<プロローグと富山ライトレール 2006.9.11>
私は東京の会社に勤めていた2004年11月、脳出血を発症し右手右足のマヒと失語症の後遺症が残りました。懸命にリハビリに励み、2005年8月には日常生活が過ごせて、復職できるところまで回復しました。一時は鉄道趣味を諦めかけましたが、左手一本で操作できる小型のデジカメを購入し、練習するうちに小旅行の意欲が湧いてきました。
私は当時、埼玉県の朝霞に住んでいました。通勤や移動は東武東上線とJR武蔵野線が双方使える便利な環境でした。体力が回復した平成18(2006)年の初めごろから、ホームでの電車の撮影や日帰りでちょっとした旅行に行ける状態になりました。と言ってもマヒした右足は装具を装着しても、健常な人の8割~9割程度の速さでしか歩けませんし、階段の昇り降りにも手すりは必須です。
首都圏ほどバリアフリーが浸透していない地方への旅行は不安でしたが、自分が立てたプラン通りに移動ができ、普段見慣れない景色が堪能できることは、鉄道ファンの私にとっては何物にも代えがたい経験でした。私は当時街歩きやミュージアム巡りで心と身体の健康づくりに励んでいましたので、これに鉄道を加えて私オリジナルの旅程を作りました。乗り換え時間と休憩・トイレは十分に確保できる予定にしました。
私は9月、その年の4月に開通した富山ライトレール(現:富山地方鉄道富山ライトレール線)に乗りに、大宮からとき303号で越後湯沢まで行き、はくたか2号に乗り換えて富山に10時過ぎに着きました。ライトレールの前身である富山港線は昭和55(1980)年に乗っていますが、すべてが新しい近未来路面電車(LRT)の誕生に心が躍りました。障がい者の私は車輌だけでなくバリアフリーの施設にも関心がありました。(続く)
勘秀峰様
大変なご病気にもかかわらずよく頑張りましたね。負けない気持ちにただただ頭が下がります。私も高血圧高脂血症ですが最近は午前中を中心に低血圧のためふらふらすることがあります。私の場合は高齢による体力の衰えではないかと思っています。このところの猛暑で熱中症にも注意が必要ですが、たまに都心に出かけることもあります。長岡京(神足)の鉄道の見えるご自宅の投稿にはあまりコメントできず申し訳ありませんでした。関東地方なら多少参考写真を添付できるかもしてません。つくばEXの守谷駅が出ていますが、私のも同じ守谷駅です。2006年5月3日快速秋葉原行き2659です。隣の常総線新守谷には亡き両親が住んでいましたので常磐線の取手からゲテモノの気動車2~3連に乗っていました。ゲテモノと言っても元小田急の御殿場準急や小坂鉄道から来たスタイルのいい車両もいました。
準特急様
お気遣いいただきありがとうございます。発症当時はまだ40歳代でしたから、体力・気力ともにあふれていましたので、リハビリが奏功したのかも知れません。
9月も中旬と言うのに、全国的に災害級の残暑です。準特急様もどうぞ、ご自愛ください。
ご両親が住まわれていた、常総線に初めて乗車したのは1989年7月でした。取手→下館間全線を乗りました。大半が旧国鉄のキハ35に置き換わっていましたが、途中の水海道ではホームに面した車庫に、旧塗装のDCが停まっていました。ご参考までに。
勘秀峰様
これです。これです。しかし、この車両は同和鉱業小坂鉄道から来たものと思っていましたが私の間違いでして関東鉄道(筑波線)が独自に発注した同社の車両キハ500形18メートル車です。小坂鉄道のキハ2100形と同じ20メートル車体がキハ800形で同じく電車スタイルです。なかなか好ましいスタイルでした。お撮りになった水海道機関区は駅から結構離れていて私は自転車を利用して行っていました。
