昭和の電車 改訂版(54)ー京浜急行デハ230型ー


この色を見たら「きぼう」を思い出しました。
琴電へ行った京急230型、ことでん30型はこれですね!
乙訓の長老の撮影でご覧下さい。

 

8 thoughts on “昭和の電車 改訂版(54)ー京浜急行デハ230型ー

  1. 琴電での姿は見ましたが、ずいぶん窓の大きな電車という印象しかなく、昭和の初めに誕生したとは知りませんでした。
    車内の扇風機に「KHK」の文字があり、なるほど京浜急行かと思った次第です。

  2. 紫の1863さん
    この電車や先の東急なども窓が大きく、関西人から見ると異国の電車に見えて羨ましかったのを思い出します。
    東急3450型などは窓を大きく改造した旨、驚きました。
    腰板をただ切り下げればいい、と言うものではなく、補強材も新たに位置を変えて付け直さなければならず、窓を大きくする費用対効果はどうだったのか?。関西私鉄ならこんな改造をしただろうかと考えています。

  3. 辛うじて私も琴電のさよなら運転を撮影していました。もう13年も前のことなんですね。

  4. 戦前の宮松金次郎氏の記録写真があるので、お目に掛けようと思ったら、湘南1型や、京浜71型ではなく、京浜の101型でした。3扉である点で異なるが、同一系列のデザインです。しかし折角の機会なので、関先生の解説中にもある、「片隅開放形」の様子を御紹介しましょう。場所が川崎車庫と思われるので、景色を楽しむ訳にはいきません。だが、見通しの良さは十分判ります。撮影日は、昭和15年3月20日です。

    • 思いのほか開放感がありますね。
      これなら立てば腰から上は窓、座っても肩から上は窓にかかりますね。この時期の電車には関西でも片隅開放型の電車があったように思います。

  5. 宮崎繁幹様、米手作市様
    今頃申し訳ありません。趣味の世界の大先輩の作品有難うございます。米手作市さんが言われるように縦長の大窓はは解放感そのものでした。230形に最初に乗車した時にそのころよく乗っていたP-6を思い出しました。こちらも比較的縦長大窓でしたが私の育った阪急神宝線は1段下降窓(私鉄規格型の550形は2段上昇式で別)で正方形に近い窓が好きになれませんでした。710、810形から阪急統一規格になったがこの形式から正方形もやや長方形になりスタイルがよくなったような気がします。京急一般に言えることですが、横浜や新子安あたりで見ているとこの230形を含めダッシュが素晴らしく国鉄車両が遅く感じたくらいです。230形は軽量構造でさしずめラグビーでいうならスクラムハーフですがP-6は重量フォワードという感じでした。もっとも最近のスクラムハーフは大柄な人が多いです。大師線で初詣客を急行運用で使われた頃が最後の華でしたが、海水浴客の輸送で臨時特急に入った姿も見たことがあります。

    • 準特急さん
      京浜も阪急も、国鉄と並ぶと急に闘争意欲が出てくるようですね。日本のこととなるとアタマに血が上る韓国に似ております。

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