播磨にご縁ができて、最近は年に数回ほど訪れるようになりました。
これまではついつい通り過ぎがちだったエリアの鉄道を楽しむ機会が増えています。
特に、日常では目にすることがなくなった国鉄型車両を再認識するようになりました。
113系、115系
日中は山陽本線の相生以西と、赤穂線の播州赤穂以西で運行している113系と115系。学生の頃に西へ向かうときは、相生での乗り換えで座れるかどうかで気を揉んだものでした。
新快速で相生や播州赤穂まで行かないと出会えないイメージですが、朝晩には主に山陽本線経由で姫路駅までやってきます。
岡山地区の115系は先頭車化改造に湘南色など、バラエティ豊かな車両が揃っています。特に残り2本となった湘南色が連結するとSNSが賑わいます。
湘南色のある115系は魅力的ですが、個人的には113系に惹かれるものがあります。きりの良い4両編成だからか、はたまた大動脈である山陽本線を走る姿からか、もしくは幼少時代に静岡で見た113系の姿を重ねるからか……。
恥ずかしながら、かなり長いこと「黄色い113・115系」に馴染めずにいました。個性的な車両の多くが姿を消し、227系Uraraの置き換えが始まってからやっと良さに気付いたのは流石に遅すぎたなと反省しております。
播但線103系
先頭車化改造を受けているものの、高運転台タイプのいわゆる「原型顔」を維持している播但線103系3500番台。単色塗りのイメージが強い車両なだけあって、ワインレッド塗装もよく似合っていると思います。
遡ると片町線の木津電化の頃、淀川電車区に在籍していた車両たちであり、同志社前駅も通っていた経歴を持っています。
日中は2両編成でローカル線らしい姿ですが、朝夕には増結した4両編成が比較的多く走っています。4両になると編成での見栄えがアップし、自然と写欲も上がります。オールM車による迫力ある走行音も聞き逃せません。
変わり種としては、霜取りパンタを搭載した編成があり、いわゆる「前パン」での運用が冬季に行われています。都市部を走るイメージだった103系とは異なる姿が魅力的です。
姫路駅の風景
日中は京阪神地区のJR型車両が大半を占める姫路駅の山陽本線ホームですが、朝晩には113・115系が姿を見せます。列車としては岡山発着が多いですが、中には糸崎や備中高梁、新見を発着する列車もあり、岡山エリアの幅広いネットワークを垣間見ることができます。
播但線103系とあわせて、国鉄型車両を多く見ることができる時間帯となり、近代的なホームからゴロゴロと大きな音で発車していく光景がお気に入りです。
加古川線103系
加古川線電化にあわせて登場した2両編成の103系3550番台は中間車の先頭車化改造により、前面が大幅に異なるデザインとなりました。体質改善工事も相まって、103系らしさは感じられない仕上がりになっています。原型のイメージからは随分離れてしまった気もしますが、筑肥線の103系1500番台と姿を重ねると、少し抵抗感が下がる気がしています。
朝夕のラッシュには乗客がかなり多い路線で、103系の収容力が存分に発揮されています。10年ほど前の平日夕方に何度か乗車しましたが、いつも座席が埋まる程度には乗車があったように記憶しています。
かつては4両編成の運用もありましたが、2022年に運用がなくなりました。混雑するイメージとは裏腹に利用客減少が進んでいるようです。
北条鉄道キハ40
北条鉄道では、JR東日本からキハ40を購入、2022年から運行を開始しました。増発のための車両でまさか国鉄型気動車が抜擢されるとは思ってもいませんでした。
険しい北国の日本海沿いを離れ、穏やかな瀬戸内の気候を走る姿は、第二の人生という言葉がよく似合います。経年劣化は心配ですが、きれいな外観を維持しており、末永く走ってくれることを願っております。ちなみに五能線色の塗装パターンを維持しておりますが、色味が若干変化しております。
1本のみながら、運用情報が公開されているため撮影もさほど難しくないのがありがたいです。
北条鉄道と播但線の掛け持ち
今年のGWは播但線と北条鉄道の撮影を掛け持ちしました。
播但線の福崎から香呂にかけてと、北条鉄道の北条町から長にかけては直線距離が短くなっています。自動車で20~30分程度で移動でき、播但線103系の4両編成と北条鉄道のキハ40を無理なく掛け持ちができました。
今回は撮影のため車移動でしたが、北条鉄道の北条町駅から播但線の野里駅、姫路駅を結ぶ路線バスが走っていて、スムーズな乗り継ぎで2路線の乗り比べを楽しむことができそうです。