準特急様
お目当ての常総線旧型車が紹介出来て嬉しく思います。拡大して車番を確認すると501でした。気動車王国、関東鉄道は出来るだけ早く乗りたいと思っていました。
準特急様が勘違いされた秋田県の小坂鉄道のDCは添付の写真でしょうか?私が訪ねたのは昭和58(1983)年5月でした。確か小坂駅だったと思います。地方には珍しくスマートなディーゼルカーでした。
勘秀峰様
実は小坂鉄道は行ったことがありません。こんなきれいな車両が小坂と関鉄に同時期に現れたとは驚きです。私はローカル私鉄は全くのど素人ですが当会にはローカル私鉄や路面電車に抜群に強い人がおられますし一度教えていただきたいと思っております。日車の設計の何かの都合か注文流れか事情はわかりませんがとにかくあの頃に好きだった阪急1000系、東急6000系、東武1700系にヘッドライトや正面の顔のあたりが似ていて一部にはクロスシート、空気バネ付きの豪華車もあったようです。常総線でも車体が堂々としていたことを覚えています。有難うございます。
勘秀峰様
新シリーズ、始まりましたね。記事の富山ライトレールへ行かれた2006年9月11日、私は何をしてたんだろうと、デジカメデータを見返していました。なんと、その二日前の9月9日に、私も富山へ行っていました。初めてライトレールに乗るのと、青春18きっぷの期限が翌日に迫り、富山行きになったようです。大部分が富山港線と同じ路盤のはずなのに、まるで新設軌道のように明るく洒落た路面電車になっていて感動しました。それに、駅などのサイン・表示類も、優れたデザイン処理がされていたのも印象に残りました。
総本家様
2006年9月9日に富山ライトレールに行かれたとのこと、念のため私の資料を見ると、表示の11日は間違いで、総本家様と同じ日に訪ねていました。
総本家様が印象に残った停留所は全部統一されたデザインで、洗練された構造でした。添付の写真は富山駅北のりばです。次回の2回目はバリアフリーを含めて当時のレポートをまとめてみたいと思います。日付の訂正も必ず!
勘秀峰様
なんと全く同じ日に富山へ行っていたとは ! 富山ライトレールは10時過ぎと書かれていましたが、私の撮影分のデータを見ると、12:59になっていましたので、時間差はあったようですね。その後の勘秀峰さんの行動も楽しみにしています。ネタバレでなければいいのですが、私はそのあと写真のところへ向かいました。
ここです。
総本家様
私は11時ころ岩瀬浜に着き、街歩きの後、帰路の路面区間は歩いて撮影していましたから、あるいはニアミスがあったのかも知れませんね。
ライトレールに乗ってから猪谷まで行かれるとは、さすがの行動力です。調べると神岡鉄道は同じ年の秋に廃止されていますから、最後の訪問だったんですね。
私は神岡線には乗りましたが写真は撮影していませんので、父のコレクションから終点神岡の写真を添付します。昭和61(1986)年6月です。
私も岩瀬浜まで行き、折り返して富山まで戻りました。神岡鉄道に乗ったのは15時前でしたが、効率が良くて、駅間で走行写真も撮って、神岡鉄道を往復し、京都には22時34分に戻って来ました。
勘秀峰様
2枚目には池袋での東武線直通の「きぬがわ号」が出ていました。今は元成田EXPのE253系に置き換わっておりますが国鉄型の車両は貴重です。私のは2011年5月25日同じ国鉄型ですが東武日光線柳生‐板倉東洋大前間を行く481₋1017先頭の「きぬがわ号」です。
勘秀峰様
1973年4月1日関東鉄道常総線水海道-小絹間の取手行き805+803です。単線のローカル私鉄ですが堂々としたスタイルに見えません?
