廃駅をめぐる  【7】

神居古潭  (昭和44年9月30日廃止)

“廃駅”、関西を離れて、全国の廃止された駅をランダムに巡ります。北海道は旭川の近く、深川を出た列車は、やがて石狩川の渓谷沿いを走ります。そのなかに、今回の駅、神居古潭がありました。昭和44年10月の函館本線滝川~旭川の複線電化によって、石狩川沿いの区間は、5つのトンネルが掘られて、ショートカットする新線に切り換わり、納内~神居古潭~春志内(信)~伊納が廃止となりました。駅がなくなる直前の北海道旅行の途中、乗車した列車は、神居古潭で10数分停車して急行列車の通過待ち、その間を利用しての駅周辺の撮影となりました。

神居古潭に降りたのは、無くなる直前、深川から乗った321レが、上り列車と交換のため10数分の停車で、翌月に無くなることも知っていたので、すぐ飛び降りて撮影した(以下、昭和44年9月)。

客車の妻面に貼られていた「日本国有鉄道案内図」を部分拡大、神居古潭は、旭川のすぐ近く、北海道の中央部にあった。神居古潭は、明治34年、函館本線の簡易駅として開業、明治36年に正式な駅となった。駅舎は、開業当時の下見板張りの木造建築で、明るい色に塗られていた。構内は、二面二線の対向式だった。

  現在、旧線跡は旭川市のサイクリングロードとして整備されていて、駅跡には、駅舎、ホームがそのまま保存されているほか、駅構内には29638、D516、C57201の蒸機が保存展示されている。

乗車した321レは、小樽発名寄行きで、旭川を通り越して宗谷本線まで行く珍しい設定だった。私たちも深川から乗って、そのまま宗谷本線の塩狩ユースまで直通することができた。牽引はD51399+C5516+スハフ32390ほか客車6両だった。駅前は少しの広場があっただけで、人家は全く無かった。すぐ白い吊り橋があり、対岸には人家があって、国道も走っていた。渓谷沿いと行っても、さすがは雄大な北海道のこと、保津川や武庫川より、もっとゆったりとした区間を走っていた。駅名標の左手に、対岸へ向かう白い吊り橋が見える。改めて、ネットで神居古潭のことを調べると、駅の由来よりヒットしたのが、“北海道最恐の心霊スポット”の記事、なんでもこの吊り橋が最恐なんだそうだ。この写真のみ、前年の昭和43年9月、神居古潭に停車中、列車の窓から写した札幌発網走・名寄行き「大雪」「なよろ1号」。一昨年の冬、約50年ぶりに新線区間を通り、旧線との分岐などを車内から見ようとしたが、もの凄い雪煙で全く見えなかった。

 

 廃駅をめぐる  【7】」への2件のフィードバック

  1. 紫の1863さんのコメントがきっかけとなり、岩代川俣駅のスタンプを押していたことを思い出しましたが、改めてスタンプを調べてみると、ほかの廃駅でも押していることが分かりました。この神居古潭もそうでした。世の中、ディスカバージャパンの花盛りで、駅スタンプもディスカバージャパンの様式に改められていましたが、さすがに廃止予定の駅までには波及していなかったようです。

  2. たまたまポップアップしたメルカリサイトを見ていますと、神居古潭駅の入場券が、なんと7980円で売り出されていました。もちろんこれで応札されるとは思いませんが、何とも暴利な値段に呆れました。ご丁寧に「超レアのため値下げしません」と書かれています。

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