リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行 2

<富山ライトレール2 2006.9.9(前回の日付表記が間違っていました)>
富山ライトレール(現:富山地方鉄道富山ライトレール線)は、大部分が富山港線の線路を使っていますが、将来富山地方鉄道市内線に乗り入れる計画で(2020年3月接続)、富山駅周辺では路面に線路を新設し、富山駅前の歩道の延長線上に乗場がありました。当時の私のブログでも「ホームと床の段差は限りなく0に近い。普通の人から見ると僅かの段差でも高齢者や障がい者には結構厳しいものだが、こういう設計から『真剣にバリアフリーを考えたユニバーサルデザイン』の意図が伝わってくる」と記しています。

歩道の延長線上が停留所。電車との段差も僅かの嬉しい設計


ライトレールは15分ごとの運転で休日の運賃は100円でした。土曜日の10時半に町中から郊外へ向かう電車に立ち客がいるとは驚きでしたが、停留所ごとにこまめに乗客を降ろして行きました。終点の岩瀬浜まで乗り、江戸時代から北前船の寄港地として賑わった岩瀬の街を散策し、満足でした。帰りは二つ手前の東岩瀬から乗りました。

車内は基本クロスシート。つり革や握り棒も手の届くところにある

ライトレールの停留所は、船の帆をイメージした屋根が付いています。ホームの床がコンクリート打ちっぱなしなのは、雪の多いこの地方の、乗客のスリップ防止の配慮でしょう。車道からホームへは、若干の傾斜になっていましたが、手すりがついており、視覚障害者用に点字パネルも完備されていました。

東岩瀬にて。左はJR時代に使用していたホーム

道路から停留所までは、僅かな傾斜と手すり、点字パネルが標準仕様

今から18年前にバリアフリーの手本のような鉄道が地方都市富山にできたこと、それが契機となって商業施設や公共施設、住宅な集約され生活圏が小さく、電車・バスなどの公共交通機関での移動が簡単な市街地を目指す、「コンパクトシティ宣言」を富山市が実施していることに、感銘を覚えます。

奥田中学校前の交換風景。ここから富山駅北までは新設の路面区間となる

路面電車がイキイキしていると、私まで元気になります。私は高速バスの出発時間まで富山市内線を撮影し、5時間かけて池袋まで戻ってきました。現在では北陸新幹線が東京~富山間を2時間半弱で結んでいます。

路面区間のインテック本社前にて

富山ライトレール線の歴史
北前船の寄港地、岩瀬の衰退を案じて土地の有力者が私財を投じて建設したのが大正13(1924)に開通した富岩鉄道。その後富山地方鉄道を経て戦時中の昭和18(1943)年、国有化され富山港線となる。民営化後の平成15 (2003)年、JRは富山港線の路面電車化を決定し平成18(2006)年4月、富山ライトレールが開業した。そして令和2(2020)年、富山地方鉄道市内線との接続後は、同線と一体で運行されている。

昭和55(1980)年8月の国鉄富山港線。4両編成が日中約1時間ごとに運転していた

ほぼ同じ場所でのライトレール。停留所の設備も「ライト」です

リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行 2」への2件のフィードバック

  1. 富山ライトレールいいですね。富山港線時代の面影はありません。
    写真は昭和59年2月の城川原です。

    • ブギウギさん、昭和59年の富山港線の写真、ありがとうございます。昭和55年も青をベースにした電車でしたが、国電区間で走っていたお古の車輌であか抜けしませんでした。「大国鉄の1ローカル線にはお金などかけられない」が見え見えの車輌でした。今さらですが、北陸本線が交流電化だったのに、富山港線は直流だったのですね。

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