準特急様
北関東の平野を走るディーゼルカー、エンジン音まで聞こえてきそうな昭和48年の4月の風景ですね。関東鉄道のキハ800は、先日紹介したキハ500の増備車として昭和36年に登場しました。キハ500や小坂鉄道のDCと同じく、突き出た前照灯が趣味的にはアクセントで、りりしい顔立ちになっている気がします。
キハ500を写した日、水海道行きの前部から撮影した写真にキハ800が写っていました。新守谷?です。新塗装になっているので今一つですが・・
準特急さま
常総筑波鉄道(と云わせて下さい。関東鉄道ではピンときませんので)の憧れていたDCの写真を有難うございました。私の趣味対象は本来非電化ローカル線でしたから、国鉄ローカル線と共に長距離DC私鉄にも大いに興味を持ちました。ピク誌で写真の車両を見た時はなんと垢抜けした私鉄DCだろうと、小田急DCと共に思ったものでした。多分近場の江若から島原~常総筑波、南薩、夕張等へと関心が拡がっていったようでした。しかし気軽に遠出が出来るようになった頃には新車置換や廃止になり、大半が憧れのまま残りました。余談ですがカシオペアの最末期に北関東へ撮影に行き、夕方の下りまでの時間を利用して初めて取手→下館に乗りました。その半年後に次女が結婚して新守谷に住むことになり、往きはつくばEXPでしたが復路に取手まで今風のDCに揺られました。守谷の名は水海道と共に昔から知ってはいましたが、まさか初乗車の半年後にご縁ができるとは思いもしませんでしたね。
1900生様
すんません。私も常総筑波や鹿島参宮の方がピンとくる年齢です。1900生さんと言えば、国鉄形車両、C56、京阪特に1900系がお好きであり、話が理路整然としてさらに論客であったことはよく覚えています。ここにきて非電化私鉄、要するにローカルディーゼルがお好きであったことを初めて知りました。小坂は行ったことありませんが、南薩、島原、大分交通、御坊臨港くらいの写真はあるかもしれません。探しときます。ところでお嬢さんが新守谷にお住まいとはびっくりしました。昔は利根川を渡ると茨城弁が聞けたもので常総線でも同じでした。個人的には茨城、栃木は東北弁の始まりと思っています。新守谷はレンガ調のしゃれた駅で関東の駅100選に選ばれたようなことを聞いたことがありますが今は多少くたびれた感じがします。つくばEXPができて時間的には短縮されました。
準特急さま
理路整然として論客だなんてとんでもない。通常はむしろ感覚・感情に動かされているか弱い人間です。ただそのような印象を与えていたのであれば、それは準特急さまとの京阪対阪急論戦で負けないように、お粗末な思考回路を必死で組み替えて臨んでいたからでありましょう。熱き青春の一コマでしたね。
次女の新守谷在住の件は言葉足らずでした。既に旦那の転勤に伴って、堺を経て今は福岡に居ります。新守谷に行ったのは1度きりでしたが、つくばEXPの俊足には正直驚きました。かつて沖中先輩がデジ青にレポートされていたかと記憶しますが、さすが現代の新線だ、関西の軌道から発展した路線とは全く違うと思ったものでした。また守谷市はEXP開通の効果もあり、発展中の真っただ中にある活気ある近郊都市の印象で、昔の茨城を感じることはありませんでした。帰り道には柴又に立ち寄り寅さんに想いを馳せてきました。
勘秀峰様
お仕事で大井町方面に出かけられたそうですがここにいた(元は東横線にいました)6000系です。1972年10月15日難読駅の九品仏(くほんぶつ)付近の大井町行きです。関東鉄道キハ500、キハ800や小坂鉄道キハ2100に何となく似ていて好きだったのがステンレス初期の6000系で阪急1000系にもちょっと似た感じです。あくまで個人的な好みで性能などは無視と言いますかよくわかりません。東急では青ガエル5000系の方が人気はありました。
準特急様
東急6000系の写真、ありがとうございます。私が上京しました1988年には、もう東急線には6000系は走っていなかったと思います。端正なマスクは日本人離れした、いかにも首都圏を走る通勤電車の貫禄ですね。
