ネタに窮すると、つい総本家青信号特派員氏の記事に頼ってしまう。「鉄道少年の時代に戻ってみる〈7〉」の山科のカーブを行くつばめ号の何と美しいことか。ブレーキホースや元ダメホース、KE3ジャンパ栓等が、10日後の西下の準備も万端であることを物語っている。「せっかく連結器にカバーをつけてまで見た目に拘っているのに」とお嘆きの方もいらっしゃるかもしれないが、連結解放により輸送需要に対応できるのは他の交通機関に真似のできない鉄道の最大の長所であると思っている。それだけに連結面はとても興味深く、ついつい見入ってしまうものである。
実は、私もつばめを撮影したことがある。
▲2021年7月13日、予讃線浅海駅待合室内にて
人口50万人を擁する四国最大の都市、松山市内の駅の待合室内ですら、今やつばめさんのご自宅(別荘?)となっており、フンによる利用客への被害も問題となっているようだ。
悪い冗談はさておき、連結面に着目したので今回はDF50の低圧回路のKE52ジャンパ栓について纏めておきたいと思う。
KE52は、12心、定格100Vのジャンパ栓であり、70系以前の旧型電車で広く使用されていたジャンパ栓である。DF50では後部標識燈下部のスカートを繰り抜いた位置に各1個を使用した両栓構造となっている。▲2014年3月31日、DF50 18号③位、大阪交通科学博物館にて
注:制御空気管(CP)は、機関出力を制御するための空気管であり、名称は同一であるが15番制御弁の制御空気管(CP)(14番制御弁のツリアイ管に相当)とは全くの別物である。
四国では、③位側の標識燈内側にジャンパ連結器受(KER2-2)を追設し、ジャンパ栓を常に備えていた。つまり、機関車1両につき1本のジャンパ栓、電車の走らない四鉄管内全体で約50本が必要となった。運用を考えると過剰装備ではあるけれども、どこかの電車区や工場から予備品や不要品が発生すればすぐにでも充足できたことであろう。なお19号は、②位側にもジャンパ連結器受の取付台座のみが残されていた不思議な機関車であった。また中部支社時代の亀山機関区でも同様の検討がなされており、当掲示板でも準特急さんの「大和」を牽引する25号の写真にジャンパ連結器受がしっかりと記録されている。▲1980年9月3日、1231レ(DF50 19号牽引)、予讃線国分駅
KE52の配線状況を下表に示す。参考までに、旧型電車の場合も併記しておいた。連結器が異なるのでDF50と旧型電車が連結されることはなかったはずだが、仮に連結でき、ジャンパ栓をつないだらどのような事態が生じていたのか、考えるだけでも結構楽しめるかと思います。
車両としての前進、後進の各方向と、2エンド運転台で操縦する動力車乗務員の思う前進、後進の方向は明らかに逆方向となり、この齟齬を解消するべく4線(前進)と5線(後進)は車両の前後でクロスしていることは想像に難くない。さらに次位の車両については、車両の向きが同じ場合もあれば、そうでない場合もある。こうなると、私のような凡人は完全に思考がストップしてしまうのだが、誰が考えついたのか再度4線(前進)と5線(後進)をクロスさせることで解決するようである。従って、4線(前進)と接続する4心と5線(後進)と接続する5心は、ジャンパ栓の前後でクロスしている。図にすると、下図のようになるが、おわかりいただけるであろうか。▲4線(前進)と5線(後進)のクロス状況
ちなみに、お召し列車けん引時には1号編成との間に連絡用電話を引き通すため、気動車用の放送回路と同じKE66ジャンパ栓が追設された。お召し列車けん引後に撤去されたものもあるが、残っていればその車はお召し列車けん引機か予備機である。ちゃんと調べたわけではないが、お召し列車けん引の回数に比べKE66ジャンパ栓を追設されたままの車が、米子機関区在籍車には多いように思われ、この点は今も気になったままである。
また話は変わるが、KTR001~003とKTR011~013の片栓構造も、2編成のみだからこそなしえた技で、3編成目が製造されていれば両栓構造にせざるを得なかったのではないかとは思われるが、個人的にはよく考えついたものと感心している。▲2018年3月24日、KTR001~003(左)とKTR011~013(右)、丹鉄西舞鶴運転所