リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行 1

<プロローグと富山ライトレール 2006.9.11>

私は東京の会社に勤めていた2004年11月、脳出血を発症し右手右足のマヒと失語症の後遺症が残りました。懸命にリハビリに励み、2005年8月には日常生活が過ごせて、復職できるところまで回復しました。一時は鉄道趣味を諦めかけましたが、左手一本で操作できる小型のデジカメを購入し、練習するうちに小旅行の意欲が湧いてきました。

<初めてのデジカメ撮影はTX守谷駅 2005年8月28日>


私は当時、埼玉県の朝霞に住んでいました。通勤や移動は東武東上線とJR武蔵野線が双方使える便利な環境でした。体力が回復した平成18(2006)年の初めごろから、ホームでの電車の撮影や日帰りでちょっとした旅行に行ける状態になりました。と言ってもマヒした右足は装具を装着しても、健常な人の8割~9割程度の速さでしか歩けませんし、階段の昇り降りにも手すりは必須です。

<栗橋から東武線に乗り入れる特急きぬがわ号 池袋 2006年4月6日>

首都圏ほどバリアフリーが浸透していない地方への旅行は不安でしたが、自分が立てたプラン通りに移動ができ、普段見慣れない景色が堪能できることは、鉄道ファンの私にとっては何物にも代えがたい経験でした。私は当時街歩きやミュージアム巡りで心と身体の健康づくりに励んでいましたので、これに鉄道を加えて私オリジナルの旅程を作りました。乗り換え時間と休憩・トイレは十分に確保できる予定にしました。

<大井町には所用があり、時々足を運んだ 東急大井町線旗の台 2006年9月2日>

私は9月、その年の4月に開通した富山ライトレール(現:富山地方鉄道富山ライトレール線)に乗りに、大宮からとき303号で越後湯沢まで行き、はくたか2号に乗り換えて富山に10時過ぎに着きました。ライトレールの前身である富山港線は昭和55(1980)年に乗っていますが、すべてが新しい近未来路面電車(LRT)の誕生に心が躍りました。障がい者の私は車輌だけでなくバリアフリーの施設にも関心がありました。(続く)

<富山駅北口乗り場から富山ライトレールに乗車!>

リハビリを兼ねた 関東からの日帰り旅行 1」への14件のフィードバック

  1. 勘秀峰様
    大変なご病気にもかかわらずよく頑張りましたね。負けない気持ちにただただ頭が下がります。私も高血圧高脂血症ですが最近は午前中を中心に低血圧のためふらふらすることがあります。私の場合は高齢による体力の衰えではないかと思っています。このところの猛暑で熱中症にも注意が必要ですが、たまに都心に出かけることもあります。長岡京(神足)の鉄道の見えるご自宅の投稿にはあまりコメントできず申し訳ありませんでした。関東地方なら多少参考写真を添付できるかもしてません。つくばEXの守谷駅が出ていますが、私のも同じ守谷駅です。2006年5月3日快速秋葉原行き2659です。隣の常総線新守谷には亡き両親が住んでいましたので常磐線の取手からゲテモノの気動車2~3連に乗っていました。ゲテモノと言っても元小田急の御殿場準急や小坂鉄道から来たスタイルのいい車両もいました。

    • 準特急様
      お気遣いいただきありがとうございます。発症当時はまだ40歳代でしたから、体力・気力ともにあふれていましたので、リハビリが奏功したのかも知れません。
      9月も中旬と言うのに、全国的に災害級の残暑です。準特急様もどうぞ、ご自愛ください。
      ご両親が住まわれていた、常総線に初めて乗車したのは1989年7月でした。取手→下館間全線を乗りました。大半が旧国鉄のキハ35に置き換わっていましたが、途中の水海道ではホームに面した車庫に、旧塗装のDCが停まっていました。ご参考までに。

      • 勘秀峰様
        これです。これです。しかし、この車両は同和鉱業小坂鉄道から来たものと思っていましたが私の間違いでして関東鉄道(筑波線)が独自に発注した同社の車両キハ500形18メートル車です。小坂鉄道のキハ2100形と同じ20メートル車体がキハ800形で同じく電車スタイルです。なかなか好ましいスタイルでした。お撮りになった水海道機関区は駅から結構離れていて私は自転車を利用して行っていました。

