追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?ー最終回ー

今回で乙訓の老人こと長老様の追悼投稿を終わります。
左上のカットは、長老様が最後まで保存されていた数少ない人物写真の内でDRFC設立当初からの親友お二人と歩く写真をご了解の上使わせて頂きました。
改めて沖中忠順先輩のご冥福をお祈り致します。

残った「ここはどこ?わたしはだれ?」をご紹介致します。
解明をお願い致します。

⇩⑳これは前回にアップし忘れたものです。

野上電鉄の日方車庫で26号。元阪神の701形阪神時代は710

 

⇩㉑どこかの温泉地のロープウエーみたいです。
城崎温泉ロープウエイ

 

⇩㉒方向幕には「高遠」と書かれているように見えます。

名古屋市電 東山公園に保存されていた1475

 

⇩㉓路面電車の車内風景です。妻板には「602」と書かれています。
土佐電鉄602号

602

 

⇩㉔大きな駅に私鉄の気動車が並んでいます。

同和鉱業片上鉄道のキハ3004、3005。和気

 

⇩㉕よくわからない写真です。先頭車なのか、回送車両なのか、新車のようでもあります。
福島交通飯坂線のサハ3000型

 

⇩㉖ここからは「だるま」が続きます。
以下の写真は「INAX ALBUM13 汽車住宅物語ー乗り物に住むということ」と題する、渡辺裕之氏の写真集から複写されたものと思います。私も終戦直後の都市部では、住宅不足を緩和するために廃車を住居や学校に使ったと聞いたことはありましたが、実際に見るのは初めてで、これは車番を特定するのではなく見て頂ければとおもい掲載しました。トルペード型のベンチレーターがついた木造客車に住むとは、ちょっと羨ましい気もします。東京都電が走っているので都内だとは思います。

東武鉄道日光軌道線のハ57形

 

⇩㉝最後も「だるま」ですが、これは長老様が撮られたものと思います。
車番のみが書かれていますが、場所や日時は例によって書かれておりません。できれば車籍や場所が特定できれば良いと思います。

名古屋市電の廃車体 1999年7月 三重県南島町

1162

1162

1163

1163

1164

 

⇩別冊付録 これは長老様が残された親しいご友人と写られた写真の一部です。写っておられる方々のご了解を頂き(頂けない方には無断で)、ここに掲載致します。

最後の一枚は、長老様とDRFCを立ち上げた重沢先輩です。珍しい写真なので保存されていたようなで、重沢先輩のお許しを頂き掲載します。なお、下駄履きは当時のDRFCのフォーマルウエアでありました。

 

沖中忠順先輩、長い間のご指導、ご協力、本当にありがとうございました。
心よりお礼を申し上げると共に、このご恩を忘れることなく、お作り下さったDRFCを守り育てる役割を引き継がせて頂きます。
どうかこれからもお見守り下さい。                    合掌

追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?ー最終回ー」への24件のフィードバック

  1. ㉖は平成5年に発行されたINAX ALBUM 13「汽車住宅物語」の表紙写真で、日光市内にあった電車住宅です。車体は東武鉄道日光軌道線のようでもあり、さりとて窓配置からは日光軌道線の電車ではないようで、正体不明です。たまたま、この本を持っていますので、以下 解説を加えます。
    ㉗ 東京都交通局の営業所の一画に廃バス車体が置かれていたが、東京都は罹災した職員、乗務員に住宅として貸し与えたそうです。うしろを1207号の都電が走っているので、場所が絞れるのではと思われます。
    ㉘ 場所は都内墨田区寺島町3丁目の墨田川の白鬚橋のたもとの河川敷で、都の建設局の所有地に大宮工機部から9両の木造客車が搬入されたそうです。17m車体そのままのものや、切断された車体もあります。㉘の写真は、本書のp.16に載っている左半分で、P.17に右半分があり全貌がわかります。すべてダブルルーフ車で、トルペード型ベンチレータやガーランドベンチレータ車など様々です。昭和27年6月頃から入居が始まったようです。沈没しそうな老朽はしけや伝馬船で生活していた人たち200余名が引っ越してきたそうです。
    ㉙ 客車を転用した教室、あるいは図書館。詳しい説明がありません。毎日新聞社の提供となっています。
    ㉚ 終戦後、結核を患った人々が社会参加の道を開こうと生産活動と生活の拠点作りに立ち上がった「コロニー運動」という全国的な運動がありました。東京では国立中野療養所の関係者が「中親会」を立ち上げ、「東京コロニー」を作りました。写真左に「中親寮」との表記が見えます。
    ㉛は㉘と同じ場所で、入居当初の様子です。のちに、貫通扉部分などに思い思いに増築がされたそうです。
    ㉜も都バスですが、場所は不明。

      • 乙訓のご老人の甥様  2009年に藤本氏からハ57形とのご指摘があったことをすっかり忘れておりました。ありがとうございました。

  2. ㉝は名古屋市電の1150形1162,63,64ではないでしょうか。ただ車番がおへそライトのすぐ下ではなく、正面右下になっているのが名古屋市電時代と違っているのが気になります。場所はさっぱりわかりません。

