久しぶりに宮崎繁幹さんから「ここどこ?わただれ?」に問題が出されました。
今回は、前回の「ロケ風景」での敗北を踏まえて、主題を「関西急電」に絞っての出題です。珍しい写真ですが、一部は撮影場所と撮影時期の判明しているものもあります。でも関西の皆様にぜひ見て頂きたいとお送りくださいました。
どこが珍しいか、どこで撮したのかを考えてください。
⇧いつ頃、どこで撮ったか分かりますか?
⇧クハ86047
⇧モハ80078
⇧クハ86 昭和26年8月
この月の1日から、サハ配置に伴い関西急電は5連化されたとのことなので、この写真も5連のようです。左側に見える貨車がトキ900なのも、時代を感じます。
⇧⑤クハ86048 昭和27年4月1日 撮影:植田正博氏
クハ86047+モハ80077+サハ87039+モハ80078+クハ86048
⇧ほぼ新車。⑤にあった「EXP.」の表示は、この頃になくなったようです。
クハ86065+モハ80097+サハ87047+モハ80098+クハ86066
⇧昭和27年度製のクハ86061より正面窓がHゴム化され、スマートになりました。
⇧クハ86
⇧何の添え書きもなく、何にも不明です。皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
1番目、場所は不明ですが、時期は運転開始前の昭和25年9月、試運転時です。(80系による急電の運転は、昭和25年10月1日から開始されています)
2と3は、大阪駅、4は、岸辺駅を通過しているところです。
5は、急電の停車駅が、京都、大阪、三宮、元町、神戸であることから消去法でいくと神戸ではないかと思います。
6、7、8は京都です。9は、右のキロポストから山崎~高槻間です。10も、山崎~高槻間で、川中邸の近くと思います。
1は焼失した2代目京都駅でしょう。
OB会のバックナンバーに故羽村さんが写された往年の姿が出ているのに気がつきました。
https://drfc-ob.com/wp/archives/100199
途中まで、旧アサヒビール工場で吹田駅かと思いましたが、大日本麦酒時代の写真を探してもヒットせず。
そこでこんな時代がかった装飾様式駅は、旧京都駅くらいかと思い画像を探すと当会の記事に、降り出しに戻った次第です。
9は高槻電車区の横を走る区間でしょうね。国鉄時代の車窓が蘇ってきました。
京都駅の旧駅は、意外と記録が少ないのです。多いのは、2番ホームから、1番ホーム発車の「つばめ」「はと」の展望車のバックに駅舎が写っているケースはありますが、羽村さんのように、やや離れた今の八条口から、手前に車両も入れた写真は見たことがありません。改めて羽村さんのデジ青記事を見ましたが、いずれもたいへん貴重な記録です。
藤本哲男さん、K.H.生さん
お二人の慧眼に脱帽です。
この写真には宮崎繁幹さんからメモが添付されていますのでご覧下さい。
「昭和25年11月18日に焼失した二代目京都駅です。80系の試運転は同年1月31日からですから、撮影はその間に絞られます。」写っている80系が試運転時か営業運転時か分かりません。
この夜遅く、4歳だった私は、けたたましい消防自動車の半鐘とサイレンの音で目が覚めました。母に「大丈夫やから安心して寝なさい」と言われて眠りましたが、朝起きたら父が「夕べ、京都駅が火事で焼けた」と言っていたのを覚えています。
米手さま
京都駅の火事を経験されているとは、年齢差を感じますが、京都市民にとっては、金閣寺焼失とともに、ショックな出来事だったと思います。最近、京都市消防局の京都駅火災の記録を読む機会があり、市民の衝撃を知りました。
私の小さい頃の火災の思い出は、京都御所の小御所の全焼でした。近くの鴨川で行われていた花火大会の火の粉が原因ですが、私の家の庭にも、大きな火の粉が舞い降りてきて、怖い思いをしたことを覚えています。
②以下は藤本哲男さんがほぼ完璧ですが、唯一お気の毒なのが⑤です。
通常ならばご推察通りですが撮影日にご注意!
この日は「春の選抜高校野球開催日」で、急電が甲子園口に臨時停車した時に撮影した写真です。従って正解は「甲子園口駅」となります。
最後の⑩は宮崎繁幹さんにも全く分からないそうで、藤本さんに「kawanaka邸付近?」と指摘された地主kawanakaさんに検証してもらいましょう。
掲載された車両を撮影していないか、探してみました。
上から3番目、モハ80078は、昭和52年1月3日、広島駅で撮影していました。車体更新で、扉の取替え、戸袋部のHゴム化が行われています。
5番目のクハ86048は、昭和50年10月5日、京都駅、臨時快速「近江路」で撮影しています。モハ80078同様の車体更新が実施されています。
6番目の編成写真、先頭のクハ86065はありませんが、ラストのクハ86066がありました。昭和49年6月16日、京都駅、臨時快速「近江路」で撮影しています。
扉の取替え、戸袋部、運行窓のHゴム化は実施されておらず、よく原形を保っています。
藤本様には、各車の変遷が判る記録写真を見せて頂き、有難うございました。側引戸や戸袋窓の更新が、必ずしも一様に実施されたのでないことは、興味深いと思いました。一世を風靡した「湘南型」の元祖、正面二枚窓車が、一両も保存されなかったのは残念なことでしたね。