ここはどこ?わたしはだれ?国鉄(鉄道省)編② 投稿日時: 2022年11月3日 投稿者: 米手作市 緊急事態で休んでいたため、ずいぶんと間が開いてしまいました。 次を急ぎます。 ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ ㉑ 以上で国鉄編は終わりで、次回からは京都市電編が始まります。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: ここはどこ?わたしはだれ?国鉄(鉄道省)編① ここはどこ?わたしはだれ?京阪電車編 《近日公開》「ここはどこ?わたしはだれ?」鋭意制作中!乞、ご期待! 追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?ー最終回ー 追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?-2- 追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ? ここはどこ?わたしはだれ?【増3】 ここはどこ 旗日版
⑪ 京都鉄道 No.1 二条駅 ⑫ 京都鉄道 No.3 (形式2 ) 1894年ダブス製 後に鉄道院509 (500形) 嵯峨駅 ⑬ 8900 ⑭ 京都鉄道 嵯峨駅 ⑮、⑯ 京都鉄道 No.1 1894年ナスミス・ウィルソン製(製造番号459)後に鉄道院1111(1100形) ⑰、⑱ 京都鉄道 No.1 二条駅 ⑳ 京都鉄道 No.3 (形式2 ) ㉑ 鉄道省イロ303(西成鉄道いろ1)東京平岡工場製 返信 ↓
21 右の客車は「ロ626」と読めますので、元京都鉄道の「ろ5」ですね。 東京平岡工場製で定員32人、自重は5.5tです。 20 カーブの具合から推察すると、二条駅の北、旧二条にあった踏切のあたりでしょうか? 返信 ↓
⑲は鉄道作業局のE4形157号ですね。1894年ベイヤ-ピーコック製の2-6-0テンダ機関車です。特徴はテンダ機関車でありながら、ボイラー横に水タンクを備えていることです。「機関車の系譜図 1」で臼井茂信氏は「満水して勾配を登り、粘着力を最大に利用し、下り勾配は空で軽く走るという着想である」と記しています。勾配線用として、逢坂山越えに活躍したことでしょう。1909年の改番後は7700形7709に改称されました。 返信 ↓
乙訓の老人の甥様 過分なお褒めの言葉を頂戴し、ありがとうございます。⑲の写真を拡大すると、「157」の文字がうっすらと見えましたので、「明治の機関車コレクション」を探すと見つかった次第です。それにしても短時間で画像を投稿して下さる貴殿にこそ、脱帽です。 京都歴彩館の基資料には「国鉄稲荷駅か?」と記載されてますが、私にはわかりません。 ⑳の撮影場所は、やはり二条駅の北側のように思います。画像を拡大すると列車の右側遠方に鳥居と石灯籠が見えますので、出世稲荷ではないかと考えました。未舗装の狭い道は千本通で、100メートルも離れてないように見えます。 返信 ↓
昨日5回目のワクチンを接種しました。 当日は何ともなかったのですが、今朝から倦怠感と皮膚・関節が痛み、起きられなくなりました。ちょうど風邪を引いた時と同じですが熱はありません。夕方になって痛みが和らいできたのでデジ青を開いて見ています。 皆様も予防に気を遣ってください。 返信 ↓
⑪ 京都鉄道 No.1 二条駅
⑫ 京都鉄道 No.3 (形式2 )
1894年ダブス製 後に鉄道院509 (500形) 嵯峨駅
⑬ 8900
⑭ 京都鉄道 嵯峨駅
⑮、⑯ 京都鉄道 No.1
1894年ナスミス・ウィルソン製(製造番号459)後に鉄道院1111(1100形)
⑰、⑱ 京都鉄道 No.1 二条駅
⑳ 京都鉄道 No.3 (形式2 )
㉑ 鉄道省イロ303(西成鉄道いろ1)東京平岡工場製
21 右の客車は「ロ626」と読めますので、元京都鉄道の「ろ5」ですね。
東京平岡工場製で定員32人、自重は5.5tです。
20 カーブの具合から推察すると、二条駅の北、旧二条にあった踏切のあたりでしょうか?
⑲は鉄道作業局のE4形157号ですね。1894年ベイヤ-ピーコック製の2-6-0テンダ機関車です。特徴はテンダ機関車でありながら、ボイラー横に水タンクを備えていることです。「機関車の系譜図 1」で臼井茂信氏は「満水して勾配を登り、粘着力を最大に利用し、下り勾配は空で軽く走るという着想である」と記しています。勾配線用として、逢坂山越えに活躍したことでしょう。1909年の改番後は7700形7709に改称されました。
⑲について、
紫の1863さんの観察眼に脱帽です。AG→E4(7700)までは分かっていたのですが、私のパソコンのモニターでは機番が特定できなかったのです。
157号の写真は不鮮明ですので、153号のものを…
もう1枚、153号で…
乙訓の老人の甥様
過分なお褒めの言葉を頂戴し、ありがとうございます。⑲の写真を拡大すると、「157」の文字がうっすらと見えましたので、「明治の機関車コレクション」を探すと見つかった次第です。それにしても短時間で画像を投稿して下さる貴殿にこそ、脱帽です。
京都歴彩館の基資料には「国鉄稲荷駅か?」と記載されてますが、私にはわかりません。
⑳の撮影場所は、やはり二条駅の北側のように思います。画像を拡大すると列車の右側遠方に鳥居と石灯籠が見えますので、出世稲荷ではないかと考えました。未舗装の狭い道は千本通で、100メートルも離れてないように見えます。
お二人の慧眼には脱帽です。
ありがとうございます。
特に驚いたのは⑳の撮影場所が千本通りの出世稲荷(現在はなし)付近と推察されたことです。もしその通りなら貴重な写真と言えますね。
昨日5回目のワクチンを接種しました。
当日は何ともなかったのですが、今朝から倦怠感と皮膚・関節が痛み、起きられなくなりました。ちょうど風邪を引いた時と同じですが熱はありません。夕方になって痛みが和らいできたのでデジ青を開いて見ています。
皆様も予防に気を遣ってください。