廃駅をめぐる  【10】

香月  (昭和60年3月 廃止)

つぎは九州、筑豊などの炭鉱地帯には、かつて無数の支線が伸びていました。今ではすべて廃止されて、あれほど複雑だった時刻表の地図もすっきりしました。筑豊本線の中間から分岐していた香月線のそのひとつでした。沿線では、石炭の採掘が古来から行なわれていて、九州鉄道によって敷設免許を得て、工事が着工されます。九州鉄道は明治40年に国有化され、その後も工事が進められ、明治41年7月に、中間~香月の3.5キロの路線が開通し、途中には、新手、岩崎の駅が設けられました。水運に頼っていた石炭の輸送は、香月線の開通で飛躍的に増加、最盛期には、中間~新手は、九州初の3線区間(貨物用複線+旅客用単線)となり、わずか3.5キロの区間に、3列車以上の貨客列車が走っていたと言います。しかし、エネルギー革命によって昭和30年代後半から探鉱が次つぎ閉山し、訪問時には気動車のみの旅客列車で、貨物列車はもう見られませんでした。第一次特定地方交通線として、昭和60年3月限りで廃止されました。ちょうど、扇町から輸入炭を秩父鉄道三ヶ尻まで運んでいた、日本最後の石炭列車が無くなったニュースが入ったばかりでした。(以下、昭和46年12月)

香月駅で発車を待つ130D、キハ4520+キハ1010という当時の新鋭気動車と10系気動車の始祖が仲良く繋がっていた(以下、昭和46年12月)。

香月駅舎、当時どこでも見られた木造切妻屋根の駅舎だった。

「国有鉄道案内図」より。筑豊でもいちばん北九州に近いところで、比較的行き易いところだった。末期は一日10往復のDC、ほとんどが若松始発だった。ホームは一面、側線が一本と、末期の終着駅でよく見られた構内、右手には割と新しいホッパーが見えるが使われた様子はない。もっと以前には、香月から筑豊興業鉄道という私鉄が分岐していて、香月で石炭を積み替えしていた。構内ではその跡も定かではないが、少し行くと筑豊興業鉄道の跡がはっきり残っていた。

乗車して来た129D、キハ1010を見る。香月は北九州市に属しており、筑豊電鉄香月駅も近く、香月線で遠回りして北九州へ行く客は少なかった。香月駅の跡は、西鉄バスの営業所の駐車場になっている。こちらは、少し前の昭和43年3月の中間駅、香月線には、朝夕に8620の牽く客車列車が走っていた。88622は、若松区の化粧煙突、形式入りのピカイチで、絵になった。同じ時期には、香月線には石炭列車がまだ走っていた。背後にはボタ山も見える中間~新手、もと3線区間のところで、その跡がまだ残っていた。手前の線路は筑豊本線。

 

 

 廃駅をめぐる  【10】」への7件のフィードバック

  1. 筑豊には多くの路線がありましたが、今ではすっかり寂しくなってしまいました。小生は蒸機の最晩年に何とか間に合った世代で、香月線と言えばハチロクを思い出します。夜行列車を折尾で降り、中間方向へ歩いてゆくと、4本の線路上を次から次に蒸機が姿を見せ、夢のような光景でした。
    しかし、当時の中高生にとって、いや、小生には路線の成り立など興味もなく、一本でも多くの蒸機列車を撮ることしか眼中に無く、数少ない列車に乗って終点まで行くなど考えもしませんでした。そもそも筑豊の鉄道は石炭の輸送を目的に建設され、鉄道駅が炭鉱に結びついていたことを知るのは、つい最近という始末で恥ずかしい限りです。
    香月線の終点からは筑豊鉱業鉄道が伸びていて、その終点は野面(のぶ)という難読駅名でした。此処には明治11年生まれのとんでもない古典機がいて、工部省釜石鉱山を振り出しに阪堺鉄道、南海鉄道などを渡り歩き、昭和26年頃まで生きていたそうです。
    総本家様の写真にはボタ山やホッパーが写し込まれ、石炭産業で栄えた『筑豊』がしっかりと記録されております。その場所でしか見られない風景、その時代でしか見られない風景は、鉄道写真という範疇にとどまらず、後世に語り継ぐかけがえのない財産です。
    話は変わりますが、88622にデフがないのを拝見し、思わず「えっ!」と疑問を感じました。昭和47年1月に遠賀川で同機に出会ったのですが、デフを付けておりました。その後は同機を見る機会に恵まれませんでしたが、鉄道誌やネットを見ると昭和47年の秋ごろには再びデフがなく、時期によって違うものだなあと今更ながら気付いた次第です。
    一本でも多くの蒸機列車を撮りたい一心で、支線区に入ることなど考えもしなかった小生ですが、香月線を始め室木線や宮田線の終点へ行けば、石炭産業華やかなりし頃の名残が見られたのですね。香月へは129Dで行かれておりますが、帰りは14分後に発車する130Dでしょうか?わずかな時間に写真撮影と入場券の購入をされ、慌ただしかったことと思います。今となっては筑豊の気動車列車も懐かしく思え、何両編成で、どんな形式だったのか知りたくなりなります。入場券に入れられたパンチも、興味深く拝見しました。
    香月線には行けませんでしたが、折尾の南方で香月から来た124列車を写しておりました。この列車は折尾で折り返しする運用で、鹿児島本線への乗り換え客の便を考慮していたようです。デフ付き・パイプ煙突の68660ですが、ハチロクというだけで満足でした。

