見舞いと致しましょう。1956(昭31)年5月の撮影です。撮影場所は、between Kyoto and Osakaとしか記してありません。広い米国の基準ならこれでも十分特定してることになるのでしょうが、地元のデジ青の皆様なら、直ぐお判りになるでしょう。どうぞ教えて下さい。

  2. 宮崎繁幹様
    これはすばらしい!
    本当に見られるとは思ってもみませんでした。しかもカラーで!
    子供の頃、大阪へ行くときに見たことを覚えています。茶色にクリーム色の車体は、茶色一色の国電の中では飛び抜けて明るく思えました。
    場所はどこでしょう?東海道線の上を跨ぐ線路があるところといえば向日町付近、茨木付近、ぐらいでしょうか?

    • 米手作市さま
      なにやらまたまたここはどこ?に引きずりこまれつつあるやに思えますが、仰る2地点を検討すると向日町の北、現在では桂川駅付近の梅小路からの下り貨物線が本線を越える地点ではないでしょうか?茨木の吹田操車場(おっと齢がわかりますが)、現在の吹田貨物ターミナルへの下りオーバークロス線は位置が反対、つまりこの写真でいうと左側から右へ乗り越す形になりますから前述地点だと思いました。それと気になるのが高槻電車区?への出入庫線です。ここにもオーバークロス線があったと思いますが、よく認識できていないのと、写真の場所ほど雄大な感じではなかったので、違うような気がします。

      • 宮崎繁幹様 米手作市様
        あの~、横入りで恐縮ですが、架線がコンパウンドに見えますので、ヒョットすると吹田より西方ではないかと・・・。

  3. 米手作市様
    当時の国電ファンに取っては、急電は絶対的王者でした。
    当初1950年8月29日に4連8本で現れ、翌年の8月1日からは真ん中にサハ87を増結した5連となりました。
    急電については語り出すとキリがない位の話があります。
    何れにしても我が急電は東海道線の全線電化以前に於ける京阪神間で、阪急、京阪、阪神に君臨する存在でした。
    スピード、デザイン、伝統の52系塗色、オールクロスの車内等、『やっぱり国鉄やなぁ』と、幼少の国電ファンは鼻高々だった記憶があります。
    しかしながら当時のカメラ事情と懐事情は劣悪で、モノクロ写真ですら数少なく、肝心の伝統の急電色カラ―写真は1枚も無い有様で、痛恨の極みです。

  4. 大津の86様
    猛暑の中での模型運転会の報告有難うございます。
    電車の86についても一言コメント(思い出でも結構です)をお願いします。

    • 準特急さん、
      昨日電話をしましたが通じませんでした。電話代を払っていないのか、着信拒否なのか。お聞きしたいことがあります。
      この欄をお借りして私信を致しました。

    • 私は全く急電の86は知らないのです。物心がついた時は和歌山のミカン色、俗にいう湘南色の86です。以前にも書いたと思うのですが、伏見大社には大阪より国鉄で京都へ、席はいつも吹田操車場が見える京都に向かって左側。貨車の屋根に積もっている雪を見るのが楽しみでした。おじゃましました。大津の86でなく、ごでうの八六でした。

    • 準特急様
      ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか。1952年生まれの私ですので、関西急電時代は記憶にありません。普通電車も1960年代の終わりには113系に置き換わっていたので、通学でお世話になったのは113系の方でした。80系については唯一晩年に臨時快速「近江路」に使われていたのを撮影したのを覚えています。その時、父親の8mmも借りて「近江路」の大津駅発車を撮影、これは当時行われていた琵琶湖博覧会の臨時電車で大津始発という珍しい列車でした。この8mmには浜大津貨物線の8620の発車シーンも写っていて、一昨年大津歴史博物館に寄贈しましたので、館に行けばみられるのではと思います。
      ところで私のハンドルネームの86は後者の方でした。当時浜大津貨物線の8620は21時頃梅小路に回送され、家からもこの汽笛がよく聞こえ、この思い出がハンドルネームとなりました。
      とりとめのないコメントで失礼しました。

  5. 米手作市様
    情報有難うございます。お世話になっております宮崎繁幹さんがどのように整理されているのかよくわかりませんが、いつも素早く見つけ出してデジ青に素晴らしいカラー写真を発表してくれて米手さんと同様に嬉しく楽しく見ております。

  6. 準特急さんにお世話になっているのは、小生の方です。自分の撮った写真は撮りっぱなしで、探すには、勘ピューターに拠るしかありません。しかし人様から頂いた写真は、世の為、人の為に頂戴したと考え、せっせとリストを作り、パソコンで管理しております。Davisさんは、整理の良い方で、写真と一緒に、リストをくれました。しかし当たり前ですが、英文。まぁ、Exp. train, Osaka, Kyotoなんてのは、中学生でも判る。と、思うでしょう? ところが、いっぱいデータがあると、瞬時には頭に入って来ません。これが、急電、大阪、京都と書いてあれば、直ぐ気づくんですが。何でこんなことを記したかと云えば、言い訳です。リストを見返していたら、もう1枚あったんです! こちらも撮影は、1956(昭31)年5月。場所は、芦屋付近とのことです。どうぞ、お楽しみ下さい。

    • 宮崎繁幹様
      貴重な急電色の80系、涙が出る程(笑)堪能させて頂きました。
      特に2枚目の芦屋近郊でのショットは、小学校3年生~高校終了まで毎日電車通学で通った区間で、懐かしさで一杯でした。
      小生の記憶通りの上品な色に『これこそが急電ダ!』と感激している内に、スッカリ見過ごしていた事に気付き、また、また『ヒケラカシ』です。
      1枚目の5連ですが、良く見ると3M編成で、この頃10本有った急電編成の最終増備車でした。
      他の9本は2M3Tだったのに、何故か最終増備編成のみが3M2Tで際立っていました。
      車番は86067+80099+80100+80101+86068で、この編成でモハ80は100の大台に至り、後の湖東線増備車では86、87を100番代に飛ばした中、80が200番代となった理由でした。

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