廃駅をめぐる  【9】

郷津  (昭和44年9月30日廃止)

今回の郷津は、以前の記事でも触れていて既出ですが、改めて“廃駅”として紹介します。郷津は、北陸本線の最東端に当たる駅で、地滑りが多く発生する災害多発地帯でもありました。昭和40年代に進められていた北陸本線の複線電化の改良工事に際しては、西隣にある谷浜と、東隣にある直江津を長大トンネルで直結することになり、その中間に当たる郷津には、代わりとなる駅も新設されず、昭和44年9月限りで廃止されることになりました。郷津は、明治44年に国鉄信越線の駅として開業し、のちに路線名が変わって北陸本線の駅となりました。昭和39年には、集中豪雨で地滑りが発生し、土砂で駅が埋まったこともあります。駅舎は山側の国道8号沿いにありましたが、周囲に人家はほとんどなく、訪れた時は、北陸本線の糸魚川~直江津の最後の非電化シーンを収めるため、能生、谷浜といくつかの駅に降り立ち、夕方になって、郷津に降り立ちました。郷津を通過する大阪発青森行き特急「白鳥」、堂々14両編成の82系特急が日本海沿いを行く姿は、“クイーン”の称号にふさわしいシーンだった(以下、昭和44年8月)

駅は、対向ホームの二面二線で、貨物時代の名残の側線も残っていた。周囲には人家はほとんどなく、駅でも乗降客は見られなかった。北陸本線の全線複線電化のニュースのなかで、最東端の駅は、あと一ヵ月で姿を消そうとしていた。「国有鉄道案内図」より。上野発金沢行き急行「白山」、DF50 511〔富一〕の牽引、信越線経由で東京と北陸方面を結んでいた老舗の急行列車、昼行の客車急行は、この時代でも珍しい存在だった。昭和47年3月改正で、やっと489系の電車特急に生まれ変わった。

新線との切替え地点を行くD51の牽く貨物列車、左手には複線電化された新線ができている。2563レ D51 128〔直〕、直江津区のD51には集煙装置がなく、北陸本線沿いの機関区としては珍しい存在。

なお、山陰本線の石見江津は、郷津の廃止で、読みが「ごうつ」と類似する駅名がなくなったため、翌年に石見が取れて「江津」と改称された。

北陸本線糸魚川~直江津は、JRへのを経て、北陸新幹線の開業に伴い、第三セクター、えちごトキめき鉄道ひすいラインに移管された。現在、廃線跡は、国道8号直江津バイパスとして再利用され、駅跡は駐車場になっているそうだ。

 廃駅をめぐる  【9】」への7件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さんが昭和44年8月に郷津駅で写真を撮られたとのことですが、私は同じ昭和44年8月に湊町駅のことと同じく高校の部活で会津方面への夏期調査旅行の帰りに気動車急行、多分「越後」だと思いますが郷津駅を通過しています。冷房のない気動車急行で夏の昼間を大阪まで乗り通すのはしんどかったです。旧郷津駅は地図で見ると虫生岩戸(むしゅういわとと読む。)の集落の東側にある数軒の集落にあったのですね。直江津(今の上越市)は祖父の生まれ故郷で先祖の墓があります。富山で単身赴任している時に車で直江津に行きました。その時に8号線を走っていると山側に旧線跡が残っているのはわかったのですが、旧郷津駅跡を通ったとは知りませんでした。しかし、「虫生岩戸」とは珍しい地名です。どんな由来があるのかわかりません。図書館はコロナウイルスで休館しているし、難儀なことです。

    • どですかでん様
      思い出コメント、ありがとうございます。湊町から出られたとは、例の「大和」の時ですか。「越後」もありました。新潟~大阪の運転で、たしかに煙は無いとは言え、冷房の無いDCに乗り通すのは、今から思えば苦行ですね。直江津~糸魚川は、ほとんど新線に代わっていますから、今でも各所で旧線跡が見られるようです。「虫生岩戸」、珍しい地名ですが、「虫生」の地名・名字は全国にいくつかあるようですね。たまたま、今も準特急さんと、九州の「はる」「ばる」読みの「原」で盛り上がっていました。

  2. 郷津の写真を懐かしく拝見させていただきました。ありがとうございます。小生も総本家青信号特派員さまと同じ昭和44年8月の7日(木)に訪れています。たまたま、DF50の写真と同じ角度で撮影したD51の写真がありましたので添付いたします。谷浜海水浴場がシーズンまっただ中でしたので、車が道路に多数駐車していました。(この道路が現在の国道ですね)この区間は、基本は直江津方面が奇数列番でしたが、金沢ゆき「はくたか」は1001Dだったのが私のノートに残っています。

  3. すみません。添付写真を間違えました。改めて、添付いたします。

    • クモハ73106東ウラさま
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。好き勝手に載せていますが、先達に見ていただいて光栄です。ほぼ同時期に郷津へ行かれていたのですね。私の撮った「白山」と同じ場所から撮られていたことも奇遇です。海水浴のクルマが路駐しているのも時代です。もう一点の「はくたか」も貴重です。関西の人間にとっては、なかなか見られない80系DC特急でした。また今後も貴重な写真を見せてください。

  4. はじめまして。直江津出身の20代の鉄道ファンです。
    電化以前の糸魚川までの区間の写真はネットや図書館にも大したものはなく現地の痕跡もすっかり消えているため自分にとって半ば幻のような存在でしたが、数々の素晴らしい写真にとても感動しております。

    • ヨ8255さま
      コメントを頂戴し、ありがとうございます。なるほど20代の方にとっては、糸魚川~直江津に蒸機が走っていたなど、生まれるずっと以前のことですから、幻のように感じられることでしょう。喜んでいただいて、私も嬉しくなりました。今後も、カビの生えたような写真ばかりですが、懐かしんでいただけるような写真を発表して行きます。

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