人気のあった青ガエル5000系は1990年代、地方私鉄で活躍しているのを見ました。写真は1990年8月、岳南鉄道、岳南江尾の「赤ガエル」です。
勘秀峰様
有難うございます。
東急の青ガエルは福島、松本、熊本など、まだあったかな?各地に行きました。大井町では総本家さんがいい写真を撮っています。
勘秀峰様
準特急様
テーマの展開を楽しく拝読させていただいています。「日車標準車体」の気動車と東急5000系の車両が大館でつながりましたので遅ればせながら投稿させていただきます。昭和30年代に、地方私鉄に自社が設計した全鋼製の「日車標準車体」を採用するように日本車両が提案しましたが、非電化の会社では常総筑波鉄道時代の筑波線のキハ500形(1959年製造:車長18m)と常総線・筑波線用のキハ800形(1961年製造:車長20m)の2形式で採用されました。翌年には同和鉱業小坂線・花岡線でもほぼ同様の形態のキハ2100形(1962年製造:車長20m)として新製され、写真は1968年8月30日に大館駅に到着する2100形です。小坂線は1994年に旅客営業を廃止し、2014年には大館市内の敷地・建物をすべて大館市に無償譲渡されましたが、現在も廃線跡の大部分がレールも残されている状態で往年の姿を偲ぶことができます。写真の場所は駅にも近いため「秋田犬の里」と多目的広場として整備され東急5000系「青ガエル」も静態保存されています。この車両は、渋谷駅前に置かれて待ち合わせの目印などとして利用されてきましたが、駅周辺の再開発にあわせて「忠犬ハチ公」繋がりで同じ広場に銅像がある「忠犬ハチ公」のふるさと、大館市に2020年に譲渡されました。
快速つくばね様
また、いろいろ教えていただき有難うございます。
日車の標準車体と言えば松本電鉄にも鋼体化車両にもいましたね。常総線のキハ500系、キハ800系、小坂のキハ2100系も日車提案の標準車体だったのですか。何となくワケがありそうとは思っていましたが、ゲテモノが多い中で「掃き溜めに鶴」の感じがしました。大体中小企業には自社で設計できる人材がいないと思います。たまに自社発注があったとしても大手車両メーカーから例えばA案、B案、C案のような提案があってその中から選んだり多少手を加えたりしたのではないかと思っております。大館の青ガエルも見てみたいですね。
快速つくばね様
コメントと昔の小坂鉄道の写真、ありがとうございます。いつも博識なコメント拝読しています。標準車体の話は初耳でしたが、当時の車両メーカーと中小私鉄の力関係がそれとなく分かるようです。
東急の青ガエルをストックから探すと長野電鉄でも走っていました。昭和60(1985)年6月、信州中野での「クリームガエル」です。
勘秀峰様
準特急様
返信ありがとうございます。2015年3月9日の大館駅です。2023年10月29日に新駅舎の使用を開始しましたが、8年間の間にみどりの窓口も無くなり、大館駅長も廃止され、東能代駅長管理下の業務委託駅となってしまいました。2体ある秋田犬の銅像のうち中央の駅方向を向いているのが「忠犬ハチ公銅像」です。これも駅前広場の整備に伴い100mほど左手手前の「秋田犬の里」入り口に移設されました。
本題の「日車標準車体」ですが、電車の方は松本電気鉄道(以下、いずれも当時の社名)モハ10形電車、岳南鉄道1100形電車、新潟交通モハ10形電車などで採用されましたが、いずれも木造電車からの車体のみの更新だったようです。
勘秀峰様
昨日は東京35度、八王子37度でした。そんな時元東急6000系の弘南鉄道6007を貼り付けます。弘南での同車はラッシュ時に見る程度でこの日は雪を屋根に載せた状態でした。
東急の新6000系ですが新といっても2008年の大井町線急行用にデビューしてもう16年前のことです。2021年1月29日つきみ野付近を行く大井町発急行中央林間行き6705です。
うまくいかなかったです。