ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(6)

今回よりタイトルが変わります。
今までは「Gordon Davis氏作品より」となっていましたが、今後は宮崎繁幹氏経営の多摩湖鉄道出版部が所蔵されている作品集から宮崎氏が厳選された“わけのわからん写真”(宮崎氏言)を出していただきますので表題を変更しました。
多摩湖鉄道は宮崎繁幹氏が経営する模型鉄道で、出版部からは写真集も刊行されています。

さて、前回までで諸探偵の実力のほどが分かったということで、今回も多摩湖鉄道の倉庫を探しまくって、撮影場所、撮影時期の不明なものを送ってこられました。
ただ、関東にお住まいの宮崎氏にとって未知の場所でも、我らにとっては「ああ、あそこやんか!」となる場所も含まれています。そこで答えは「どこどこ」だけではなく、どの位置から撮ったものなど、一段と詳しくお答えください。

撮影者は不明なものも多く、撮影時期は概ね昭和20年代から30年代ではと思われます。
それではどうぞ!

⇧6x6で撮ってあるのでしっかりした画像です。車番は16号

 

⇧ピントが悪くて失礼します。

 

⇧①と同じ場所でしょうか?路上の標識が同じようです。

 

⇧石坂線でしょうか。

 

⇧滋賀銀行がヒントになる?

 

⇧この写真は戦前かも知れません。京津線はいつからシングルポールになったのでしょうか?もっとも使っているのは一本ですから移行期なのかも知れません。

 

⇧サボが「急行石山寺」です。びわこ号は石山まで行っていたのですか?

 

⇧四宮車庫でしょうか?

 

今回は京阪でまとめられたようです。それでは鑑定を宜しくお願い致します。

ここはどこ?わたしはだれ?ー多摩湖鉄道所蔵作品より(6)」への20件のフィードバック

  1. ①は京阪浜大津ですね。浜大津ジオラマを製作した際に、数多くの写真を参考にしましたので、なつかしく拝見しました。右うしろに写っている2階建ての建物は、京阪電鉄大津支社です。昭和40年代には外観は改装されていますが、瓦葺の屋根はそのままでした。まずは交差点全体のジオラマ写真を添えておきます。ジオラマで「ワリチョー」の看板がある商工中金ビルのところに、3階建ての料理旅館「八景館」があり、その前に浜大津東口の駅ホームがありました。

    • 西村さま、ジオラマで解説して頂くと、位置関係が非常によく判ります。私も浜大津に行っていますが、地上を少し歩きまわっただけでは、直ぐには頭に入りません。有難うございました。

  2. 続いて、京阪大津支社の模型です。昭和40年代ではL字型の建物でしたが、①の写真ではL字ではないので、増築されたことが伺われます。

  3. ③は同じ交差点の反対側で、お土産屋さんが写っています。ジオラマでも作りました。

  4. 角度は異なりますが、ほぼ同一場所、または近くで撮影した写真です。
    1番目、昭和39年8月2日、石坂線、浜大津止りの13です。浜大津から各駅停車になる三条発石山寺行急行に接続します。

  5. 2番目、昭和44年10月10日、三条に到着する団臨の回送の63です。この写真は、特派員さんはじめ何名かの方が撮影されておられます。

  6. 4番目と8番目は、四宮駅と四宮車庫です。
    5番目は、上栄町~浜大津間と思います。
    昭和51年2月11日、306+305、三条行準急です。

  7. 6番目の場所は判りません。
    昭和39年8月2日、浜大津を発車した、56の三条行です。

  8. 7番目は、この写真の少し三条寄りです。
    昭和44年10月10日、東山三条、団臨(鉄道友の会京都支部)の63です。

  9. 写真①と藤本様の写真にも、後ろに浜大津東口の駅ホームが写りこんでいます。高床車に合わせた高い、屋根まで付いた立派なホームですが、この駅は併用軌道区間にあったのでは? 若しそうなら、自動車は上下ホームの間を走り抜けていたのでしょうか??

    • 宮崎繁幹様
      たまたま閲覧し、手元に証拠写真がありましたので投稿します。
      浜大津東口は専用軌道になっていました。道路敷は、この写真で左側を通っており、駅本屋は石山寺方面にあり、坂本方面とは構内踏切で連絡していました。

      • 早速に教えて頂き、有難うございます。この路線は今でも専用・併用軌道区間が混在し、独特の雰囲気がありますね。滋賀県自体が、大京都の影に隠れているが、面白い場所だと感じます。

  10. ④は四宮駅の東側で、斜めに横断する道路、その先にある渡り線、二面三線の配置などは現存します。
    ⑤は藤本様の写真に見える左側の電車のあたりでしょうか。菱尾町商店街から少し浜大津寄り、左手に滋賀銀行がありました。看板が写っているびわこ競艇は昭和27年7月に始まりましたので、それ以降の撮影でしょうね。
    ⑥は戦前の三条です。戦時中の建物疎開で画面右手にあった民家が立ち退き、戦後になって京津線は東寄りに移動しました。

    • すみません、「菱尾町」は間違いでした。「菱屋町」に訂正いたします。チェックが不十分でした。

  11. 四宮車庫の検修庫は、屋根に特徴がありました。宮崎様の写真とは反対方向ですが、1997年10月5日の撮影です。

  12. 浜大津から上栄町方面を望んだ所です。電車の右に「滋賀銀行」の青い看板が見えます。2012年10月15日の撮影ですが、ストリートビューを見ると滋賀銀行の姿はありません。

  13. 地元におりながら、気がついたときにはもう全部解き明かされたあとでした。遅ればせながらちょっとコメントさせていただきます。
    ①と③は同じ日に撮られたと思われますが、京津線浜大津駅と東口を結ぶわたり線ができたのは昭和32年7月のことでした。それまでは京都から来た石坂線直通の電車は直接浜大津東口の方に入っていました。この写真は渡り線を通っていますのでこれ以降の撮影、また昭和34年には八景館が湖岸側に移転して跡地に商工中金の建物が立ちました。これらより昭和33年に撮られたのではないでしょうか?また、⑤の写真は当時の滋賀銀行中町支店前で撮られたもので、一昨年までは出張所から代理店となり営業していましたが、紫の1863さんが言われるように現在は本店営業部の方に移転してありません。この写真は昭和43年1月に⑤とほぼ同じ場所から撮ったものです。

    • 地元の大津の86さまには、場所だけでなく、撮影時期まで教えて頂き、有難う存じます。場所も撮影時期も不明でしょうもない、名無しの権兵衛写真も、こうして根拠を示され説明して頂くと、1枚の写真にも語られるべき多くの事柄が含まれているなぁ、と実感致します。

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