なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈8〉

広島の路面電車

一ヵ月に渡って開催の写真展「思い出の七条大橋」も本日9月30日で幕となります。来場いただいた皆さまには、改めて御礼申し上げます。京都市電関係の写真展を、飽きもせず何度も続けて来ました。初回の写真展から数えると、もう10年以上昔になるでしょうか、来場の皆さんと話をしていると、“時代も変わった”と思わせることが多々あります。市電の写真を指して説明していると、「広島へ行ったら走っとるでぇ」とか「この前、広島へ行って子供と一緒に京都市電に乗って来ましたわ」と、特段に鉄道に詳しくないオッちゃん、オバちゃんから聞くことがよくあります。よく言われるように1900(900)型は、京都で約20年、広島では43年で、すっかり広島の電車になりました。いまや、“京都を走った京都市電”ではなく、“広島を走っている京都市電”ととらえる世代が多くなったことを痛切に感じます。

約50年前の広島駅前、まだ旧型車両が幅を利かせていた時代、左の700形701は、戦後の車両不足を補うため、被爆した旧京王の木造車500形の下回りを流用して、車体を新調した。中央扉もある大型の3扉車で、昭和55年までに廃車されている。現在の700形は二代目に当たる。右の900形907は、大阪市電2600形で、901~914の14両がいた。まだツーマン、非冷房の時代、そのあとワンマン、冷房化されて、一時は市内線の主力となったが、急に廃車が進み、いまは1両だけが残っているとか(以下、昭和45年)。

初代の800形803で、スタイルを見ても分かるように、京都市電800形をモデルに、昭和26年にナニワ工機で10両が造られた。たしかに塗装まで似ているが、前面のカーブの具合など、デザイン的には、京都のほうに一日の長がある感じがする。生き延びた1両を除き、昭和51年までに廃車されていて、現在の800形は二代目になる。この時は呉線のC59、C62を写すため駅に降りた時だった。広島駅は駅ビルが新築されたばかりでキレイになったものの、駅前はまだ終戦後の闇市のような街並み広がり、失礼ながら、貧相な地方都市の駅前と言った印象しか残っていない。

相生橋を渡る750形766号、750形は、もと大阪市電の1601、1651、1801形の3形式で、広島に移って、通し番号の751~772となった。ネット情報によると、この766号はテレビドラマ「西部警察」の爆破シーンに使われたあと廃車解体されたそうな(以下、昭和50年)。

宮島をバックに、宮島線阿品を発車する2500形2503-2504、宮島線・市内線直通用に昭和36年から造られた二車体連接車、当時の最新鋭の車両で、ピンクに赤帯が強烈だった。そのあと、輸送力増強のため、三車体連接車に改造され3100形となった。

 なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈8〉」への9件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    「広島の寄せ集め」・・って、憎まれ口をタタク癖が自分でも気になる私でしたが、今となっては広電さんに奇特さが有ったおかげで、京阪神の市電などの「動態保存」が有ったと、感謝ですネ。

    ところで小生、貴殿の記事で「京都市電風の803」が実は10両の新造車だった事を始めて知り、自身の勉強不足を痛感させられました。

    同時に、願わくば国道電車の金魚鉢や玉川線のタルゴなども走ってたらなあと「模型とはチャウで!」とお𠮟りを受ける事が必定の話に飛躍してしまうのを反省する私がおります。(笑)

  2. 昭和44年3月29日、猿猴橋町付近、全面広告車の809です。カレーライスが100円の時代です。

    • 藤本哲男様
      何と同じく昭和44年の8月4日に同じ場所で全面広告の800型(番号不明)を撮っています。但しカラーテレビはSONYのトリニトロンですが。この時はKAWANAKA氏とご一緒だったと思います。暑い盛りの呉線訪問でバテていたときでした。

        • 紫の1863様
          コメントありがとうございます。コロナのために広島駅前の変貌ぶりを久しく見に行けていませんが、すでにJR広島駅ビルは解体された筈です。新駅ビルの2階に広電新駅ができれば、上の写真のような猿猴橋電停付近のカットは昔語りとなりますので、今のうちに撮っておかねばと思っています。できれば1900で。

  3. 昭和44年3月29日、広島駅前、702です。
    昭和13年、京王電軌の木製車23形を10両譲受け、500形(500~509)としました。原爆時は己斐にいた501~503が小破、他の7両は、爆心地から離れた宮島線内にいたため無事でした。木製車体が老朽化していたため、昭和23年~25年に、日立笠戸工場で、半鋼製車体を新製して700形としました。

  4. 昭和52年1月3日、己斐、705です。
    昭和47年に701~703、708が廃車になり、残った704~707、709、710はワンマン改造されました。その時、707、709、710が701~704に改番されました。昭和54年から55年にかけて、京都市電1900形と代替えで廃車になりました。

    • 藤本様
      当時は己斐、今では西広島ですが、後ろのヒロデンビルは解体され、駅の雰囲気はガラリと変わりました。

  5. 藤本様、西村様が撮影された、昭和44年の猿猴橋町の風景に見入ってしまいました。今では見ることもなくなった「純喫茶」の看板や、カラーテレビの広告に、そんな時代もあったのだと感慨にひたっております。我が家にカラーテレビがきたのも、ちょうど同じころだったかと・・・。
    最後まで生き残った803の晩年の姿を撮影してました。前中扉に改造されて801となり、塗り分け色のテストに使用されていたとネットに出ていました。昭和54年8月、八丁堀の撮影です。
    ストリートビューで見るとすっかり様変わりしていて、場所の特定にてこずりました。

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