        • 準特急様
          お目当ての常総線旧型車が紹介出来て嬉しく思います。拡大して車番を確認すると501でした。気動車王国、関東鉄道は出来るだけ早く乗りたいと思っていました。
          準特急様が勘違いされた秋田県の小坂鉄道のDCは添付の写真でしょうか?私が訪ねたのは昭和58(1983)年5月でした。確か小坂駅だったと思います。地方には珍しくスマートなディーゼルカーでした。

          • 勘秀峰様
            実は小坂鉄道は行ったことがありません。こんなきれいな車両が小坂と関鉄に同時期に現れたとは驚きです。私はローカル私鉄は全くのど素人ですが当会にはローカル私鉄や路面電車に抜群に強い人がおられますし一度教えていただきたいと思っております。日車の設計の何かの都合か注文流れか事情はわかりませんがとにかくあの頃に好きだった阪急1000系、東急6000系、東武1700系にヘッドライトや正面の顔のあたりが似ていて一部にはクロスシート、空気バネ付きの豪華車もあったようです。常総線でも車体が堂々としていたことを覚えています。有難うございます。

  2. 勘秀峰様
    新シリーズ、始まりましたね。記事の富山ライトレールへ行かれた2006年9月11日、私は何をしてたんだろうと、デジカメデータを見返していました。なんと、その二日前の9月9日に、私も富山へ行っていました。初めてライトレールに乗るのと、青春18きっぷの期限が翌日に迫り、富山行きになったようです。大部分が富山港線と同じ路盤のはずなのに、まるで新設軌道のように明るく洒落た路面電車になっていて感動しました。それに、駅などのサイン・表示類も、優れたデザイン処理がされていたのも印象に残りました。

    • 総本家様
      2006年9月9日に富山ライトレールに行かれたとのこと、念のため私の資料を見ると、表示の11日は間違いで、総本家様と同じ日に訪ねていました。
      総本家様が印象に残った停留所は全部統一されたデザインで、洗練された構造でした。添付の写真は富山駅北のりばです。次回の2回目はバリアフリーを含めて当時のレポートをまとめてみたいと思います。日付の訂正も必ず!

      • 勘秀峰様
        なんと全く同じ日に富山へ行っていたとは ! 富山ライトレールは10時過ぎと書かれていましたが、私の撮影分のデータを見ると、12:59になっていましたので、時間差はあったようですね。その後の勘秀峰さんの行動も楽しみにしています。ネタバレでなければいいのですが、私はそのあと写真のところへ向かいました。

          • 総本家様
            私は11時ころ岩瀬浜に着き、街歩きの後、帰路の路面区間は歩いて撮影していましたから、あるいはニアミスがあったのかも知れませんね。
            ライトレールに乗ってから猪谷まで行かれるとは、さすがの行動力です。調べると神岡鉄道は同じ年の秋に廃止されていますから、最後の訪問だったんですね。
            私は神岡線には乗りましたが写真は撮影していませんので、父のコレクションから終点神岡の写真を添付します。昭和61(1986)年6月です。

          • 私も岩瀬浜まで行き、折り返して富山まで戻りました。神岡鉄道に乗ったのは15時前でしたが、効率が良くて、駅間で走行写真も撮って、神岡鉄道を往復し、京都には22時34分に戻って来ました。

  3. 勘秀峰様
    2枚目には池袋での東武線直通の「きぬがわ号」が出ていました。今は元成田EXPのE253系に置き換わっておりますが国鉄型の車両は貴重です。私のは2011年5月25日同じ国鉄型ですが東武日光線柳生‐板倉東洋大前間を行く481₋1017先頭の「きぬがわ号」です。

  4. 勘秀峰様
    1973年4月1日関東鉄道常総線水海道-小絹間の取手行き805+803です。単線のローカル私鉄ですが堂々としたスタイルに見えません?

    • 準特急様
      北関東の平野を走るディーゼルカー、エンジン音まで聞こえてきそうな昭和48年の4月の風景ですね。関東鉄道のキハ800は、先日紹介したキハ500の増備車として昭和36年に登場しました。キハ500や小坂鉄道のDCと同じく、突き出た前照灯が趣味的にはアクセントで、りりしい顔立ちになっている気がします。
      キハ500を写した日、水海道行きの前部から撮影した写真にキハ800が写っていました。新守谷?です。新塗装になっているので今一つですが・・

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