江若交通② 堅田町内循環線
では、江若交通のボンネットバスの昭和50年代の活躍を、路線別に見て行きます。まずは、堅田町内循環線です。▲こんな狭い街路をボンネットが走っていた。通行人も屋根の下に避難、車掌は路上駐輪された自転車を排除し、やっと発車して行った。
江若鉄道が、まだ走っていた時代、堅田駅と、湖岸に堅田浮御堂がある、現在の住居表示「本堅田」の集落は下の地図のように1キロほど離れていて、駅と集落を結ぶバス路線が発達していました。堅田~浜大津を結ぶ大型バスも、国道を直進せず、わざわざ本堅田の狭い道を経由していたほどで、中世は、琵琶湖沿岸で最大の自治都市を築き上げ、経済・文化の中心だった堅田への敬意を示していました。▲始発の堅田駅前から多くの乗客が乗り込む。
▲堅田の繁栄を偲ばせる街並みが続いていた。バスは堅田本町の停留場に近づく。途中のバス停からも、これだけの乗客が待っていたとは驚き。町内循環のボンネットは夕方からの仕業が多く、ほぼ40分ヘッドの運転だった。
▲本堅田のバス区間は、古くからの商店街でもあり、店の軒先スレスレに走った。
▲左(モノクロ):江若鉄道が走っていた時代の堅田、赤枠が江若堅田駅で、黄円が本堅田の集落。右(カラー):湖西線ができると、堅田駅は北へ移動(赤枠)、本堅田とは距離ができて、バスも頻発される。 ▲▲現在の江若交通の路線図にも、堅田町内循環線がしっかり描かれている(緑線)。
▲堅田町内循環線の見ものは、もと江若鉄道の堅田駅舎をそのまま、本堅田のバスターミナルとして活用していたこと。▲▲バスは、いったんホーム跡に入り、一周して駅舎前に着いた。国道161号の前にあって、当時は国道にもバスが多く走っていたから、乗り継ぎポイントにもなっていた。▲道路は一方通行とは言え、クルマも走り、“逆走”自転車とも出会う。▲▲町内循環系統では、ボンネットが走らない時間帯には、マイクロバスの仕業もあった。
▲通りには商店も多い。この区間には、堅田駅から循環して堅田駅に戻る本来の仕業と、夕方の細川行きは、堅田始発で町内を循環してから、目的地の細川へ向かった。
▲堅田本町から90度曲がって、堅田出町方面にボンネットが顔を出す。京都ではお馴染みの“イケズ石”が置かれていることも見て取れる。▲町内を一周して湖西線堅田駅に近づく。スーパーや店が並んで、湖西線の開通以後、急に賑やかになった。▲13分で町内一周を終えたバスは、もとの堅田駅に戻る。この細川行きは、これから花折峠を越えて終点の細川まで、あと一時間以上走る。
冒頭の写真を見て衝撃を受けました。狭い道路にあふれる買い物客、駐輪された自転車等バスにとっては障害が多く、運転手はさぞ神経をすり減らしたことと想像します。そして、今も同じ道をバスが運行されているのにも驚きました。
さて、この道はどこでしょう?「ここどこ?」シリーズではありませんが、知りたくなりました。とはいえ堅田は土地勘がなく、浮御堂へ行った程度でさっぱりわかりません。バス停と「いけず石」を手掛かりにストリートビューで探すと、何とか見つけられました。ほとんどの商店は姿を消し、空き地も目立ちます。それでもわずかな商店は残っていて、「マケトケ屋」と自転車店などがありました。すっかり様変わりしていましたが、お地蔵さんを祀る小さな祠は同じ場所に残っているようです。もう少し涼しくなったら、一度訪ねてみようかと思っています。
しかし、こまめに撮影されてますね。好きなこととはいえ、撮りためた写真を選んで記事にまとめ、毎日休むことなく投稿を続けられるご苦労は並大抵ではないでしょう。私は気楽にコメントするだけですが、それさえ追いつけません。
紫の1863様
いつも、コメント、ありがとうございます。私も改めてストリートビューを見て、本堅田の変わりようを確認しました。昔は、ひとつの街で、普段の生活が完結していたのですね。働く場もあって、学校もあって、商店もあって、人も住んでいました。いまは、すべて無くなり、人はわざわざクルマに乗って、遠いところまで行きます。今ごろ、コンパクトシティなどと言っていますが、昔は、ちゃんと小さなコミュニティがあったこと、本堅田からも感じました。
和邇の帰りに堅田へ寄り道し、今の本堅田を見てきました。にぎわった商店街は見る影もなく、午後の日盛りとあって歩く人もまばらでした。町内を循環するバスは1時間に3本運転されていますが、利用者はあるのでしょうか?
今も狭い道を通る循環バスを、自転車屋さんの前で写しました。
紫の1863様
和邇に続いて、堅田へも ! ありがとうございます。町内循環は1時間3本ですか。たしかに昼間はゴーストタウンですね。このバス危機の時代に、よく持ちこたえていると思います。自転車店も、自転車の数が、ボンネットの時代と全く違います。
「いけず石」がある狭い交差点を曲がる江若バスです。
「いけず石」も健在ですか ! 街並みは変わっても、石だけは、しっかりとクルマの横暴を押さえているのですね。