カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (2)

大阪を記録する② 電化後の湊町

△ 昭和48(1973)年10月、関西本線の奈良~湊町の電化が完成し、湊町駅でも電車が顔を並べるようになった。普通系は101系、快速系は113系だった。湊町駅は急にカラフルになった。

前投稿のコメントを見ても、高齢者以外には、“湊町”をすぐにイメージできないかも知れません。1994年9月の関西国際空港開港に合わせて「JR難波」になり、1996年には、JR西日本としては初の地下駅になりましたが、DCから電車への置き換えは、今から50年前のことですから、今の地下駅から、当時を想像するのは、たしかに難しいことでしょう。

△ 関西本線の快速は、大阪環状線経由で大阪~奈良を結び、春日大社をイメージしたという朱3号の帯に灰色9号に塗り分けられた。前部を拡大すると「祝・奈良線電化」とあり、昭和59年10月、奈良~京都電化の際に、湊町~京都を走った祝賀電車であったことが判明した。△ 同じ位置から引いて見たところ、スカ色の70系電車が留置されているのは、阪和線で廃車になった70系の疎開のようだ。△ オレンジバーミリオンの101系に、関西本線を示す黄帯と「関西線」のシールが貼られている。上掲写真と同じ時期とすると、前々年の水害で王寺駅が水没し多数の電車が被災し、救済のため首都圏から多くの101系が転属した車両のようだ。△ 電化後も湊町駅の貨物機能は残り、入換は、DD13、DE10が受け持っていた。

△△背後には、阪和線新快速塗装の113系も見られる。湊町駅の貨物取扱は昭和60年に終了した。

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