ここらで ボンネットバス  近畿編 〈11〉

江若交通⑥ 和邇途中線(1)

「いろいろやります」の最後のステージとして、昨日、江若鉄道写真展トークショーと廃線跡ウォークを和邇コミセンで行いました。いま「デジ青」では江若交通ボンネットバスを掲載して、堅田町内循環線、堅田葛川線を紹介しました。たまたまですが、昨日の開催地、和邇から山間部へ向かう、もう一つのボンネット路線「和邇途中線」を紹介することします。昨日、同行していただいた紫の1863さんのクルマで、その昔、ボンネットバスが走った脇道を懐かしい思いで走ることもできました。和邇途中線は、湖西線和邇駅を起点として、志賀途中線(県道311号)を西進、「途中」まで向かう路線、分岐して「栗原」へ向かう路線、入庫回送を兼ねた客扱いとして本堅田へ向かう路線と、3つの路線がありました(以下、昭和55、56年)。湖西線和邇駅前で発車を待つ江若交通のボンネットバス。和邇~途中は2往復、左の和邇~栗原は3往復、和邇~堅田も2往復(回送含む)あった。

湖西線和邇駅ホームから、駅に到着するボンネットバスを見る。和邇の集落全体が見渡せた。滋賀銀行の標柱があり、いま写真展をやっている志賀町支店に当たるが、まだプレハブ建築で、営業を始めたばかりのようだ。和邇駅をバックに、発車した本堅田行き。小野、びわこローズタウンを経由して本堅田へ向かう。この道路、昨日の街歩きで「県道和邇停車場線」の道路石柱が、ちょうどバスの背後あることを確認できた。湖岸沿いの161号が整備される前は、この道が湖西の主要道路で、多くのクルマが行き交ったと言う。和邇の集落と言っても、駅すぐ近くにも、まだ田んぼがあって、そのなかを駅へ向かうボンネットが通り過ぎた。つぎのバス停は「和邇小学校前」、朝の時間帯には、たくさんの児童がボンネットバスから下りて来た。和邇郵便局前を行く。左は、その先の「榎」バス停近く。この道は古来の街道である西近江路に当たり、少し先の十字路「榎」の中央には、注連縄が張られた石柱がある。その昔、一里塚代わりの榎の木があったが、枯れてしまい、石柱となった。司馬遼太郎の長編シリーズ「街道をゆく」の第一回が「湖西のみち」であり、この付近「榎の宿」と言われ、京と北陸を結ぶ交通の要衝だった。「榎」で折れて志賀途中線(県道311号)に入り西進する。まっすぐ進んだあと、急に右にカーブ、そこに天皇神社があった。神社の鳥居を通して、途中行きを見る。春になると桜が咲き、比良山の残雪も見られなくなった。

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