廃駅をめぐる  【1】

高齢者が何を血迷ったかJR線乗りつぶしを目指すようになりましたが、外出する気力もめっきり減退し、生存中の達成もおぼつかなくなりました。今ごろになって、この思いに至ったのは、廃止された線区に乗らずじまいに終わったことが心の底に残っているからです。昭和の時代、国鉄の「いい旅チャレンジ20000キロ」のキャンペーンにも乗らず、また昭和58年から始まった特定地方交通線の廃止時は、仕事も家庭も忙しい時期で行けるような環境ではなく、廃線ブームに乗じることもできませんでした。ただ、それでも長い趣味活動の間には、特段、乗車目的で訪問したわけでもなく、結果的に廃止されてしまった“廃線”“廃駅”をいくつか記録しました。廃止駅となると、線区そのものが廃止のケースと、線路改良や乗降数減少などの理由で駅のみが廃止のケースがありますが、今シリーズは、その両方を、“廃駅”として見ていきます。

高砂駅の全景、大正3年に播州鉄道の駅として開業した。ホーム一面の駅で、数本の側線があった(以下、すべて昭和59年10月27日撮影)

高砂線は、第一次地方交通線に指定され、昭和59年12月に、加古川~高砂6.5キロが廃止になり、神姫バスに転換している。その歴史を探ると、播州鉄道が大正2年に高砂線の前身となる加古川~高砂口(のちの尾上)を開業、のちに延長された。播州鉄道は、播丹鉄道に譲渡され、昭和18年に国鉄に買収されて、高砂線となっている。
国鉄高砂工場が高砂の手前にあって、出入場には高砂線が使われていたので、高砂線は安泰かと思われていたが、工場そのものが廃止になり、高砂線もあっさり廃止になった。地元の高砂市でも、第三セクターとしての存続を模索するが、加古川市が難色を示し、結局、鉄道としての存続は叶わなかったとされる。

高砂駅に停車する高砂線432D、キハ20521+キハ371の2両編成。廃止前、高砂線は一日13往復のDC列車が走っていた。

駅は高砂市の市街地にあり、駅舎は倉庫然とした貧相なスタイル。▲▲キハ20 521のサボ。反対から見た駅構内、向こう側へは、その年の1月まで高砂~高砂港の貨物線が伸びていた。手前、キハ37の1号車が先頭。狭い一本のホームに駅本屋が接して建っている、いかにも私鉄生まれらしい駅の構造を見せている。

ホーロー製と鳥居形駅名標が並ぶ。

吊り下げ式の駅名標は、国鉄制定のすみ丸ゴシック書体。▲▲時刻表、一日に加古川行きが13本。

尾上~高砂北口の加古川を渡る432D、橋脚は播州鉄道時と思われる煉瓦造り、一部が補強されている。北側で山陽電鉄と平行している。

▲キハ371001+キハ2321の433D、先頭のキハ37は、キハ40系の後継として造られた片運、2扉、ロングシート車、台車などは廃車発生品を利用している。地方線区の廃止が始まった時期で、DCも余剰気味で、キハ37は結局5両の製造に留まった。1000代はトイレなし。水島臨海鉄道に譲渡された1両が残っている。モノクロ写真でも、2両目のタラコ色とは、微妙に異なるカラーであることがわかる。急行用DCと同じ赤2号に塗られていた。

高砂線の途中駅をめぐる

高砂北口 ▲▲尾上尾上に到着する434D キハ371001+キハ23 21 ホーム一面の駅。

鶴林寺 ▲▲野口

聖徳太子創建の鶴林寺の下車駅であることの名所案内がある。こちらもホーム一面。

野口では別府鉄道野口線が分岐していて、高砂線に連絡しDCがホームの左側から発着していたが、その年の2月に一足早く廃止された。レールは剥がされていたが、ホームの裏側に回ると、別府鉄道時代の駅名標まだ残っていた。

 廃駅をめぐる  【1】」への6件のフィードバック

    • 井原様
      懐かしい写真、ありがとうございます。野口はポプラの木がアクセントになっていました。たしか、現役時代、国鉄の調査アルバイトの乗車証を使って、井原さんはじめ、皆さんと別府鉄道へ行ったことがありました。その時が初めての別府の訪問でしたが、浮世離れした、二軸客車の混合列車に乗って大満足でした。

  1. 総本家青信号特派員様
    貴殿こそ基本に忠実な鉄道ファンで、地道な記録・研究に常々感服しております。
    今回の貴重な記録写真にも、ただただ『すごいなあ』としか言い様が無く、しばしの間、目が釘付けになりました。
    小生も『鉄道ファン』を自認し、それを吹聴してはいるのですが貴殿の足元にも及ばず、だんだんとその声が小さく成って行くのを自覚する昨今です。(笑)
    さて、今回の『廃駅を巡る』ですが、キメの細かい取材撮影に感心する事しきりです。
    車両のみならず、駅舎、駅や行先サボの標記、時刻表、各駅の佇まい、尾上駅ホームの乗客の描写等、至れり尽くせりのレポートで、往年の高砂線が良く判りますネ。
    実は小生、高砂線には足を踏み入れる機会が無いまま関東に転居したため、このレポートで『話に聞いた高砂線』を知る事が出来、感謝しております。

    • 河さま
      鉄道趣味界の大先輩からお褒めの言葉を頂戴し、恐縮です。車両でも鉄道でも、“なくなる”の言葉には弱く、廃止前の鉄道へ行くと、目につくものは何でも撮っていました。逆に言えば、いつまでもあると分かると、熱が入らないものです。ところが、10年、20年も経つと、当然変わっていくわけで、“あの時に撮っておけば”の念が沸いてくることが多くあり、見たものは何でも記録するようにしました。

  2. 私は別府鉄道を訪ねる際に加古川・野口間を乗っただけで終わった高砂線となりました。播磨臨海工業地帯でもあり、沿線工場への引込線も多く、また国鉄高砂工場入出場車両の回送も多かったようです。鶴林寺駅のご紹介もありますが、2013年に鶴林寺境内に保存されているC11331を撮りに行ったことがあります。鶴林寺は広い境内を持つ由緒ある寺院です。兵庫県指定文化財の三重の塔の写真を添えておいきます。この塔は山陽新幹線の山側車窓からも遠望でき、今 どのあたりを走行中かがわかる目印です。

    • 西村様
      写真レポート、ありがとうございます。鶴林寺は行ったことがありませんが、たしかに山陽新幹線の車窓からは塔を見たことがあります。周囲が古刹のあるような雰囲気ではないだけに、珍しいものを見た思いでした。保存中のC11も初めて知り、あわてて屋舗要さん著の「保存蒸機」の本を見ると、姫路一区にいたカマのようでした。

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