    • Wikipediaによれば、名古屋市電1150型は、「ワンマン化改造の際、ヘソライト下部に『ワンマンカー』の表示が付き、車番はやや小型化のうえ正面右下へ移設」とあります。ワンマンカー表示の跡は見られないようですが、廃車後の姿でしょう。ただ、民間への払い下げ等は1両もなかったそうですので、解体途上(下回りだけ先に取り払われ、ダルマとなった車体は一時的にどこかの空いた市有地へ)の状態かもしれません。

      • まほろばの鉄趣味住人様
        「民間への払い下げ等は1両もなかったそうです」とありますが車内の写真を見ると(長老様は車内に入って撮っておられます)住居に使われていたようです。洋服やガス湯沸かし器がついています。

        • 米手作市様
          ということは、Wikipedia の記述に誤りありということですね。名古屋市電全廃後半世紀近く経っていますので、資料での追跡は困難かと思いますが、払い下げや車体活用の記録はないのでしょうか。

        • この3両はとある工務店に払い下げられ、バンガローとして、三重県に設置されたものだそうです。交通局の内部資料ではその工務店の名前までは明示されていたそうで、交通局勤務の方が話を聞きに行き、三重県にあることはわかっていたそうですがなかなか見つけられなかったそうです。(ちょっと地名がちがっていたそうです)
          Wikiは湯口さんも書かれていますが、裏取りしていない記事も多いようです。

    • 場所は旧南海の電機が走っていた国見鉱山の近くで三重県の南島町というところです。ここを訪問したのは1999年の7月に路面電車同好会の宿泊(宴)会の翌日に有志で出かけた時です。
      この日は暑かったのを覚えております。同じような写真がネガに残っているはずですが、デジタル化はまだまだ先の話です。

      じつはこの話、デジタル青信号のまえのクローバー会掲示板に載っております。2006年4月27日13:47投稿の【542】変なもの探検隊(2)という記事です。

      • たかおか様
        この廃車体があったのが三重県南島町というところですか?
        そういえば写真の裏に「変なもの探検隊」と長老さまの書き込みがあります。
        ありがとうございます。

  3. お盆が近づくと沖中さんを皆んなで偲んであげましょう。

    23はこれかな。土佐電鉄の602 
    つい今月の中旬に行ってきて乗った所です。
    まだ現役で走っているのが嬉しい。

  4. 24を飛ばして25は何だろう。
    こんな中間車は関西の私鉄におらず、秩父鉄道の300や富士急行にいなかったか、考えて思い出しました。
    これ
    福島交通飯坂線のサハ3000型。
    ラッシュアワー専用のトレーラーを高度経済成長期に地方私鉄が新造した稀有な例だと思います。それも3ドアでそれほど需要が在ったのか。
    小型の旧型車が前後に着いて新造のトレーラーを引っ張る風景が、見られるのは、いかにも地方がまだ人口増加があった昭和40年代の奇特な話だと考えます。

  5. ㉔は同和鉱業片上鉄道のキハ3004、3005かと思います。キハ41000型を張上屋根、正面2枚窓にした自社発注車でした。場所は架線が見えることから、和気駅でしょう。

  6. ⑳は野上電鉄の日方車庫です。車輌は元阪神の701形ですね。番号は26のように見えますので、阪神時代は710でした。
    長老様は昭和32年12月と、昭和35年3月に野上電鉄を訪問されたようです。
    ㉒は名古屋市電でしょうか? 東山公園に保存されていた1475のように思います。

  7. ラストから3枚目の佐竹さん講演会の、佐竹さんご夫妻の左後ろに見えているのは私です。スクリーンのスライドの進行役をしました。背後霊ではありませんのでご安心ください。

  8. ㉑については何方のコメントもありませんので…
    これは城崎温泉ロープウェイ(正式名称は城崎ロープウェイ)のゴンドラですね。1963年開業時のゴンドラだと思います。
    (写真は城崎温泉ロープウェイのHPより)

    • 城崎とは思いませんでした。
      関東の群馬か山梨かと思っていました。
      ありがとうございます。

  9. 東山公園に保存されている1475と一番違いの1474、昭和41年9月1日、築地口です。

  10. 5番目の片上鉄道キハ3004、3005は、昭和28年、宇都宮車輌で新製され、昭和42年の改番で、キハ311、312になりました。
    昭和46年7月18日、片上機関区、キハ311です。

  11. 米手作市様
    遅くなってすみません。最終回の冒頭左端の写真は私が撮ったものと思いますが、ネガ、プリントが発見できず今日に至りました。メモがないので詳細な時期や場所が不明ですが、1991年11月頃小海線の野辺山辺りにかなり大きな鉄道遊園地があり、そこの庭園鉄道ような所で運転ができたと思います。スイスのR4/4電機や台湾の蒸機他があったような気がします。知る人ぞ知る有名な場所なのかもしれません。どのようにして行ったのか、どこに泊まったのか、あるいは日帰りで行ったのか前後の記憶は全くありません。その遊園地前後に撮った写真と思います。私が一番下っ端でTSURU先輩、KAME先輩もおられたと思います。

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