    • 紫の1863さま
      香月線にまつわる思い出、ありがとうございます。筑豊興業鉄道は、私も心惹かれた鉄道でした。廃止されたのが昭和29年で、周りは国鉄ばかりなのに、わずか3.8kmの私鉄がよくぞ生き延びたものと思いました。やはり石炭の量がハンパなかったのだろうと思います。機関車についても、古いピクで、谷口良忠さん、奈良崎博保さんから、筑豊の専用線の蒸機がよく紹介されていて、そのなかて筑豊興業も紹介されていました。この写真を撮った2年後の昭和48年8月ですが、筑豊興業への思い断ち切りがたく、廃線跡を訪ねました。香月線は列車が無く、筑豊電鉄香月駅から炎天下を歩きました。途中で余りの暑さで引き返しましたが、川を渡る橋脚跡やホッパーの残骸を確認することができました。
      88622がデフ付きでしたか、廃車になった他機から流用したのでしょうか。私にとって88622の強烈な思い出は、その昭和48年8月、室木線に乗ると牽引機は同機で、喜び勇んで前へ見に行くと、なんとナンバーがペンキ書き! 機関士に聞くと盗まれたと言うことで、とくに形式入りのナンバーが目を付けられたようです。蒸機の末期、すさんだ時代になってきたことに心が痛みました。

      • 88622のデフが気になって、調べてみました。1926年2月に汽車会社で製造され、新製配置は仙台局だったようです。村上⇒千葉⇒新小岩を経て1966年8月に若松区してきましたが、新小岩時代にはデフを装備していたようです。若松転属後の画像をネットの画像を探してみました。
        1969年3月 デフ付き
        1972年1月 デフ付き・点検窓あり・デフ前縁に白の塗装
        1972年8月 デフ付き・点検窓あり
        1972年10月 デフなし
        1972年10月は鉄道開通100周年の記念行事が各地で執り行われ、88622は行橋機関区にて展示されたようです。ランボード側面の白線を塗り直し、真鍮部分の磨きだしなどの化粧直しがされ、デフも同時に外されたと考えます。
        それにしてもナンバープレートが盗難にあうとは、なんとも胸の痛いことです。

        • 紫の1863さま
          88622のデフの取付け時期、履歴もお調べいただき、ありがとうございます。こうして見ますと、デフ付きの期間が長く、むしろデフなしのほうが珍しかったようですね。私の撮影分も調べて見ましたが、たまたまデフなしばかり撮っていました。その昭和48年8月、ペンキ書きのナンバープレートの時代のものを貼っておきます。室木駅での撮影です。

  2. 総本家青信号特派員様
    昭和48年8月に室木駅で撮影された88622は、2日の826列車でしょうか? 『国鉄時代』に総本家様の写真と記事が載っていました。ペンキ書きのナンバープレートとは言え、丁寧に書かれているように見えます。「九州の蒸気機関車は最後まで美しかった」と、当時を知る鉄道ファンの間で伝説のように語られますが、鉄道員の矜持を感じます。
    小生が88622を見たのは昭和47年1月5日のことで、中学生でした。形式入りのプレートも化粧煙突も「猫に小判」で、もうちょっと撮り方を工夫できなかったかと反省しております。写真の腕は未熟なうえに、ハーフ版のカメラでは上手に撮れませんでした。しかし今となっては下手くそな写真であっても、自分にとっては大切な記録になりました。

    • 紫の1863さま
      何度もコメントをいただき、恐れ入ります。「国鉄時代」も見ていただきましたか、ありがとうございます。同号の72頁中段の88622は、上掲のペンキ書きの時に撮ったものです。キャブ周りを写して、正面に回ると“エーッ”となった次第です。雑誌には、さすがに正面は載せられず、キャブ付近だけにとどめました。同号を見ますと、ほかの方が香月線のことも書かれていますね。そのなかには、くだんの88622の写真も載っていました。1863さんが撮られたや88622は、遠賀川で撮られたものですか? 私もホームに植木があって、ちょうどカマとカブッてしまったことを覚えています。

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