JR西日本では新型車両の大量増備が決まっているようです。転属か新造かは判明していませんが、播磨エリアから国鉄型が姿を消すのは時間の問題かもしれません。
やや癖があるため避けていた播磨の国鉄型車両、きちんと向き合うと懐かしい雰囲気を存分に感じられることを知りました。今や大変貴重な存在になった国鉄型に、乗る・撮る機会を大切にしていきたいと思います。
寺田さま
今までご縁の無かった(?)播磨の国で楽しんでおられる様子、見せてもらいました。改めて見ますと、姫路では、こんなに国鉄型が見られるのですね。私の最初の姫路を見ていただきます、1965年3月、60年前の姫路駅、進入してくるのは、博多発新大阪行き151系の「つばめ」です。東海道新幹線が前年に開業、山陽本線に151系が転出しました。「つばめ」は、門司~博多は交流区間を走るため、151系は交流機に牽かれます。そのため、カバーが外されて自連がむき出しになっています。
コメントありがとうございます。
姫路駅での151系のお写真、駅の雰囲気が全然異なり驚きます。加古川、姫路などの兵庫県西部のターミナル駅は近年に高架化が完了したものが多く、昔の雰囲気を窺い知ることが難しいなと思いました。
151系は見かける写真がこだま時代のものが多いからか、西に転じてからのものをじっくり見るのは初めてでした。連結器まわりの雑多な感じも、デビュー時のスマートさとは違った魅力がありますね。
もう一枚、60年前の姫路駅。新大阪発下関行き「しおじ」です。手前はクハ151-3、高速試験で、狭軌世界記録を出したことを記念した、チャンピオンマークをヘッドマーク下に付けています。
特派員さまに続き、60年前の写真です。
1964年6月18日、キハ0428、播磨新宮行です。屋上に小さなモノレールが見えます。
コメントありがとうございます。
キハ04、C55のお写真を拝見しました。
キハ04は鉄道博物館で見たことがありますが、全国各地で活躍していたのですね。キハ0428は北丹鉄道に譲渡されたという車歴もまた面白いですね。
小さなモノレールのある駅ビルは2010年ごろまで残っていたとのことですね。現物は見たことありませんが、新潟駅のような民衆駅の雰囲気が感じられました。
C55は特派員様と同じ3番ホームでのお写真ですね。当時の姫路駅は配線がかなり複雑だったとのことで、番線の使い分けが今と全く異なっていたのですね。
「つばめ」にも、C55列車にも「3」のホーム番線が見えますね。「つばめ」は本線ホームであり、果たしてC55も入線していた? と思いましたが、やはり播但線は本線3番ホームには入線ができない構造になっていました。では、C55の「3」は? 私も見逃していましたが、播但線用の頭端式ホーム、東1、東2ホームには、もう一本、東3ホームがあったこと、下図でも分かりました。
姫路駅播但線ホームです。50系客車も当時は旧型客車と違いあまり歓迎されざる存在でした。
昭和58年8月
コメントありがとうございます。
頭端式ホームの播但線ホームのお写真ですね。キハ58との並びが、生まれていない時代ながらも懐かしく感じます。
播但線の50系は平成に入っても残っていたというのを古い鉄道ファン誌で読んだことがあります。
現在現役の車両で、原型の50系は真岡鐵道の3両のみで、図らずも旧客客車のほうが多く現存している逆転現象も、当時からの人気度を示しているように思います。
地上時代の姫路駅は、東に播但線、西に姫新線と、両側に頭端式(行き止まり)ホームがある構造でしたね。ブキウギさんの撮られた播但線ホームで、私も同じ位置から撮っていました。DCは同じですが、客車は、まだ蒸機+旧型の時代でした。いつも乗降の多かったホームでした。
1964年6月18日、姫路駅に到着した播但線の列車です。
寺田様のコメントに「駅ビルは2010年ごろまで残っていた…」と書かれているのに反応し、ストリートビューを見てびっくりしました。姫路駅が高架になっていたとは! この前行ったのは30年以上昔になりますので、変わって当たり前ですね。
添付の画像は1992年8月23日の撮影で、屋上には二階建てバスが見えます。駅前に集まるバスやタクシー、駅ビルにかかる「24時間テレビ」の垂れ幕など、興味深いものがあります。
紫の1863様
姫路でも撮っておられましたか。すごい、地上時代の姫路駅のすべての要素が入った写真です。「新快速」の表示も見えますが、大阪駅、京都駅に較べると、ずいぶん控えめですね。文字の書かれた垂れ幕は、必ず文字を読んでしまいます。駅前の神姫バス、タクシーにも眼が行きます。当時は、何の気負いもなく、通りすがりに撮られた写真だと思いますが、そんな写真こそ、時が経つと、貴重な記録となりますね。