廃駅をめぐる  【2】

先の高砂線と同じ日に、三木線も訪れていましたので、続いて載せることにします。三木線も、同じ播州鉄道による開業で、大正5年に厄神~別所が開業、翌年には三木まで伸びて、厄神~三木6.8キロが全通しました。大正12年には播丹鉄道となり、昭和18年には、国鉄に買収されるという、高砂線と同じ出自をたどりました。当初は美嚢川の船運に代わる貨物輸送が目的と言われ、神戸へ向かう人の流れとは逆の方向のため、終始、乗降は望めなかったようです。その後、三木線は第一次特定地方交通線に指定され、昭和60年4月に、国鉄としては廃止となり、同日から第三セクターの三木鉄道に転換しました。地交線の転換の三セクのなかでは、最小の営業キロを、最初は2両のDCで回していましたが、その三木鉄道も平成20年4月に廃止されました。三木線の終点、三木駅の全景、側線はあったものの、草に埋もれていた。左手の貨物ホームも線路は撤去されて、トラツクが出入りしていた。

終端側から見た三木駅、三木線は、転換時は一日9往復、朝夕は加古川まで直通していた。

木造平屋、郵便ポスト、公衆電話と、昭和の駅がプンプンだった。

駅前では、マンサード屋根の2階建て建物が印象的。車止め付近を見る。三木鉄道になってからは、この付近に検修庫ができた。発車を待つ533D、キハ36 42+キハ20 80の2連、高砂線と同じく加古川区の所属だった。

 

三木~加古川のサボ、駅名標。改札口からキハ3642を見る。発車前でも、一両に数人の乗客だった。三木からの戻りは、時間の掛かる三木線経由は諦めて、神鉄三木駅まで歩き、神戸電鉄経由で戻った。

4 thoughts on “ 廃駅をめぐる  【2】

  1. 三木線や北条線等の盲腸線は訪ねにくい線区でしたが、総本家さんはしっかりと訪問されているのはさすがです。三セク 三木鉄道時代の平成13年12月末に高崎から三原へクルマで帰省する途中で三木駅に立ち寄りました。駅本屋の妻面は以前のままであることがわかります。左がミキ300-104、右奥がミキ300-103で、多分この2両で運用されていたのだろうと思います。2軸レールバスのミキ180-101の廃車体探しをしたことも思い出しました。

    • 西村様
      三木鉄道時代の写真、ありがとうございました。私も三木鉄道がなくなる時にも、よく通いました。左手のミキ300-104の停車しているのは、もと貨物ホームを旅客用2番ホームにしたもので、これによって、朝ラッシュ時が2編成可能になり、増発された時期でした。三木鉄道としては、いちばん乗っていた時代の写真ですね。

  2. 総本家青信号特派員様
    近場で廃線となった路線の話、興味深く拝見しました。この時代全く鉄から離れていたのでどこも訪れていませんでしたが、一昨年神戸電鉄の車庫見学会の前に三木に行き、旧三木駅に行ってきました。本屋は改築されて三木鉄道ふれあい館として保存され、建物の中には昔の写真が陳列されていました。

    • 大津の86さま
      三木駅の現況写真、ありがとうございます。建屋は国鉄時代と変わっていませんが、きれいにリノベーションされていますね。国鉄、三木鉄道、ふれあい館と、三代に渡って大事にされて嬉しく思います。ただ三木は、神鉄粟生線の存廃に揺れていますが、二軒目のふれあい館はできてほしくないですね。

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