ぼくたちにとっては北勢線は上笠田。ぼくたちとはKくん、Hくんと私の3人。1971年10月、最初に私は上笠田を訪れています。このときは私ただ1人でした。それから2年後の1973年9月に突如として急行たかやまに乗って3人で上笠田へ(詳細はデジタルでない「青信号31号」に)
それから29年経ってから、私1人で上笠田を訪れています。2002年6月23日でした。このときは車で行っています。当時、滋賀県多賀町で単身赴任をしていましたので山を越えれば上笠田のある三重県いなべ市に行くことができます。山越えの国道306号線を東へ走り上笠田へ向かいました。この国道はいつも冬期は通行止めです。しかも険しい鞍掛峠を越えなければなりません。1972年にトンネルが開通して舗装はされましたが、それでも厳しい道でした。
↑ 山越えの麓の集落 大君ヶ畑(おじがはたと読む)
山越えをすると阿下喜、そしてしばらく走ると上笠田に到着します。小さな無人駅になっていました。
↑ 小さな無人駅になった上笠田駅
小さな無人駅になってしまった上笠田駅。ちょっと寂しい気がします。
しばらくすると阿下喜の方から電車がやってきました。そして西桑名へ去って行きました。
上笠田駅は今はもうありません。2006年4月に廃止されました。
そしてあのときの上笠田は
「僕たちの上笠田」は、今も忘れられない「青信号」のなかの名著です。筆致、イラストともに、感慨深いものです。その記事に刺激されて、まだ駅があった時代に、訪れたこともありました。昨年のクローバー会乗り歩きで北勢線に行った時も、窓から首を出して、上笠田の跡を凝視していました。近くの神社の鳥居で、駅跡が分かりましたが、まるで幻を見たように、駅を偲ぶものは何もありませんでした。
やっと「私の上笠田」の写真をスキャンしましたよ。必ず、小型車同士の交換がありました。白い小さな駅舎、向こうに神社の鳥居があるだけで、ほかは一面の田んぼでした。模型から抜け出たような、心に残る駅でした。
写真ありがとうございます。いつ見てもほっこりする駅ですね。ところで駅の正面から撮った写真や駅舎内の写真はありませんか?当時はフィルムで撮っていたので余計?な写真を撮らないようにしていたために撮りたいが撮らなかったものがたくさんありました。今はデジタルカメラなのでたくさん撮りますが、そんな時代でしたので被写体の選択をしなければなりませんでした。写真の撮り方も変わりましたね。
どですかでんさんお元気ですか。上笠田の駅舎の写真ですが、1975年11月3日に行った時のものがありましたのでご覧にいれます。ただ、画面中央下、駅舎入口の左下部分が怪しい感じですがここは私が写っているのを消したらこのようになってしまいました。これ以外は加工していませんのでまあまあ全体の印象はおわかりになると思います。上笠田はいい所でした。
井原さん、写真ありがとうございます。これで駅の中に入る正面扉がどこにあるかわかりました。ハッキリと入口の位置を覚えていなくて、この写真に左側に入口があると思っていました。この位置であれば私の写真でも写っていますが入口とはわかりづらくなっています。私の撮った写真では駅名看板のところが入口だったのですね。グーグルのストリートビューで駅のあった所を見ましたが今もいいところのようです。行ってみたいな~