廃駅をめぐる  【4】

鍛冶屋駅

鍛冶屋線は、加古川線の野村(現・西脇市)から分岐して、鍛冶屋へ向かう13.2kmの路線で、途中には、西脇、市原、羽安、曽我井、中村町の各駅がありました。その前身も、前回で紹介の三木線・高砂線と同様の播州鉄道で、西脇~鍛冶屋の全通が大正12年5月のことでした。播州鉄道は、現在の加古川線加古川~谷川のほか、北条線(現・北条鉄道)も開業しており、加古川を中心にした地域ネットワークを形成していました。その後、播州鉄道は播丹鉄道に譲渡され、さらに昭和18年に国有化されて鍛冶屋線となりました。鍛冶屋線の輸送密度は、2000人を切っていて、第三次特定地方交通線に指定されましたが、野村~西脇のラッシュ時の輸送量が多く、この区間だけでも存続を希望する意見が多かったものの、部分存続は認められず、JRに移行後の平成2年3月限りで野村~鍛冶屋13.2kmが廃止となりました。なお第三次特定地方交通線に指定されたのは、JR西日本では大社線(廃止)、宮津線(転換)、能登線(転換)がありました。JRになった平成の時代に、第三次特定地方交通線として廃止された鍛冶屋駅、一面一線の終端タイプの駅で側線が何本かあった(以下、平成2年3月17日)。

鍛冶屋駅の本屋。木造、白壁造り、寄棟屋根は、前回の三木駅と同じで、同じ鉄道の出自を感じさせる。廃止後は駅跡に鍛冶屋線記念館が建ち、屋外にはキハ3069が保存されている。▲▲墨痕あざやかな駅名標。

最終日近く、乗り納め客で賑わう改札口付近。有人駅で窓口では、記念乗車券、オレカを発売中で長い列ができていた。

 

 

廃止前の鍛冶屋発着の列車は一日14本で、すべて加古川まで直通していた。744Dのキハ2327+キハ402081の2両編成、車両は、以前の加古川区を統合した姫路運転区のキハ23、40、30、35、37が運用されていた。

西脇駅

西脇市の中心にあり、訪問した時も乗降も多かった。鍛冶屋~加古川の列車とは別に、西脇を発着する区間列車が、一日11本も運転され、加古川、谷川へ直通していた。いまは、駅跡に巨大な西脇バスターミナルビルが建っているそうだ。▲▲西脇と言えば北緯35度、東経135度が通り、「日本のヘソ」として有名、駅にはそれを示す案内もあった。現在では別の場所に「日本のへそモニュメント」が建っているそうだ。

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